伊勢旅行記(その4)

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝

三十日(月) 快晴

 午前七時半 起床。ここの朝食は、トーストと、コーヒーか紅茶の軽食である。考えてみれば、この程度の食事の朝があっても良い。トースターが十台くらいあって、自分でパンを焼く。担当の職員は、初老の男性一人で、これなら、経費はかからない。これからの宿泊施設の中には、このリゾートインのように、最低限のサービスだが、利用料金が割安なところ(ここは、四千円)も、出てくるべきである。観光地の大きな旅館に泊まれば、大抵は、一泊二食付きで、人によっては食べきれぬほどの食事が出される。過剰サービス高価格である。貧しい時代には、旅行即ご馳走のイメージがあったかもしれないが、今日では、旅行先で、連日連夜、ご馳走を食べたいという意識は薄れている。豪華な食事付きの旅館には、それなりの良さもあるが、これからは、利用者が、自分達の好きなように利用できるシステムを考えないと、割安な海外旅行に客を取られるだろう。私自身、旅行中、時にはご馳走を食べるが、これまでにも書いたように、スーパーなどで買い食いをして済ませるときもある。
 ここの食堂には、冷凍食品の自動販売機が設置されていた。たこ焼き、おにぎり、お好み焼きなど、数種類の冷凍食品が、解凍、加熱されて出てくる。メーカーは、西日本ではシェアの大きいカトキチだから、まんざらひどいものが出てくることはないだろう。ムカデ妻は、カトキチのたこ焼きのファンで、時折、軽食用に買ってくる。値段は忘れたが、例しにひとつ、買ってみた。三十秒ほどで、紙箱入りの熱々のたこ焼きがでてきた。ソース、青ノリ、爪楊枝がついてくる。私自身は、冷凍たこ焼きなど、食べたいとは思わないが、これもまた、選択肢のひとつとしては面白かろう。
 格安のインゆえ、もうひとつ、制限がある。客室の電話は内線のみで、外線へは繋がらない。外への連絡は、各階に設置された公衆電話を利用する。携帯電話が普及した今日、これもまた、それほど不便は感じない。私など、これまで、外線に繋がるホテルに泊まっても、公衆電話で、貰い物のテレホンカードを使用してきた。長距離電話をかければ、テレホンカードは、瞬く間に使用済になっていく。こうでもしなければ、テレホンカードが貯まるばかりである。

 午前九時、パルケエスパーニャに到着。今日は、第一駐車場に車を置くことができた。園内は、まだ、準備中の店もあり、人もまばらである。旅も三日目になると、そろそろ、歩き回るのには疲れてきているので、とにかく、座る目的で、カンブロン劇場に入る。最近、各地の博覧会でおなじみの大型映像システムである。演目は、スペインの巡礼祭を素材にした映像エンターテイメント「ビバ ラ ブランカ パロマ」。
 スペインでは、今も、毎年、数十万人が、巡礼の旅をするが、その内のひとつを映像で紹介している。以前、言いたい放題に、冠婚葬祭と蕩尽について書いたが、この壮大な巡礼の行列を眺めると、スペイン社会に今も残る蕩尽を目の当たりにする思いがする。蕩尽とは、解りやすく言えば、派手に消費することである。質素倹約を旨とする日常生活だけでは、人も社会も窒息する。時には、合理的か否かという判断を越えた消費を行うことで、人も社会も安定する。冠婚葬祭における蕩尽とは、人の内に潜む狂気を、制度として顕在化させることなのではあるまいか。
 なお、迫力のある大画面なので、乗り物酔いしやすい者は、用心するが良い。私は、飛行機とヘリコプターから撮影した映像で、吐き気を催した。アルマゲドン以来の出来事である。

 買い物は、前日に目星をつけてあったので、簡単に終わった。娘には、旅行の記念に、金象嵌のピルケース(薬入れ)を買い与える。私は、ガウディの建物をプリントしたTシャツ。ムカデ妻は、好みが五月蠅いので、どうせ、何を買って帰っても歓ばぬ。よって、ここでの土産は無し。娘は、親しい友人とお揃いの貴石のペンダント、その他の友人のために、雑貨を少々、買い込んだ模様。老親には、食べ物が良かろうゆえ、帰りに伊勢市内で、何か買い求めることにする。
 昼食は、スペイン風ピザとオムレツ。正直に申して、どこがスペイン風なのか、よく判らぬ。まあ、私が初めてピザを食べたのは、大学生になってからであるから、ピザについて、語る資格はない。
 アトラクションと称される乗り物にも、二日間で、ほとんど乗った。ジェットコースターの類と、舟形の大型ブランコだけは、遠慮する。金を払ってまで、恐い思いをしたり、乗り物酔いする必要はない。遊園地の乗り物で恐い思いをするくらいならば、路上で喧嘩をするか、歯医者へ行く方が、よほどマシである。大体、体力があれば丸一日で、全てを体験し尽くせるテーマパークである。なお、夜のカーニバルは、夏休みの特別企画なので、既に終了しているので、念のため。

 午後二時半、合歓の郷、到着。フロントに問うと、少し早いのだが、既に用意ができているということで、ビラへ行く。以前は、園内の移動は、自転車か、ランドカーという、ゴルフカートのような乗り物を借りる必要があったが、現在は、自家用車で、ランドカーの移動範囲を動くことができる。かつて、アネックスと呼ばれる建物も営業していたようだが、低料金では、ペイしないのか、現在では、使用されていない。敷地内に、こういう廃屋が建っているというのは、あまり気持ちの良いものではないから、速やかに撤去するべきだろう。
 私は、昼寝をしたかったが、娘は元気である。折角、水着を持参したのだからと、プールへ誘う。仕方なく、疲れた体に鞭打って、プールへ行くことにする。プールと温泉利用の日帰りコースを設けているので、夏休みも終わろうというのに、結構、人が多い。最近は、プールと言っても、単なる水溜ではなく、流水プールや、スライダーがあって、遊びには事欠かない。私は、流れるプールに浮かんで、マナティよろしく、ゆるゆると泳ぎながら、水に流されていた。中学以後は、大抵のスポーツをやったが、体格が災いして、ろくな事を言われたことがない。スキー、スケートをすれば、ボリショイサーカスの熊の曲芸だと揶揄され、泳げば、カバだと囃された。よって、「紅の豚」が上映されたときには、拍手喝采したものである。

 午後六時、夕食。ビラにも食堂はあるはずなのだが、ビラの利用者が少ないので、ホテルまで、行かねばならぬ。食事は、私が最も得意とするバイキング。本当は、もう少し空腹になるのを待って、食べたかったのだが、娘が温泉に浸かる時間を長くしたいというので、やむなく同行する。料理は、特筆するもののない、普通のバイキングである。これなら、大阪新阪急ホテルの四千円バイキングの方が豪華である。伊勢海老は、サラダの一部にして、カクテルグラスに、少量、盛りつけられているに過ぎないし、スモークサーモンも、細切れにして、野菜と和えて、ドレッシング漬けである。かくも露骨な経費節減策は、不愉快でさえある。刺身は、きはだマグロのたたきと、はまち、ないしは、かんぱちの刺身くらいしかない。夏場は、魚の旬とは言い難い季節ゆえ、料理をする方も大変ではある。唯一、狙いを付けたのは、さざえと大アサリの焼き物である。特に、さざえの壺焼きは、ありがたい。
 恥を捨てれば、自由の天地が広がる。さざえの壺焼きは、大振りのものばかり選んで、十個は食した。大体、これで、食事代の元は取れているはずである。私達のテーブルにだけ、堆く、さざえと大アサリの殻が積み上げられた。後は、穴子の天ぷら、刺身、味噌汁、五目寿司で胃袋を満たした。はまち(かんぱち)の刺身は、なかなか美味で、おそらく天然物である。これも、一尾とは言わぬが、半身は食べたに違いない。
 娘は、豊かな時代の子供ゆえ、私のように浅ましい食べ方をせぬ。果物とプチケーキまで、バランスよく食べていた。「パイナップルなど、家でも食べられるだろうに。」などと、思わず言いたくなる自分が悲しい。

 午後九時、温泉入浴。食後、一時間ほど仮眠する。それが豚の元だと、娘に言われるが、四十六の私に、元気盛りの中学生ほどの持久力はない。加えて、私は、見知らぬ土地で車を運転しなければならない。
 ここの施設は、最近、日本各地に急増したクアハウスと変わるところはない。過不足無く、一通りの設備が整っている。昨年、開設されたばかりなので、全てが新しく、気持ちよい。これを、長く保つのは至難の業だろう。これまで、いくつかの温泉を訪ねたが、黴、塗装の剥がれなど、見苦しい状態で放置された浴室もあった。よほど維持費を注ぎ込まねば、この清潔感溢れる状態は、維持できぬ。
 露天風呂からは、英虞湾が見渡せる。満天の星空とはいかないが、見上げれば星も見える。この風情は捨てがたい。湯船に体を沈め、一切の思考から解き放たれ、至福の時を過ごす。娘と約束した一時間など、瞬く間に過ぎ去った。
 湯上がりに、喫茶室へ行こうとしたら、入浴は十一時までだが、喫茶室の営業時間は十時までだという。仕方なく、部屋へ戻ることにする。部屋の冷蔵庫には、コンビニで買った烏龍茶が冷えている。

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