伊勢旅行記(その2)

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝

二十八日(土) 快晴

 午前十時、寺を出発。大阪周辺から、車で伊勢へ行くには、大別して、二つの道程がある。第一は、名神高速栗東インターチェンジ−>国道一号線−>伊勢自動車道。第二は、西名阪自動車道−>東名阪国道−>伊勢自動車道。出発前の道路情報で、名神高速道路は、京都付近で十六キロの渋滞があったので、第二のルートを選んだ。
 午後一時、伊勢自動車道を降りる。西名阪出口で六キロの渋滞に巻き込まれたが、それを除けば、極めて快調に走れた。東名阪国道は、制限速度が時速六十キロだが、実際に時速六十キロで走っている車などいない。追い越し車線を走ろうと思えば、時速百キロを越える覚悟が必要である。伊勢自動車道へ入ると、車の数も減り、更に快適なドライブになる。終点、伊勢インターチェンジ傍に、ジャスコ(スーパーマーケット)がある。伊勢でも、郊外型大型スーパーが幅を利かせているらしい。
 ジャスコへ立ち寄って、お茶、昼食を買い込んだ。ついでに、当地の人たちが、どの様なものを食べているか、見て回る。最近では、物流の発達によって、全国一様に、同じようなものを食べるようになったが、それでも、土地によって多少の違いはある。ジャスコで見る限り、上等のハム、特に生ハムの品揃えが良い。大阪郊外で、このジャスコの二倍の売り場面積を持つスーパーでも、これだけの品揃えはない。しかも、商品の一部が、安売りされてすらいる。これが、このジャスコに限った特徴なのか、それとも、伊勢市の特徴なのかは不明。いずれにせよ、安売りということで、昼食用に購入した。ついでに、一串五十円につられて、焼き鳥を購入。これだけでは昼食にならぬので、マクドナルドのハンバーガーも購入。普段、あまり食べつけぬゆえ、妙に新鮮である。

 午後二時、車内で昼食を済ませて、第一の目的地、伊勢神宮へ向かう。ジャスコの中にも食べる場所はあったが、店内を行儀の悪い餓鬼共が走り回るので、これを嫌って、日陰に車を止めて食べた。とにかく、最近の親は、子供を叱らぬ。頭の柔らかい子供のときに、事の是非善悪だけは叩き込むべきだと思うが、それをせぬ。幼いときに手抜きをして、後で苦労するのは親である。自業自得ではあるが、考えようによっては、哀れである。
 古来、伊勢神宮は、内宮(ないくう)、外宮(げくう)を共に参拝するのが習わしだという。内宮は天照坐皇大御神,その神体として八咫(やた)鏡を祭り,天手力男(たぢからお)命と,瓊瓊杵(ににぎ)尊の母にあたる万幡(よろずはた)豊秋津姫命を合祀する。他方、外宮は、内宮(皇大神宮)の神饌を供進する神として豊受(とゆけ)大御神を祀る。内宮、外宮の距離は、約四キロ。神祇不拝(天地の神を拝まない)を宗風とする真宗坊主には、どちらか一方で十分である。観光案内によれば、内宮脇には、おはらい横町なる土産物屋が軒を並べ、賑わうという。加えて、関西の人間には馴染み深い赤福が、おかげ横町という江戸時代の町並みを再現した一角も作っている。ここは迷わず、内宮を行き先と定めた。

 伊勢自動車道の出口から、内宮までは、車で十五分程度の道のりだが、土曜日ということもあって、内宮の手前二キロ付近から、渋滞に巻き込まれた。この渋滞を抜けるのに、四十分程度はかかったはず。内宮前に到着して判明した渋滞の原因は、駐車場。内宮付近の駐車場がすべて満車のため、空き待ちの車が列をなしていたことによる。さすがは、日本の神様の総本家、参拝者の数も半端ではない。
 駐車場から正宮までは、片道、徒歩二十分。細かい砂利道を歩かなければならぬ。これが曲者で、おそろしく足が疲れる。内宮を参拝するものは、間違っても、底厚サンダルや、ハイヒールは避けた方がよい。正宮までの道は、清澄な雰囲気に満たされて、神域という言葉がふさわしい。よく手入れされた低木、樹齢五百年はありそうな木々、そして、五十鈴川の流れは、あくまでも透明である。宗教施設は、すべからく、かく有りたい。オーム真理教のサティアンの薄汚さは、やはり、宗教施設にはふさわしくない。
 緩やかな上り坂を歩きながら、娘に、日本神道史の梗概を話して聞かせる。そもそも、神道という語は、易経に、「天の神道を観るに、四時久(たが)はず。聖人神道を以て教を設けて、而うして天下服す」とあるのが初見とされる。つまり、人間の知恵では測り知ることのできない、天地の働きをさす語であった。そしてその後、神道の語は、道家や仏教の影響下で宗教的な意味を持つようになり、呪術・仙術と同じような意味でも用いられた。日本書紀では、用明天皇即位前紀に「天皇,仏法を信(う)けたまひ,神道を尊びたまふ」とあり,孝徳天皇即位前紀に「(天皇)仏法を尊び、神道を軽(あなず)りたまふ。生国魂社の樹を駒(き)りたまふ類、是なり。人と為(な)り、柔仁(めぐみ)ましまして儒を好みたまふ」と見える。
 事ほど左様に、初めの内こそ、調子よく説明していたのだが、この日の気温は、三十六度。砂利道、上り坂と相俟って、途中から、息切れが始まり、説明の言葉も途切れがちになってしまった。通り過ぎる風は、そこそこに涼やかだが、冷房の効いた車から出て十分もすると、汗が噴き出してくる。全くもって、歳はとりたくないものである。

 内宮の鳥居を出て、右手を進むと、おはらい横町がある。今時のことゆえ、どこの店も小綺麗に改装しているのだが、不思議なことに、新しげな店には、客が少ない。客が鈴なりになっているのは、何時建てたか分からぬ赤福本店の古めかしい建物である。冷房もない店内で、赤福餅三個と、水道の水で冷やしただけのお茶がセットで二百五十円。これだけの店なのに、訪れる客が後を絶たない。同じく赤福が経営する向かいの茶店では、かき氷などを商っているが、こちらも、クーラー無し、床几に座って食べる古い店構えなのに、客が満杯である。ここの夏季限定赤福氷は、赤福の餅と餡を入れたかき氷の上から抹茶をかけたもの。言うなれば、餅入り宇治金時の亜種である。この国は、明治維新以後、百年を費やして、近代化の名の下に、古い日本を、ほとんど、破壊し尽くしてしまった。そういう時代になったからこそ、いっそ、ここまで徹する赤福に、若い観光客は惹かれるのやもしれぬ。それゆえか、赤福については、インターネット上にも、多数の情報がある。
 赤福は、餡餅ながら、表面が滑らかではなく、数本の突起がある。これは、傍を流れる五十鈴川のさざ波を模したというが、実は、指の跡である。これは、赤福独特の製造法による。普通、餡餅は、餅に餡をつけて、丸める。他方、赤福は、大きな鉢の回りに、数名が座する。この内一名は、餅の塊から小餅を作り、他の数名に配る。配ると書いたが、実は、小餅を投げて、鉢の内側に張り付ける。投げられた者は、鉢の内側に張り付けた餡を適当に片手に取り、その手で小餅を掴む。そして、そのまま、もう片方の手に持った箱に詰めていく。この方法によれば、普通の餡餅作りよりも少人数で、餡餅を作って箱詰めすることができる。大勢の伊勢参りの客を相手にするうちに考案された製造法に違いない。
 このような省力化、時間短縮の手法は、例えば、茹でたうどんにたまりをかけただけの伊勢うどんにも見られる。最近では、関東の鰻屋でしかお目にかかれぬが、魚を蒸してから焼くという調理法も、短時間に大量の焼き魚を作るために、伊勢地方で考案されたと聞く。蒸して火を通し、後は、強火で焼いて焦げ目を付けるのである。最近、巷に出回る魚焼きグリルも、下の受け皿に水を入れて焼くという点では、同様の手法の現代版であると言えるかもしれない。

 午後五時。赤福本店で赤福を食べてしまえば、神祇不拝の者は、伊勢に用がない。さりとて、他に行くべき所も思いつかぬ。仕方なく、鳥羽のホテルへ行くことにする。伊勢から鳥羽までは、三十分ほどの道のりである。
 目指すホテルタマヨシは、近鉄鳥羽駅から徒歩五分とあるが、これは大嘘。実際は、伊勢志摩スカイライン入り口付近であるから、競歩の選手ででもなければ、徒歩五分は無理である。結婚式場、プールもあると紹介されていたが、ビジネスホテルに毛の生えたようなものである。これで一人一泊朝食付きで八千円は、少々、高すぎるかもしれぬ。

 午後七時。シャワーを浴びて、一時間ほど仮眠をとった後、鳥羽の町へ夕食に出かけた。目指すは華月。魚や肉を、鍋料理よろしく、客の前で蒸して食べさせる店である。旅行雑誌やインターネット上でも紹介されており、そこそこ、有名な店だという。店が幹線道路沿いにないので、辿り着くのにいささか時間がかかったが、それでも、狭い鳥羽の町、十分ほども迷えば、見つけだすことができた。以前、山陽新幹線新神戸駅傍に、同様の蒸し料理店があり、一度、利用したことがあるが、いつの間にか無くなって、残念に思っていた。
 結論から言わせてもらえば、この華月、大した店ではない。私達が注文したのは、伊勢海老、鮑、鯛のコースである。確かに、鯛は、小ぶりながら、活きの良いものが出てきた。問題は、最も値の張る伊勢海老と鮑の蒸籠(せいろ)である。これだけは、客の目の前で蒸すのではなく、厨房で蒸し上がったものが出てきた。理由は容易に想像できる。冷凍物の輸入伊勢海老を使うからである。この時期、伊勢海老はシーズンオフで、活けといえども、輸入物が多い。しかも値が張る。だから、冷凍物の伊勢海老を使わざるを得ぬのである。例しに、海老の味噌を嘗めてみるが、明らかに、活けのものとは味が違う。この部分だけは、ごまかしが利かぬ。
 私が、伊勢海老に詳しいのは、これまで、幾たびか、騙されているからである。例えば、関西に、中納言という伊勢海老料理の店がある。ここでは、伊勢海老の刺身を、伊勢海老の殻の上に盛りつけて客に出す。あたかも、伊勢海老の活け造りに見えるが、実は、殻を使い回している。それが証拠に、味噌の部分を食べて良いかと、店の者に聞くと、大いに慌てて、止めてくれと言われた。以後、折りある毎に、伊勢海老の味噌を嘗めてきた。味噌とは言うが、実は、海老の内臓の一部ゆえ、ここが、最も早く腐敗する。魚介類の鮮度は、内臓の味で知れるものである。もし、店が偽っていると思えば、「本物を出せ」と、小声で店員に告げてみるのも良い。かつて、某店でこれをやったら、店長と思しき人物が、平謝りに謝って、別の皿を持ってきたことがある。冷凍物が悪いというのではない。冷凍物ならば、正直にその旨を伝えれば良かろう。小手先で客を誤魔化そうとするのは、商人道に反すると思うだけである。
 蒸し上がれば、店員がその旨を告げると聞かされたが、実際には、すべて、遅れがちで、火が通り過ぎていた。途中からは、業を煮やして、自分で蒸し上がりを判断して、食した。当日は、土曜日で、店内が混雑していたから、致し方の無い面もあるが、それにしても、一人七千円の料理にしては、杜撰である。手の込んだ料理でなし、料理人が火を通す必要がないのだから、他の和食に比べて、料理人の数は少なくて済むはずである。残念ながら、七千円の値打ちのない料理だった。

 午後九時、ホテルに戻って、入浴の後、ベッドに潜り込む。これで、今日一日が終わるはずだったが、実は、夜中に、思わぬ出来事に遭遇する。娘が、何かに刺されたと言って、ベッドから出てきたのである。娘のベッドを改めると、体長三センチほどの小さなムカデがいた。これは洒落にならない。ムカデ妻の怨念か、はたまた、単なる巡り合わせか、いずれにせよ、早い処置が必要である。急ぎ、フロントに電話をして、アンモニアを持ってくるように伝え、娘には、咬まれた箇所を絞るように命じた。
 すぐに、当直と思われる老人が、救急箱を持参して、部屋へやってきた。ティッシュペーパーでくるんだムカデを渡し、救急箱から、アンモニア水を取り出す。老人は、丁寧に詫びを言って、部屋を出ていった。幸い、ムカデが小さく、咬み方も中途半端だったので、それほど大きく腫れ上がることはなかった。
 さすがに、このムカデの出現は、作り話めくので、書くまいとも思ったが、事実は事実故、書き残すことにした。

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