何が「差別用語」だ

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝

 「差別用語」など存在しない。特定の言葉を捕まえて、「差別用語」だと騒ぐ人がいるだけである。試しに、日本中の書籍雑誌が集まる国立国会図書館の蔵書を調べてみたが、1969年以降のデータベースの中で、「差別用語」というキーワードで検索できたのは、わずかに1冊だけだった。差別用語辞典もなければ、差別用語便覧もなかった。

 もし、本当に「差別用語」なるものが存在するならば、そのことに最も関心を寄せるはずの出版社が、1冊くらいは、差別用語辞典を作っていても良いはずである。それが存在しないということは、とりもなおさず、「差別用語」など存在せぬということではないのか。

 そこまでいわずとも、国語辞典を開いてみればいい。どの出版社のどの辞書のどの単語に、「差別用語」と書いてあるか。もちろん、辞書の中には、「蔑称(さげすんでいう)」という表現はあるが、これと「差別用語」とは似て非なるものである。例えば、バブルの頃、庶民に金を貸すときにはあれこれ難癖をつけながら、怪しげな不動産屋には無担保同様で金を貸した銀行があった。こういう銀行をカネカシと呼んで軽蔑したところで、銀行を差別したことにはならぬ。税務調査と称して、重箱の隅をつついてでも、いくばくかの税金を持って帰ろうとする税務署の役人を、ミツギトリと呼ぶのもまた同じである。

 ただ、おもしろいことに、新聞社や出版社、そして放送局には、内部資料として、使用を避けるべき言葉と、その言葉を同義の別語に変換する一覧表がある。この理由は簡単で、マスコミ各社は、「差別用語」の存在など認めてはいないのだが、うるさく抗議する人がいるから、こういう言い換え表を作っているのである。そりゃ、そうだろう。暇にまかしてか、職業としてかは知らぬが、とにかく抗議してくる人に、いくら誠実に付き合ったところで、一銭の儲けにもならぬ。要するに、「うるせえなあ。使わなきゃ良いんだろ、使わなきゃ。」の、精神である。

 そして、マスコミ各社が、せっかく作ったこの一覧表を出版・公開せぬ理由も簡単。もし、公開すると、今度は、私のようなバカ坊主から、なぜ、XXという言葉を使わぬのだ、と抗議を受けることになるからである。これもゼニモーケには全く関係のないエネルギーの浪費でしかない。

 マスコミ各社を責めているのではない。破戒坊主の私にそんな資格がないことは、とうの昔に承知している。私自身、「差別用語」過敏症の人間から、とやかく言われたくないし、誠実にお相手をするのも面倒だ。そんな立派な坊主なら、こんなところで、駄文を書き散らしたりせぬ。

 それにしても、どうして、「差別用語」云々といった、言葉狩りが横行するのだろう。

 差別撤廃が大義名分だということぐらいは、オレのような坊主でも知っているが、本当に、「差別用語」とやらを抹殺すれば、差別はなくなるのだろうか。疑わしいものである。かつて、中曽根元首相が「黒人云々」という発言で非難されたことがあった。あの時、少なくとも、オレの周りの人間は、「不用意」「不注意」な発言だという認識は持っていたが、彼が謝罪して発言を取り消したところで、彼の差別意識が消滅するなどとは、誰も考えていなかった。

 実際、今の世の中、言葉狩りとマスコミ各社の涙ぐましい努力が功を奏して、「差別用語」は、公園や公衆トイレの壁くらいでしか見かけなくなったが、差別の方は、それほどには解消していないように思う。言葉など、所詮は記号でしかない。記号を葬ったところで、記号が表象していたものは消滅しない。言葉を葬れば、精神まで葬られると考えるのは、悪しき言霊(ことだま)思想(言葉にタマシイが宿っているという考え方)でしかない。近代思想としての平等を求める者が、言霊思想に化かされるのは、奇妙といえば奇妙な話である。

 そういう訳で、言葉狩りの横行する理由は、今もって、よく解らない。ただ、こういうことは言えるかも知れない。言葉狩りが横行するのは、「言葉狩りは簡単だから、サルでもできる」ということである。これは、コンピューター通信の会議室で、しばしば見かけたことだが、ある人の発言に対して、

「よく解らないけど、XXという言葉は、サベツヨーゴだから使わない方が良いと思います。」

という、ふざけた書き込みをするサルが、必ずと言っていいほどいた。おそらくは、このようなサルが、放送局や出版社に電話や投書をするのだろう。

 いずれにせよ、「差別用語」が存在すると考えるものは、然るべき公的機関が公刊した差別用語辞典か、差別用語一覧程度は提示した上で、抗議してもらいたい。ついでに、「差別用語」を葬れば、差別が解消するということについて、合理的な説明もしていただければありがたい。言論の自由というのは、その言論の受け手にとって不愉快な場合が多いからこそ、権利として保障されているのだ、ということぐらいは忘れないで欲しい。相手に媚びたり、ヨイショするような内容など、保障する必要はないのだから。


 ただ、最後に誤解の無いように言っておくが、オレは、どのような言葉遣いも、無制限に許されるとは思っていない。もし、誰かが、

「その言葉を使って欲しくない。悲しい過去を思い出すから。」

と、言うなら、その気持ちを十分に尊重するだけの用意はある。それは、ここであげつらった「差別用語」の問題とは異質である。