伊勢旅行記(その1)

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝

 お盆の繁忙期が終わると、坊主にとっては、暇な季節が始まる。世間一般では休暇だが、坊主の場合は、仕事がなければ収入がないので、長期失業期間である。嘆いてみても始まらない。私の場合、偶々、善き人々に恵まれて、現在は食えているが、坊主は、元来、不安定不規則、乞食同然の渡世である。実際、私が寺を継いだ頃は、文字通り、乞食状態だった。
 乞食は、もと、仏教用語で、こつじきと読み、字義通り食を乞うことで、托鉢を意味した。転じて、物もらい、遊行の僧を呼ぶ言葉となった。よって、坊主こそは、元祖乞食である。昔から、「乞食に禿げ無し」と言う。坊主は、例外的に、毛のない乞食である。以前、私は、大阪の日本橋で、浮浪者と間違えられて、握り飯をもらいそうになったが、これこそ、正しい坊主の有り様である。
 さて、失業であろうが、休暇であろうが、暇は暇。旅に出るのもよかろうと、娘と相談の上、伊勢志摩へ行くことにした。見所は、パルケエスパーニャ(志摩スペイン村)、伊勢神宮、鳥羽水族館。急に呼び戻されことがあるので、交通手段は車。オイル交換、空気圧チェック他、基本的な整備は完了している。ムカデ妻は、仕事があるので、私と娘の二人旅である。

二十七日(金)

 明日の分からぬ渡世故、宿泊先の予約は、出発の前日と決めている。第一泊目は、伊勢市に定めて、夜、宿泊先を予約しようとするが、伊勢市内のホテルはどこも満室。聞けば、伊勢市で、国体の東海ブロック地区予選があるという。伊勢市内での宿泊は難しいとのホテルマンの言葉。そこで、伊勢市での宿泊を諦めて、次に、鳥羽で宿探しを始める。伊勢と鳥羽は、有料道路で20分ほど。案の定、こちらも大きな宿泊施設は、すべて満室である。やむなくシティホテル、ビジネスホテルに変更して、ようやく鳥羽市内にツイン1室を確保。ホテルタマヨシという、ビジネスホテルに毛の生えたシティホテルである。1泊朝食付きで、一人八千円。
 第二泊目は、パルケエスパーニャの位置を睨んで宿探し。大手どころのテーマパークは、アトラクションに行列ができるのが常識。よって、開園直後に入園し、体験したいアトラクションは、早めに体験してしまうのが良い。入園者が増えてきたら、今度は、見学や買い物に移るべきである。パルケエスパーニャの最寄り駅は、近鉄磯部駅。この駅前に立つリゾートイン磯部は、インターネット上に空き室情報がある。ページ上では満室だったが、直前のキャンセルがあるやもしれぬと思い、電話。見事に、ツイン1室を確保した。一泊朝軽食付きで一人四千円。
 第三泊目。リゾートイン磯部に、連泊したかったのだが、空き室がない。さりとて、大手の宿泊先は、どこも満室である。どうやら、この時期、シーズンオフに突入するので、格安パック旅行の客で、部屋を埋めているらしい。そこで、少々、値が張るのは覚悟の上で、合歓の郷に一泊することにした。思い起こせば、二十年前、志摩の地を訪れながら、資金不足で宿泊できず、通り過ぎたことがある。あの頃、合歓の郷や志摩観光ホテルに泊まることなど、夢にも考えられなかった。ムカデ妻は、「値段の割に大したことはないから、止した方が良い」と言ったが、私は、意地で、合歓の郷に電話をかけた。ホテルの方は満室で、ヴィラ(二戸一棟の洋風長屋)を予約。料金は、一泊二食付きで、何と一人二万二千円。男の意地とはいえ、少々、高すぎたと反省しても後の祭り。温泉とプールでも利用して、元を取ろうと覚悟を決めた。男の意地など振り回して、ろくなことになった例しはないが、それでも、これが捨てられぬ。男はつらいものである。
 荷物といっても、必要な物は着替えだけ。今回は、カメラ、ハンドヘルドPC、携帯電話がオマケである。もちろん、荷造りは自分でする。同行しないムカデ妻が、手伝ってくれるはずもない。「手伝わぬということは、土産無しで文句は言わぬ」ということだと思えば、腹も立たない。大体、旅に出て土産を買うのは嫌いである。土産をもらっているところに、わずかばかりを買ってくるだけと決めている。
 かくして、旅立ちの準備完了。明日は、起きたとこ勝負で、出発するだけである。

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