木洩れ日抄 115 「創作の現場」は私たちの「内側」にある────劇団キンダースペース「六月 六本のモノドラマ」を観て
2025.7.3
劇団キンダースペースといえば、「モノドラマ」、「モノドラマ」といえば、劇団キンダースペースである。他の劇団で「モノドラマ」をやることはない。それほど「モノドラマ」は、独自のものであり、他にマネのできないものなのだ。
「モノドラマ」は、「一人芝居」とは違って、独自の創作脚本を持たず、既成の文学作品を、アレンジはするものの、一人の役者が「読む」あるいは「演じる」のだが、この「読む」と「演じる」が絶妙に混じりあう。
「朗読」は、原則的にはその場に立つか座るかして、作品を読むのが普通だが、「モノドラマ」は、簡単な舞台装置があって、役者は自由に動きまわる。何人かの登場人物を演じ分けつつ、「地の文」も読む。その兼ね合い、ブレンドの仕方にこそ、原田一樹が発明した「モノドラマ」の真骨頂がある。
時にまた原田一樹は、「モノドラマ」は、「文学と戯れることだ」とも言う。それは文学を「素材」にするのではなく、文学そのものと直接「戯れる」ことだろう。
ぼくらは小説を読むとき、話の筋を追って夢中になって読みすすめる。読み終わった後、ああ、おもしろかった、とか、なんだ退屈だったなあとか、なんらかの感想をいだいて、それで終わりだ。
けれども、ある小説を「モノドラマ」として演じるとなると、演者や演出家は、時間をかけてその「小説そのもの」に向き合う、向き合わざるを得ない。その中の1行がどういう意味を持っているのか、確かめ、演じて、いや違う、こういう思いがこもっているんじゃないか、いや、それはどうかなあ──そういったやりとりが、役者や演出家の間で繰り返し行われる。それこそが「戯れる」ということなのだ、とぼくは理解している。
「精読」という方法はある。けれども、言葉を声として出してみて、さまざまな検討をする。その「声」を役者の「内なる声」に変換する。あるいは、そこに「音」や「音楽」を合わせ、そこに「光」を合わせる。なんという楽しい、そして豊かな「戯れ」だろう。そして、観客は、その「戯れ」が、どこまで深く役者の身体と絡み合い、あるいはその果てに同化し、さらにはどこまで「演技」を超えた世界を指し示しているかに、見入ることになる。今回の「六月 六つのモノドラマ」は、Aプログラムは〈志賀直哉『范の犯罪』西本亜美〉〈トルストイ『火は早いうちに消せ』森下高志〉〈山本周五郎『ひとごろし』古木杏子〉の3本、Bプログラムは〈モーパッサン『椅子直しの女』岡田千咲〉〈菊池寛『藤十郎の恋』杉本朋美〉〈中島敦『文字禍』林修司〉の3本だ。(いずれも上演順)
Aプロは、「善と悪の交錯」、Bプロは「伝えきれぬ恋と歴史」と、のそれぞれに共通したテーマが掲げられている。今回は、そのテーマが、洋の東西を超えて、響き合い、見事な舞台となっていた。『范の犯罪』は、ずいぶん前に読んだが、今回舞台で見て、そこに描かれていることが、ぼくが今それこそ「精読」中の『暗夜行路』に共通している部分が多いことに改めて驚かされた。そのことを論じた論文があるのは知っているが、そこまで目を通していたわけではないので、そうか、志賀は、妻の「不貞」を「許す・許さない」の葛藤を、すでにここで描いており、それを『暗夜行路』にまで発展させていたんだなと感慨深かった。自分に妻への「殺意」があったか、なかったかは、「分からない」と范はいう。その「わからなさ」は、『暗夜行路』の謙作が、妻を列車のホームに突き落とすというあり得ないような残酷な行為をなぜ自分がしてしまったかが「分からない」ことへと真っ直ぐに通じている。
自分の心の中には、得体のしれない塊があって、それをどのようにしても解体できない。キリストの教えをもってしても、その塊を溶かすことはできない。そうであれば、その塊を抱いたまま生きていくしかない。「許す」とか「許さない」とかいった言葉は、なんの解決にもならないんだというのが、志賀の思いだったのだろう。
原田一樹は、「モノドラマはこの創作の煩悶を俳優の身体に落とし込む試みです。」と言うのだが、まさに、『范の犯罪』は、志賀が何にこだわり、何に傷つき、何から解放されたかったのかが詰め込まれた小説なのだといっていい。
若い西本亜美は、この難しい課題に全力で取り組んだ。なにしろ「相手」は、岩の塊のような始末におえない志賀直哉だ。頑固で、超のつくエゴイストで、自分の快・不快をいつも全面に出して憚らない志賀直哉だ。その志賀の煩悶を、西本は背負い、我が物として、舞台に示さねばならない。それは西本には重荷であったかもしれないが、范の吐き出す「分からない」という言葉は、確かな手応えをもって、アトリエの空間に放り出された。范の投げるナイフは、「殺意」のありかを深い闇に包みながら、舞台を鋭く切り裂いた。絶妙な音響とのコラボで、緊張感に満ちた時間・瞬間が、舞台を満たした。あまりの見事さにうなってしまった。西本亜美の成長に驚いた。次は、ベテラン俳優森下高志の『火は早いうちに消せ』。アトリエでの「モノドラマ」は、9年ぶり(?)とか言っていたが、貫禄たっぷりの森下は、そのキャリアを全開にして、ささいなもめ事が、やがてとんでもない悲劇を生み出し、しかしその果てに和解を見出すドラマを、まるで長編の映画でも見るかのように、目の前に展開してくれた。鮮明なイメージ、ぶつかりきしむ感情の噴出、憎悪の拡大の中で、喘息もちのジイサンのまるでキリストの言葉のように響く諫めの声。小説をただ読んだだけではたぶん伝わらない作家の「熱」が、森下の充実した肉体によって、舞台に現れた。まさに「モノドラマ」の極北である。森下高志の長きにわたる精進の結果である。
Aプロの最後は、これもベテラン俳優古木杏子の『ひとごろし』。古木にとっても「モノドラマ」は久しぶりだったというが、ここで、古木は今までの持ち前の低い声をいかした抑えた、内向的な演技スタイルをかなぐりすて、ほとんど「モノドラマ」の外へと飛び出した。古木のまるで「地を這うような」セリフまわしに魅了されてきたぼくは、今までの「モノドラマ」の中でもいちばん運動量の多いこの『ひとごろし』には我を忘れて、こころゆくまで楽しんだ。名人芸というしかない。古木が舞台に描き出したドラマは、古きよき時代の時代劇を彷彿とさせるものがあり、また、そこにこめられた「弱さ」こそ力なのだというメッセージが、笑いの中にも強く観客に訴えかけるものがあった。芝居を終えての挨拶が、満面の笑みだったことも忘れがたい。
Aプロの3作品は「善と悪の交錯」としてまとめられているが、原田一樹の言葉によれば、キーワードは「分からない」ということだ。いちばん「分からない」が前面に出ているのは『范の犯罪』だが、『火は早いうちに消せ』においても、どうしてこんな些細なことが大きな衝突へと展開してしまうのか「分からない」。それはもちろん、今、世界中で起きている戦争につながる話でもある。『ひとごろし』では、上意討ちを命じられた臆病者の六兵衛は、どうやったら剣術の達人仁藤昂軒を討ち取ればいいのか「分からない」。やがて、自分の「臆病さ」が分からなくなる。臆病とか勇敢とかいった言葉がだんだん意味をなさなくなってきてしまう。
結局のところ、人間というものは「分からない」ものなのだ。心の中に「分からないもの」を抱え込んで生きていかねばならないものなのだ。安直な解決はない。だからこそ、文学が必要になる。文学は、「分からない」ということに耐え、とどまり、問いつづける営為そのものなのだから。まれにみる充実度のAプロだったわけだが、それで充分に満足して帰ろうと思っていたのだが、アトリエに着いたとき、ちょうど入口あたりで出会った林修司君が、ぼくの出るBプロは見てほしいと言うので、体も思ったより元気で、これならBプロも見ることができそうだと思い直した。幸い、若干席が残っていたので、見ることができた。
これがまたよかった。Aプロには、森下、古木の両「巨頭」が出ているが、Bプロには、そういう「古参」は出ない。だから、正直なところ、Aプロよりは落ちるかな、と思っていた。しかし、そうではなかった。
まだ若手の岡田千咲は、入団の頃から知っているが、Aプロの西本亜美同様に、確かな成長ぶりを示した。舞台の端での最初の一声が、素晴らしかった。真っ直ぐで、明快な声。「愛」を「金」でしか表現できない貧しいジプシー女の50年にもわたる一方的な恋。まったく一筋の毛ほども報われない恋。切ない話である。その切なさを、岡田は、どこまでも可憐にいじらしく表現していて、心を揺さぶられた。
Bプロのテーマは「伝えきれぬ愛と歴史」だ。なるほど、「愛」を「言葉」に変換すれば、相手に無視されようともその「愛」は「伝わる」(少なくとも表面上は)。けれども、「愛」を「金」で表現しようとしても、たとえば相手が金持ちであれば、伝わらない。一銭の「金」がなくとも、「愛している」の一言で、「伝わる」ときは「伝わる」。それが「言葉」というものだ。だが「金」そのものには意味がない。「言葉」そのものには意味がある。「愛」の「言葉」のつもりだった「金」が、男には「愛」だと気づかれない。男は「分からない」のだ。ここでも「分からない」は依然としてキーワードだ。『藤十郎の恋』は、恥ずかしながら、未読だった。そうか、こういう話だったのかと今頃になって感心しているのもマヌケな話だが、「モノドラマ」を見続けていると、こういうことは稀ではない。ぼくの読書量が圧倒的に不足しているからだが、そういう意味でもキンダースペースの「モノドラマ」は、ぼくにはありがたい存在なのだ。
この舞台は、入団2年目の杉本朋美が演じたが、藤十郎が、芸のために人妻の「お梶」に言い寄るシーンのセリフは真に迫っていて、その後の「お梶」の自死が充分に納得されるリアリティを持っていた。実力者である。藤十郎の「言葉」が、果たして芸のための「虚」であったのか、それとも、そこに「実」があったのかは最後まで「分からない」。その「分からなさ」を心に抱いたまま、藤十郎は役者として生きつづけ、「お梶」は死を選ぶ。その二者が暗い闇に交錯するラストシーンは、見事だった。『文字禍』は、ある意味、「モノドラマ」でなければ舞台化できない作品だとも言える。「言葉なんか覚えるんじゃなかった」というのは、戦後詩人田村隆一の有名な言葉だが、まさに「言葉」によって、人類は不幸になった。この「言葉」の延長線上に「科学」があり、「技術」があることを思えば、その「不幸」こそ、今、我々が日々実感していることに他ならない。
「ウマ」という音を持つ「文字=言葉」と、動物としての馬の実体とがどうしてこんなにも「必然的」につながっているのか。「ウマ」と聞いて(あるいは読んで)、人間はどうしてあの「馬」だと了解するのか。そうした疑問は、言語学の入口だけれども、「ウマ」は単なる「記号」だよとしたり顔で答えてもしょうがない。記号としての「ウマ」と、実体としての「馬」の「あいだ」に、その二つを結びつけている「霊」があるんじゃないのか、そう中島敦は問うのだ。
しかし、いくら問うても「分からない」。人間の「歴史」も、「文字=言葉」で記されてきたものである以上、それがほんとに人間が生きてきた「事実」とは必然的に乖離しているだろう。まして、「文字=言葉」で記されなかった「歴史」は、我々には「歴史」として認識することすらできない。「歴史」は、どうしても「伝えきれない」のだ。
こうしたいわば哲学的な問題を、正面から問う『文字禍』は、「演劇化」が最も難しい小説だといってもいいだろう。しかし、ドラマとは「葛藤」だとすれば、この「文字=言葉」と「実体」との考えれば考えるほど複雑で入り組んだ問題が孕む「葛藤」は、なまじな人間内部の心理的な「葛藤」を遙かに超えるドラマであるとも言えるのだ。そして、そのドラマに真正面から取り組んだ、林修司の「モノドラマ」は、観念の世界の葛藤を、役者自身の身体によって目にみえるものとして表現することに、見事に成功した感動的な舞台だった。
思えば、アトリエの入口で、林君に声を掛けられなければ、ぼくはあやうくこの「名作」を見逃すところだった。6月というのに、真夏のように暑い日だったが、老躯に鞭打って、西川口まで出かけてほんとによかった。この西川口のアトリエも今年いっぱいで終了ということは、長く親しんできたぼくにとっては辛く寂しいことだが、あと1回、10月の「モノドラマ」の公演を楽しみに待ちたいと思っている。
原田一樹は、こう言っている「創作の現場は私たちの内側にあります。煩悶に向かう覚悟を失わない限り、そして、受けとめようという意思を示していただける観客の皆さんの存在がある限り、歩みを止めずにいたいと考えております。」
そう、創作の「現場」は、私たちの「内側」にあるのだ! 「煩悶に向かう覚悟」を失うことなく、ぼく自身も何とかして歩んで行きたいものだ。
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モノドラマは俳優たちが一人で稽古を重ね、技量を高め、独自の演目を持つために企画され、今は亡き目黒幸子さんや斎藤昌子さんら諸先輩の参加も仰ぎ、公演を重ねてきました。劇団の創設17年目のことです。もちろん基本は変わりません。しかしその内、この試みの持つ別の意味も重ねて意識されるようになりました。
モノドラマの多くは近代日本の短編を題材とします。明治から戦中戦後にかけ、文学者たちの根底にあったのは、わが国の近代が自身の必然から生まれたものではなく外からの揺動であったという不安定感です。その後の現代まで繋がるわが国の社会自体の浮遊感覚もこれと無縁ではありません。昭和も100年を迎えました。私たちは何を失い、何を曖味にしてきたのか……
モノドラマに創作としての独自性があるとしたら、それは俳優が作家の創作衝動を「身体」の実感として生きることです。私たちはかつて何に触り、何を感じ、何を幸せあるいは不幸せとして生きてきたのか。それを観客と共に、舞台の実感として共有します。もし、私たちの「根底の不安」に東西の差異があるとしたらどこなのか、どこまで降りれば共通なのか。今回は、近代ヨーロッパ、ロシアの作家における創作衝動も見つめつつ、展開したいと考えています。原田一樹
モノドラマは、アトリエでの公演を前提に99年にスタート、その後、キンダースペースではアトリエ以外の空間でも、最も上演の多い演目となりました。もちろん登場する俳優が一人、装置は抽象的でいっぱい飾りを必要としないなど、機動性の良さによります。一方で「一人」というのは、観客に必要以上の集中を強いる場合があり、初めて演劇に触れる高校生などにとってこの観劇がふさわしいのかという危惧、つまり演劇は退屈だ、と思わせてしまうのではと怖れてもいました。
もちろん、たくさん人物が出ていれば退屈ではない、ということはありません。ドラマの基本は葛藤です。どれだけ人が出ていようと、そこに多様な価値観に揺れる葛藤が描かれていなければドラマは退屈であり、登場人物がたった一人でも、その内側に深い葛藤と揺れが描かれていればドラマはうねります。
モノドラマの場合、その葛藤の基本は原作者の創作行為にあります。なぜ、そこに筆を下ろしたのか、何を描こうとしてもがいたのか。どのような煩悶が文字の向こうに描かれているのか。文芸に限らず、優れた作家の創作衝動は強く深いものです。時代、社会との軋轢、存在への疑問と渇望。モノドラマはこの創作の煩悶を俳優の身体に落とし込む試みです。
文学は、あるいは芸術は何の役に立つのか、という問いかけは、いつの時代も繰り返されてきました。しかし、この問いかけ自体が消費社会の経済活動を前提にしています。「何かの役に立つ」その「何か」それ自体は、いつ、どのようにして造られたものなのか。それを前提にすることを問わずにいいのか。あらゆる芸術創作は常にこの問いかけと伴にあります。
キンダースペースは、今年限りをもってこのアトリエを去ることになりました。私たちにとっては問いかけと創造の場でも、消費社会の中ではここは一つの不動産です。もちろん、芸術創作は不動産を前提にするものではありません。創作の現場は私たちの内側にあります。煩悶に向かう覚悟を失わない限り、そして、受けとめようという意思を示していただける観客の皆さんの存在がある限り、歩みを止めずにいたいと考えております。
本日はご来場ありがとうございました。原田一樹
Aプログラム
〜善と悪の交錯〜
『范の犯罪』志賀直哉 1913年「白樺」/作者の従弟が同じような夫婦関係から自殺したことを直接の執筆動機としている。『城の崎にて』にも言及があり「范の妻の気持ちを主にした」創作もしたいとあるが果たしていない。女性を描けていない自覚はあった。明治以降、知識人の社会への不適合の実感は、表面的な西洋化による。志賀はここに「自我の肯定」を強く出した。不適合を自己暴露した私小説とも、自身も属する「白樺派」の理想的個人主義とも異なる。范は「本当の生活」を求め「聖書」を読む。が「神」は彼の心には響かなかった。
『火は早いうちに消せ』レフ・トルストイ 1885年「トルストイ民話集・人は何で生きるか」所収/『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』の成功により世界的文豪となった作者は、その後、死の前の無意味に精神を病む。たどり着いたのがイエスの「山上の垂訓」に基づく「神」の言葉。民話創作は自身の救済のためでもあった。本作は「右の頬を打たれたら〜」「汝の敵を愛せ」等の『マタイによる福音書』の実質的な局面を示す。この「回心」を経た後は思想、宗教活動に献身。ガンジーやキング牧師に影響。武者小路実篤、志賀直哉らの「白樺派」もトルストイズムによる。トルストイ本人は『復活』によりロシア正教会を破門。
『ひとごろし』山本周五郎 1964年「別冊文芸春秋」/生涯に300を超える作品を描いた。大衆作家とみなされがちだが、多くは近代以前のわが国を舞台に武士道、儒教、仏教とも異なる「共感」を描いた。私たちは何に心を動かし、何を拠り所に共同体を維持して来たのか。本作は延享三年=1746年が舞台。元禄から40年。「死ぬこと」と見つけた武士道も無実化、大衆社会の中でどう生きるのか。ラストの[およう]の言葉は周五郎の他作品を参照。原作にはない。近代法が決める善悪に「我」を対置した志賀。善も悪も神なくして語らないとするトルストイ。周五郎はそこに近世に私たちが自ら育んだ「情」を置いた。
Bプログラム
〜伝えきれぬ愛と歴史〜
『椅子直しの女』ギ・ド・モーパッサン 1882年“Le Gaulois”(フランスの政治・文芸誌)/40才前後より不眠症、麻酔中毒、精神疾患。42才で自殺未遂。生涯独身で 43才で死去。自然主義の申し子。皮肉屋、冷笑、シニカルと言われるが、それは健康な社会適合者からの見方。実弟は同じ先天性梅毒で入退院を繰り返し、本人も20代より神経の異常を自覚。そこから作家はどのように手を伸ばしたのか。本作の主人公は文字も読めないジプシー女。彼女にとっての「愛の言葉」は現金の他は無かった。「人生」を左右するのは思い込みや決意ではなく些末な巡り合わせ。なお 1F(フラン)は100サンチーム。1sue(スー)は5サンチーム。現在の価値では1Fは約2,813円。
『藤十郎の恋』菊池寛 1919年大阪毎日新聞/モーパッサンがシニカルであるならば、自著に他人の名で高評価の解説を書いた菊池はどうなのか。「文藝春秋」創始者。同期の芥川に比べれば遥かに社会に適合出来ていた。本人も「させる才分なくして、文名を成し」としている。『恩讐の彼方』にしても『忠直卿行状記』『形』にしても、人がある立場に立ってしまった時に陥る狂気を描いている。「恋愛」も、歌舞伎の名人にとっては舞台で表現する所作以上のものではない。同化せず、「才分」を求めず、近代個人主義的な立場を貫いた。『文字禍」『文字禍』中島敦 1942年「文學界」/『古潭」の二作品として『山月記』とともに発表。この年の十二月に33才で亡くなる。文壇に入ることのなかった作者は従来の文学の枠組みの外で創作を捉えた稀有な存在。人類は文字を得てから、論理(=記述)の枠組みの中で世界を捉え、また捉えうると錯覚して来た。文字は言葉とも文明とも置きかえられる。精霊を信ずる古代から、デマや陰謀を言ずる現代までの間、人類はどれほど進歩したのか。文芸は「見あやまること」「迷うこと」「間違うこと」「歴史に書き洩らされたこと」を扱う芸術。本作のラストは皮肉でも無意味でもない。粘土に記された文字は粘土に戻る。文明もまた、自然の中に生まれた線の交錯。認知が崩れた時、人は自然に戻る。
原田一樹