お釈迦様の生涯 (4)

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝


法伝  お久しぶりです。お元気でしたか。

本住  全く、どこをほっつき歩いていたんだ。お釈迦様の出家の話をするはずだっただろう。お前の、いい加減な性格は直らんなあ。

法伝  実は、今、電網保育所を建設中でして。

本住  やはりそうか。聞いているよ。賽の河原保育所とかいうんだろう。

法伝  まあ、まだ、用地買収が終わったばかりなんですけれどねえ。忙しくて。まあ、そう怒らずに、お釈迦様の修業時代の話をしてくださいよ。今日は、茶菓子抜きで我慢しますから。

本住  ではそうするか。出家したお釈迦様は、アーラーラ・カーラーマという仙人(行者)を訪ねられている。この仙人が達していた境地は、「無所有処(むしょうしょ)」という。

法伝  「無所有処」については、またの機会にしましょう。難しいから。

本住  それが賢明だろう。なまじ、中途半端に難しいことを憶えると、インコ真理教の御教祖様みたいに、消化不良を起こしかねない。

法伝  あの、それ、インコじゃなくて、オウムです。

本住  そうか。あまり小粒なので、インコかと思っていたよ。

法伝  お釈迦様は、この師匠と同じ境地に達するんでしょう。  

本住  そうだ。しかし、それでは満足できずに、この仙人の下を離れる。そして、次に訪ねられたのが、ウッダカ・ラーマブッタという仙人だ。

法伝  この人は、どういう仙人だったんですか。

本住  「非想非非想処(ひそうひひそうじょ)」という境地に達していたという。

法伝  これまた難しいですねえ。パス。

本住  とにかく、この二人の仙人に共通していたのは、禅定(瞑想)によって、世俗的な煩悩は、すでに克服していたが、お釈迦様が求める境地には到達していなかったということだね。だから、お釈迦様は、この仙人の下も、やがて離れられる。

法伝  お釈迦様というのは、完全主義者だったんだ。

本住  うむ。「聖求経(しょうぐきょう)」の記述では、そういうことになっている。しかし、それだけではないのかもしれないね。禅定は、後に仏教でも採用されるのだから、間違った修行方法ではない。問題は、当時のインドでは、一方に、禅定さえすればいいのだ、という風潮があったのだ。お釈迦様は、この、禅定だけすれば良いという態度に疑問を持たれたのかもしれない。  

法伝  あれ、禅定だけではダメなんですか。

本住  ダメだろうね。瞑想したら、必ず良い結果が出るというものではない。ときには、独り善(よ)がりで、自分勝手な世界に埋没していく。禅宗が、師資相伝といって、師匠から弟子へ、直接に法を伝えるという形式にこだわる理由はここにある。

法伝  なるほど、それで、オウムがインコになったんだ。

本住  まあ、そういうことだ。

法伝  二人の仙人の下で、禅定を経験されたお釈迦様は、次に、苦行の世界に飛び込まれるんですよね。

本住  そう。お釈迦様は、ウルヴェーラーという村の近くで、コンダンニャをはじめとする5人の修行者に出逢われる。

法伝  そして、極端な苦行生活に入られるんですね。

本住  断食、逆さ吊り、茨の上に寝る。さっき、当時のインドには、禅定さえすればいいという風潮があった、と言ったが、それ以外にも、苦行こそが、悟りに到る道だと考える人々が多くいたんだ。だから、苦行のタネには、事欠かなかった。

法伝  それにしても、どれも辛そうですね。

本住  それが目的だからね。「スッパニータ」によれば、お釈迦様は、やせ細って、顔色も悪く、死ぬ一歩手前の状態まで頑張られたらしい。

法伝  どうして、苦行をおやめになったんですか。やはり、辛すぎたかな。

本住  たわけ。お釈迦様は、後に、苦行時代を振り返って、悪魔の誘惑には負けなかったと、述懐されている。お前とは違う。自分より偉い者を、自分のレベルにまで引きずり下ろそうとするのは、ゲスだ。お釈迦様は、身心を苦しめても、自分の求める境地にはたどり着けない、と考えられたのだ。

法伝  怒らないで下さいよ。まあ、確かに、こころの安らぎを求めて出家したのに、苦しむばかりでは、おかしいですよね。

本住  まあ、確かにそれは言えるわな。さて、ここで、これまでのお釈迦様の人生を振り返ってみて、何か思うところはないかい。

法伝  ご苦労なさったなあ、と。

本住  あほ。それだけか。

法伝  ???

本住  いいかね。お釈迦様は、「酒にも女にも不自由しない快楽の生活」を捨てて出家する。「禅定だけしていればいい」という修行方法を捨てる。「苦行こそは、悟りに到る道」だという考え方とも決別されたんだよ。

法伝  そうか。当時のインドで支配的だった、というか、代表的だった修行や考え方を、全て否定されたわけですね。

本住  そうだ。お釈迦様の生涯については、本当のところは、よく解らない部分が多い。だから、後の者が、仏教の教義に合わせて、お釈迦様の生涯を潤色したのかもしれない。しかし、一般的に言えば、人の生涯と、その思想は、関連することが多いだろう。

法伝  そうですよね、確かに。快楽主義でもなく、苦行主義でもなく、禅定主義でもなく、か。これが、中道(ちゅうどう)ということなんですね。

本住  うむ。そして、お釈迦様の修行は最終段階へと突入する。

法伝  次回を、乞う、ご期待。

本住  おいおい、もう終わりかい。

法伝  ついに、茶菓子も出なかったし、犬の散歩の時間ですから。さようなら。