メンマ

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝

 悲しい「メンマ」の物語である。「メンマ」は、昔、「支那竹(しなちく)」という名前だった。しかし、戦争には負けたくない。昭和21年6月21日、アホな外務省が、国内の各新聞社・雑誌社に対して、次のような局長通達を出したのである。

 「支那という文字は中華民国として極度に嫌ふものであり、現に終戦後、同国代表者が公式非公式に此の字の使用をやめて貰ひ度いとの要求があったので、今度は理屈抜きにして先方の嫌がる文字を使わぬ様にしたい云々」。

 そして、言論の自由を主張するはずのマスコミも、この50年間、これまた「理屈抜き」で、この通達に従ってきた。この時から、「メンマ」は、生き延びるために、「支那竹」という名前を捨てた。ただ、「メンマ」は、幸いに、竹の頭のやわらかい部分だったから、少しは、この事態を考えた。

 もし、この通達が、連合国統治下のやむを得ない処置だったならば、なぜ、日本は、講和条約締結後、独立を期に通達を撤回しなかったのか。もし、「支那」が差別用語だというならば、なぜ、同じ語源の英語のチャイナは差別用語ではないのか。もし、日本が「支那」を侵略したから差別用語になるというならば、なぜ、アヘン戦争に始まって、99年の長きに渡って、香港を支配してきた英国は、チャイナと呼べるのか。

 最近、また、街で「支那そば」(=ラーメン)という看板を見かけるようになった。「メンマ」は、ひょっとしたら自分も「支那竹」と改名できる日が来るかも知れない、と期待している。