伊勢旅行記(その3)

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝

二十九日(日) 快晴

 午前七時、起床。昨晩、華月を捜して鳥羽の町を走ったときに、水族館周辺の駐車場を確認した。水族館に隣接して、立体駐車場がある。これを除けば、遊覧船発着場近くに、四十台程度の駐車場があるのみ。近鉄鳥羽駅裏にも市営駐車場があるが、ここからでは、水族館まで、かなり歩かねばならぬ。今日は、日曜日ゆえ、相当の人出が予想される。水族館開館時間直後に入館せねば、駐車場の空き待ちで、時間を浪費することになる。昨日の伊勢神宮の二の舞は御免である。旅に出てまで、早起きをするのは愚かではあるが、やむを得ぬ。
 ホテルの朝食は和食のみで、質、量ともに十分、千五百円から二千円に相当する。これを差し引けば、一泊朝食付きで一人八千円は、必ずしも高くない。欲を言えば、納豆は、パックのままではなく、小鉢に移しておくべきだろう。画竜点睛を欠くというものである。

 午前九時、ホテルをチェックアウトする。フロントで、昨夜のムカデ騒動を話すと、既に聞き及んでいて、丁寧な詫びと菓子折ひとつを受けた。宿泊料金はチェックインの時に支払っていたので、割り引かれることはなかったが、電話代は請求されなかった。ムカデが出たことは、それなりに非難されるべきだが、あまり喧しく言えば、振りまく殺虫剤の量が増えるだけで、健康には良くない。後は、対応の善し悪しである。ホテルタマヨシの場合、後の迅速な対応に免じて、暴れぬことにした。もし、不愉快を重ねるような対応であれば、武勇伝のひとつも残すことになったに違いない。話としては、それも面白いが、旅先でのもめ事は、できることなら避けたいものである。

 鳥羽水族館については、ホームページもあることゆえ、詳説は省く。感動したのは、初見のアフリカマナティ。イルカと違い、尾鰭(実は後肢?)が団扇に似ている。巨大なマナティが、ゆるゆると水槽を泳ぐ様は、一見の価値がある。この、のんびりと泳ぐ巨大生物が、何時までも生き続けられる地球であって欲しい。もっとも、私が、このような海獣に親近感を持つのは、娘にトドだ、マナティだと、言われているからやもしれぬ。以前、娘の小学校で、一枚の写真を元に、文章を書くという課題があった。娘は、居間で寝ている私の写真を持ち出し、昼寝をするトドの物語を書いた。それとは知らず、私は、個人懇談の席で、それを見せられた。さすがの私も絶句して、その場で固まってしまった。
 近年、動物園や水族館のように、珍しい生物を飼育して入場者に見せる施設を、非難するものがある。曰く、生物は、それぞれの場所で生かすべきで、見せ物にすべきではない。これを受けて、動物園や水族館でも、希少種の繁殖、保全など、これまでとは違う試みを始めている。だが、果たして、そこまで言う必要があるのだろうか。確かに、営利目的で、生物を狭い檻に閉じこめて、見せ物にするのは愚かである。映画キングコングの悲劇は、そのような野心家がもたらしたものだ。しかし、百聞は一見に如かず。やはり、実物を見る感動は捨てがたい。動物園や水族館で飼育される生物には気の毒だが、彼らが見せ物になることで、この地球が、人間だけのものではないことを、我々が自覚できるならば、動物園や水族館にもそれなりの存在意義はあろうというものである。いずれ、立体映像が実用になれば、動物園や水族館は、生物記録のライブラリーになろうから、それまでは、今しばらく、このような施設にも、存在してもらわねば困る。

 午後〇時。館内を、ほぼ一巡した頃、入園者数が急増してきて、次第に落ち着いて見られなくなってきたので、娘と計って、表に出ることにした。今日も日差しがきつい。既に気温は、三〇度を超えているだろう。駐車場の空きをを待つ車が、延々と並んでいる。水族館の職員が、車を回って、遠方の駐車場を示す地図を配っている。開館直後に入館したのは、良い判断だった。水族館近くの店を、数軒冷やかして、車に戻る。昨夜見つけたジャスコに立ち寄り、昼食を買う。焼きたてのパンを並べる店があったので、調理パン数種を購入。飲み物と、ハムを追加する。
 メールが気になるので、ジャスコの公衆電話から、メールを落とす。急ぎのものはないので、夜、ホテルで返事を書くことにする。掲示板に書き込まれると、内容共々、メールで通知されるので、掲示板の様子も把握できる。ただ、我がプロバイダであるDTIは、いかなる理由にてか、三重県内にアクセスポイントを設置しない。おかげで、名古屋経由で接続するので、電話代が嵩む。公衆電話に通信端末を繋ぐ姿が目立つのと相俟って、早々に、通信を終了した。この間に、娘は、夏物バーゲンセールの会場をうろついたらしく、服を買えと言う。値段を聞くと、三着二千円と破格なので、つい、同意してしまう。

 午後一時。志摩スペイン村(パルケエスパーニャ)の夜間割引は、夕方四時からである。鳥羽から志摩までの所要時間三十分を差し引いても、時間がある。そこで、安乗崎(あのりざき)灯台を訪ねることにする。安乗(あのり)崎は、志摩半島東岸、的矢(まとや)湾の湾口南岸にある岬で、北の菅崎に対する。阿児町の北東端にあたる。安乗岬ともいい、大王町波切(なきり)の大王崎と鳥羽市国崎の鎧崎とともに志摩三崎と称される。高さ20m ほどの豪壮な海食崖と岩礁からなる岬で伊勢志摩国立公園の一部をなす。付近は海の難所で、江戸時代にも幕府直営の灯台があったが、現在も岬端に1872年(明治5)初点の灯台がある。
 自ら訪ねた場所ゆえ紹介はしたが、車の運転に自信なき者は、途中から歩くべし。灯台付近約二百メートルほどは、道狭く入り組み、対向車とのすれ違いは、ほとんど不可能である。坂道S字カーブ、坂道クランクをバックで上り下りして、すれ違い可能なところまで、移動できる実力が必要である。それでも、三ナンバーの車は、下に置いて歩くが賢明。
 灯台まで上りきれば、広々とした芝生が広がり、駐車場も十分にある。灯台の周囲を散策すれば、志摩半島、太平洋まで見渡せる。崖下には、スキューバダイビングに興じる人の姿も見える。灯台の麓は、安乗の漁港で、漁師の営む民宿がある。ここに宿泊すれば、漁業権の心配なしに、魚介類を捕ることができるだろう。スキューバダイビングに興味のある人には、趣味と実益を共に満足させてくれるレジャースポットである。
 灯台付近には、喫茶、売店、灯台資料館がある。また、上に、難所と書いたが、明治の頃、この先の海で、海軍の駆逐艦が沈没したらしく、その慰霊碑も建立されている。あまり人の行かぬ場所ゆえ、静かに、海を眺めるには絶好の場所である。

 午後四時、手に汗握る細道運転を経て、安乗崎からパルケエスパーニャに到着。私が、滅多に見せぬ真剣な表情で車を操るのを見て、助手席の娘が、腹を抱えて笑い転げる。パルケエスパーニャの第一駐車場は満車と、第二駐車場へ回される。第二駐車場から、会場入口までは、無料バスが運行される。中へ入れば、巨大なアーケードがあり、左右に、店屋が並ぶ。その奥には、スペイン風の建物のオンパレード。要するに、スペイン村とは、バッタ物のスペイン建築とスペイン物産展と遊園地の複合体である。今更、バッタ物のスペイン風になど興味はないし、遊園地の乗り物に歓ぶ歳でもない。しかし、これほど大規模なスペイン物産展は、他に例を見ぬ。ここはひとつ、ゆっくりとスペインの物産を見て歩くことにする。
 夕方になると、団体客が宿を目指すので、園内は次第に空いてくる。店を冷やかして回るには都合がよい。正面入口のアーケード以外にも、園内各所に店が散在し、日用品、装飾品、伝統工芸品、雑貨といった具合に、棲み分けができている。適当に乗り物に乗り、降りては店を見て歩く。しかし、我が生活を振り返れば、法衣以外には、作務衣しか着ぬゆえ、装身具は無縁。和風の家に住むゆえ、スペイン風の置物は不釣り合い。結局は、見て楽しくとも、買いたい物はない。この点、歩く物欲のムカデ妻とは、好対照をなす。
 ここで再び目につくは、行儀の悪い餓鬼共。買いもせぬ商品を、オモチャにして、憚らない。親は自分の買い物に夢中で、一向に、子供に注意する様子もない。この国は、最早、バカ親、バカ餓鬼の楽園と化してしまったらしい。どれほどバカでも、客は客。店員は注意しない。バカ餓鬼共が痛めた商品の代金は、買い物客に上乗せするだけである。結局、本当に金を使う者が馬鹿を見る。
 それでも、一応、買いたい物に目星はつけた。明日、もう一度立ち寄るので、買い物は、その時である。一晩、頭を冷やせば、衝動買いは防げる。娘にもその旨を告げて、夕食を摂ることにする。

 午後七時、あれこれ迷ったあげく、スペイン風オムレツ、ピラフ、生ハムとチーズのセットを食べる。ここの生ハムは、充分に塩が利いている。これが、正しい生ハムである。最近、日本で売られる日本製の生ハムは、減塩とやらで、生ハム本来の旨味を失っている。最近の研究によると、塩分を摂取しても、血圧の上昇しない体質の人間のいることが明らかになっている。かく言う私も、そのような体質の人間である。
 確かに、かつて、保存の為に塩蔵したのは確かだが、塩蔵には、別の働きもあった。塩蔵すれば、水分が外に出る。これによって、水溶性の悪臭の元や、腐敗物質も外に出る。しかも、水分が出ることで、味が濃厚になる。現在のように、グラム単価を下げるための便法として、減塩などされると、不味くなるのは当然である。この国の肉加工食品は、どうして、かくも、イカサマに満ちているのだろう。他にも、大豆蛋白を注射したハムや、火を通してもカリカリにならずに焦げるベーコンなど、枚挙にいとまがない。しかも、誰に配慮してか、このようなイカサマ商品が、JAS(日本農林規格)で、「標準」という表示で売られている。本物の肉加工品を食べるつもりなら、JAS表示など信じてはならない。いずれ何か裏があるに違いないが、本当のところは、表沙汰にするとまずいのだろう。
 午後七時半、正面入口近くの広場で、カーニバルが始まる。夜間割引で入場した目的のひとつは、このカーニバルである。スペイン風に飾り付けられた車が、十台、列をなして、広場に集合する。パレードをするほどの広さはないので、車はすぐに止まり、音楽に合わせて、アトラクションが繰り広げられる。車の飾りは、油圧か電動で動き、現代のからくり屋台の趣である。会場の各所でアトラクションを担当している芸人達が、一堂に会して、技を競う。最後に、打ち上げ花火が轟いて、カーニバルは終了する。この間、約三十分ほどであろうか。花火の時には、会場の店員までが、見物に出てきていた。

 午後九時、今夜の宿であるリゾートイン磯部に到着。ここは、宿泊施設だが、つぶさに構造を見ると、本来は、マンションとして建てられた物を、ホテルに改装したと思われる。志摩でも、バブルの頃には、多くのリゾート開発が行われた。現在でも、当時建てられて、売れ残った物件が、多数存在する。以前、白浜を旅したときと同じ光景を、今回も、志摩の各地で目撃した。このリゾートインも、そのような建物のひとつだったに違いない。二階がフロントで、一階から、フロント前を通らずに各部屋へ行けるような構造のホテルなど、考えられない。エレベーターの表示も、単純に、一階から七階まで連続していて、フロントの表示はない。それにしても、一泊朝軽食付きで四千円は、割安である。
 各部屋には、個別に小型エアコンが設置してあり、これまた、マンションとして建てられたことを思わせる。建物が新しいので、清潔感に溢れている。パルケエスパーニャの最寄り駅である近鉄磯部駅に隣接しているので、車を利用しない人にも便利である。磯部駅から、パルケエスパーニャまでは、直通バスが運行している。今回の旅行では、最も推奨する宿である。

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