伊勢旅行記(その5)

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝

三十一(火) 快晴

 午前八時半、起床、朝食。また、車に乗って、ホテルの食堂に向かう。部屋は、多少広いかもしれぬが、食事の度に、車で移動せねばならぬビラは不便である。おまけに宿泊料金が高い。かかる状態を、俗に、「踏んだり蹴ったり」という。しかも、ついに恐れていた事態が出来した。びろうな話で申し訳ないが、肛門が痛いのである。普段、一切、外泊せぬゆえ、用便は、自坊に限られる。自坊のトイレは、ムカデ妻の圧力で、ウォシュレットにされている。その結果、ここ数年、紙で尻を拭いたことがない。しかるに、旅に出て、既に四日目。この三日間、紙で拭いてきたので、ついに、肛門が悲鳴を上げ始めたのである。堕落するのは早いものである。四十数年間、紙で拭いてきたものを、わずか三年、甘やかしただけで、悲鳴を上げるとは情けない。見下げ果てた肛門である。無論、肛門を見上げてみても、詮無いことではある。ムカデ妻の顔など、今更見たくもないが、ウォシュレットが恋しい。
 朝食は、バイキング。特に、変わり映えはしない。それでも、腹一杯になってから、もう一皿取りに行く自分が悲しい。餓鬼道とは、我が姿を言うものか。
 食後、娘は、アーチェリーを試すという。私は、帰りの運転を考えて、仮眠することにする。こういう場合に、同じ敷地内に施設があるのはありがたい。やはり、ここは、連泊して、ゆったりと遊ぶところである。

 午後十一時、チェックアウト。売店に、スワロフスキーのクリスタルの置物があったので、ムカデ妻の土産にする。全長四センチほどの小型の蒸気機関車で、なかなか良い出来である。これさえあれば、あとは、食べ物を土産にすれば、何とか許してもらえるに違いない。折角なので、出発前に、もう一度、温泉にはいる。ここの温泉は、チェックアウト後も、タオル代二百円で、しばらくは利用できる。男湯と女湯が日替わりで交替するので、昨晩とは異なった趣である。入浴後、十分に目を覚ましてから、伊勢へ向かう。不信心ゆえ、外宮へ行くつもりはない。土産物を物色するのが目的である。鳥羽を経由せず、県道三十二号を通って、直接、伊勢を目指す。

 近鉄宇治山田駅前に、割烹料理の大喜はある。宮内庁、神宮庁御用達の名店である。座敷を予約して、会席料理でも頼めば、高いのだろうが、昼食時に、小上がりで定食を食べるなら、それほど高くはない。我々が注文したのは、和定食三千五百円也である。
 とりわけ珍しい献立ではないが、一皿一皿に、料理人の一生懸命が感じられる。料理というのは、不思議なもので、料理人が、この程度で良かろうと妥協すれば、たちまち、料理に現れる。逆に、それほど大した材料を使わずとも、料理人が誠意を込めれば、料理は、その心を伝える。大喜の料理には、料理人の心があった。店の看板を大切にしようとする、良い意味での職人気質が生きている。旅の終わりに、かかる料理に巡り会えたのは、誠に幸せと言うべきである。

 大喜で食事中、娘があわびの貝殻を欲しがった。内側が虹色に光って美しいからだという。自分で交渉するなら許すと言うと、女将と思しき人に、貝殻をわけて欲しいと頼んでいた。普段から、猫なで声で私の母を騙しているだけあって、その頼み方は、なかなかどうして、巧みである。
 あわびの貝殻は、昔、鼬(いたち)除けに使った。貝の内側が煌めくのを利用して、鼬が池に近づくのを防ごうという仕掛けである。死んだ祖母が、針金であわびの貝殻を、池の回りに吊していた。効果のほどは知らないし、一般的に用いられていたかどうかも知らない。ただ、あわびの貝殻で効果があるならば、使用済のCDロムでも、効果があるやもしれぬ。雑誌の付録に、CDロムが付くようになって久しい。三年一昔の世界ゆえ、フリーソフトウェアやデモソフトも、すぐに陳腐化する。不要になったCDロムは、捨てるしかない。もし、これが鼬除けになるならば、再利用するべし。ただ、CDロムは、すぐに記録面が剥離するので、それほど長くは使用できまい。しかし、廃棄するなら、そうなってからでも遅くはない。誰か、CDロムが鼬除けになるか、試していただけぬものか。昔は知らず、最近では、極悪寺境内で鼬を見かけぬようになってしまった。

 旅の終わりに、伊勢駅前のデパートで、土産を買い込む。最近は、赤福など、大阪のデパートでも買える。ここは、一番、思い切って、あわびの姿煮を買う。一袋三千六百円である。これを三軒分。更に、少々安いが、あわびを薄切りにして煮た、あわび飯の素を数袋買う。デパートの中を徘徊するが、折悪しく、改装中で、これといったものもない。仕方なく、駅前の本屋に立ち寄って、文庫本を数冊仕込んだ。最近、娘は、本の虫になりつつある。困ったことだと思うが、無理に止めさせるわけにもいかぬ。結局、娘の本も、数冊、買い込んだ。

 かくして、伊勢を後にして、伊勢自動車道、東名阪、西名阪を経て、三泊四日の小旅行は、無事終了した。途中、阪神高速で渋滞に遭ったが、それも、三十分ほどの遅延を招いた程度だった。通天閣近くの店で夕食を済ませて、夜、九時頃に、帰山した。
 今回は、あえて、食べ物に多く言及した。次回は、史跡などを巡ってみたいと思っている。かかる駄文を、最後までお読みいただいた皆様に、深く感謝して、伊勢旅行記、親子珍道中、一巻の終わりとする。

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