高島易断

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝

 易者に「当たるか」と聞けば、「当たる」と答える。「なぜ当たるか」と聞けば、「そもそも、易は、中国の四書五経の内、易経を元にする云々」と説明される。しかし、ほとんどの易者は易経など読んでいないし、漢文を読むだけの語学力もない。それにも関わらず、彼らにも易のまねごとができるのは、高島嘉右衛門が明治時代に出版した「高島易断」という本のおかげである。

 高島嘉右衛門は天保3年、江戸の富裕な材木商遠州屋に生まれた。若くして家業を継ぎ、鉄道事業、横浜港の築港等に手腕を発揮し、実業家として財をなした。更に、政界にも多くの知己を持ち、特に、伊藤博文とは縁戚関係にあった。

 その彼が、晩年、実業の世界から身を引き、筮竹(ぜいちく)の引き方を簡略化し、易経の意味するところを一覧表にした占いのハウツー本を出版した。これが「高島易断」である。

今日、高島易断を名乗る占い師は多いが、彼らの中に、高島嘉右衛門の弟子はいない。彼らは、中国4千年の伝統と言いながら、実は、「高島易断」を占いの種本にしているに過ぎない。

それほどよく当たるものなら、自分の運勢でも占ってみればいいだろうに。寒空に、机をおいて、薄明かりの下で商いをしている彼らを見ていてそう思う。