私たちは、普段の暮らしの中で、自分でも気付かないうちにいつのまにか奇妙な世界への扉を開けてしまっていることがあります。

 普段暮らしている世界とは少し違った、そう。奇妙な世界。

 今回その扉を開けてしまった青年の名は……。


「世にも奇妙なToHeart」


<壱>「赤い髪の幼なじみ」

 俺の名は藤田浩之。普通の都立校に通う普通の高校生だ。

 それにしても俺の高校生活ってやつは、なんていうか刺激に欠ける。毎日毎日特に何も起こらないまま過ぎていく退屈な日常。まあ、俺の性には合ってるんだろうが、こーまでなんにもないと、たまには事件でも欲しくなるぜ。

 もっとも、そんな考えがいかに贅沢なものだったか、俺はすぐに思い知ることになったのだが……。


 放課後。

「おーい。あかりー。けーるぞー」

 俺は幼なじみに声をかけた。神岸あかり。幼稚園からの腐れ縁で、なんとなくいつも近くにいる存在。

 気心が知れていていいんだが、たまにそれを重く感じることもあって、それでもいつの間にかまたいつものとおりに接している。俺にとってそんな存在だったはずなんだが……。

「痛!」

 思いもかけず肩に掛けた手を強く払われて、俺は思わず声を挙げた。なんだってんだ? 知らない女子にいきなりこんなことをしたらそりゃあまずいかもしれないが、そんな仲じゃないはずだろ……。

「あら、ごめんなさい。でも……」

 しかし、あかりの声と態度はずいぶんとよそよそしいものだった。

「一緒に帰って、噂とかされると恥ずかしいし」

 ちっとも恥ずかしくはなさそうにそう言うと、サヨナラ、とばかりに一人でさっさと教室を出ていった。後ろ姿が声をかけられることを拒んでいる。

 あまりの事態に俺は呆然したまま取り残された。


<弐>「親友」

(あかり、今日機嫌悪かったのかな……。くそ。それにしたってあの態度はないよな。矢島のヤツもビビってたし。……良し。明日の朝は「犬チックの刑・弐式」の出番だぜ。危険なので真似しないでください)

 なんとなく理不尽な目にあった気分の俺は、居心地の悪い気分で一人で帰ることにした。そこへ。

「浩之―!」

「おお。雅史」

 やはり幼なじみの佐藤雅史がやってきた。

「帰るんだったら、一緒に行こうぜ」

(……「ぜ」?)

 普段の雅史があまり使わない言葉だ。

「どうした?」

「い、いや、なんでもねえよ」

 なにかが違う。そんな気がした。

「なんでもないってことはないだろう。なに遠慮してるんだよ! 親友の俺様に、なんでも相談しろって!」

 ……。

 なんだか、今日はまた妙に馴れ馴れしいが。

 まさか、「お前、変じゃねえか?」とは言えねえし。

 しつこい雅史に対して、とりあえず俺は先ほどのあかりの態度について話をふってお茶を濁すことにした。

「いや、あかりのヤツがよ……」

「ああ、神岸さんね。ちょっと待ってくれよ……」

 なにやら懐から取り出した分厚い手帳を、鉛筆なめなめめくり出す雅史。しかし、神岸さんとはまた他人行儀だな。などと思っている俺の横で。

「えーと……。あったあった。耳かっぽじってよーく聞けよ。神岸あかり。身長157cm。体重は秘密。二月二十日生まれの十七歳。学校ではお料理クラブに所属。血液型はO型で、スリーサイズは(俺内部検閲機関出勤)

 ――込みが激しくて融通が利かないところがあって、結果他人に迷惑をかけることのあるマイナス面を性格のよさでカバーする無意識外交の達人。これは自分に欠けたモノを相手に求めようとするエゴを中心とした恋愛観にも及ぶが、自己暗示で巧妙にカモフラージュされているため普段意識の表層には上がらない。自覚がないという点で非常にたちの悪い偽善(俺内部検閲機関勤務)

 ――と裁縫道具。あとは二段式の弁当箱。これは最近の女子高生の鞄の中身としては(俺内部検閲機関残業)

 ――ッカーに仕掛けたカメラの(俺内部)像によれば結構着(検閲機関)タイプ(残業)なみに、こないだの体育の見学理由は(逃亡)」

 数分後。

「……ってとこだな」

 プライバシー保護という言葉が泣いて逃げ出す量の個人情報をリークし終わった雅史の前に俺の姿はなかった。恐くなって逃げ出したのだ。


<参>「電車がモロ混みでサー」

 なにかがおかしい。なにかがおかしい。

 手帳にビッチリ書き留めたデータを読み続ける雅史に感づかれないように忍び足で逃げ出した俺は、だんだんと歩調を早めながら蒼い顔で廊下を歩いていた。

 雅史はあんなヤツじゃない。普段からすっとぼけてはいたが、とにかくあんなキャラじゃない。手の込んだギャグということも考えられるが……。

 そこでハタと気がつき、足を止めた。

 あれがギャグだとしたら。こういうはた迷惑な大仕掛けを仕込むヤツとしたら……。

 一つの確信を持って再度歩き出した俺の前に、まさに「ヤツ」が姿を現した。

「あっ。ヒロじゃん。チョー偶然! イエメンの首都はサヌア」

「どやかましい」

 おれはとりあえずそいつの頭を一つはたいた。 長岡志保。雅史やあかり達ほどじゃあねえが、中学以来のつき合いだ。こいつとの関係こそまさに腐れ縁と言っていい。

 ……なんか、発言に変なところがあったような気もするが、とりあえず無視だ。

「よお。ずいぶんと面白いネタをカマしてくれたようじゃねえか。まったく……。まんまとひっかかるところだったぜ」

「……へ? 1ヤードは3尺0175」

 まだシラをきるつもりなのか不審な顔をしてやがる。演技だとしても大したもんだ。

「とぼけんなよ。ネタはあがってるんだぜ。どうせ俺がオロオロするところを見て影で笑うつもりかなんかだったんだろーが……。あかりや雅史を引き込んだところまでは良かったが、俺の方が一枚上手だった。ってことだ」

「だからなんの話ー? ……っていうかさー、なんでいきなりヒトの頭をはたくわけ!? そーゆーのってちょーヒドくない? ジンケンムシ、って感じ? ってゆーか、東海道五十三次は品川、川崎、神奈川、保土ヶ谷……」

 しまった。こいつ、「怒ってごまかす」気だ。わけのわからないことを「戸塚、平塚、藤沢、大磯……」と迫るこいつを理屈でとっちめようとしても無駄のようだ。ここは一つ、証拠を掴むしかねーな。

 あかりか雅史を捕まえて、こいつがおかしなネタで俺をハメて笑いものにしようと持ちかけたことを聞き出す。それが先決だな。

「へっ。待ってやがれ! 今、動かぬ証拠を掴んでやるぜ!」

 言い捨ててきびすを返し駆け出す。

 ……結局、いつもこうやって志保のペースにハマっちまう。ヤレヤレ、我ながらつき合いがいいぜ。

 ……それにしても、あいつの言葉の端々に出てきた妙なセリフ。あれはもしや。

 雑学、なのか……?


<四>「泳げねえ」

「はろー。浩之」

 教室に帰るとあかり達はもういなかったが、レミィが手を振った。 レミィ=クリストファ=ヘレン=宮内。天真爛漫。アメリカの大地が育んだ大らかな性格と大いなるバディを持った金髪美人だ。

「ナイスだレミィ。お前、志保からなんか俺に……」

 ……?

 俺はふと違和感を覚えて会話を止めた。

 アメリカが育んだ。レミィはハーフだ。そう。筆記はともかく会話は完璧。レミィの「hallow」は米語の発音で「ヘロウ」と聞こえるはずなんだが……。

 今の、メチャメチャ日本語英語じゃなかったか?

「レ、レミィ」

 思わず知らず冷や汗をかき、一歩引きながら俺は訪ねた。

「今日ちょっと、声、とか変じゃねーか?」

「りありー? 本当に?」

 小首を傾げたかわいらしいポーズで。しかしよく見ると髪型がかなり変だ。ガンダム前髪とでも言おうか。そして手に持っている……弓。

 なんだかソワソワしているレミィ。

「ところでちょっとだけ試してみたいことがあるの。あーゆーおーけー? 頼まれてくれないかしら」

「お、おう。俺にできることなら」

 キラーン。

「あいむぐらーっど。とても嬉しいわ。それでは……」

 矢をつがえるレミィに、俺は背を向けて駆け出していた。深い意味はない。レミィも冗談でやっているに決まっている。問題ない。問題ない。

 自分にそう言い聞かせつつも、俺は階段を駆け下りて逃げた。


<五>「毎日電話されたら怖いです。普通」

「うわっち!」

 急いでいた俺は、階段の途中で一人の女生徒を突き飛ばしてしまった。あわてて手を引いて倒れないように支えてやる。

「悪ぃ悪ぃ。急いでたもんで……。あ、先輩か」

 その女生徒は、こくこくとうなずきを返した。 何を隠そうこのお方こそ我が校一のお嬢さま。来栖川財閥のご令嬢、来栖川芹香さまそのひとである。

「……え? なんだって?」

 この人は内気な性格のせいか声が小さい。だからいつも俺が復唱しながら会話を進めるような形になる。 それはいいんだ。それはいいんだが、その台詞の内容があんまりいつもの先輩と違うもんで、俺は思わず聞き返しちまったんだ。

「え、ええと、良く聞こえなかったんだけれど、「気をつけてくれたまえよ、貧乏人。まったく。そんなに急いでどこへ行くのやら。貧乏ヒマなしとはまさにこのことだな。はーっはっはっはっは!」 ……で、いいのかな?」

 こくこく。

 先輩はさらにぽそぽそと続けた。

「……「その点僕のような金持ちは君と違って時間も買ってしまうことができてね。毎日執事に車で送り迎えさせているから、君のように僅かな時間を惜しんでバッタのように飛び回る必要もないというわけさ! まったく。庶民というものは大変だねえ。僕ならそんな生活には耐えられないよ。はーっはっはっはっは」」

 こくこく。

「……「やれやれ。仕方がないな。哀れな君のために僕が真に豊かな生き方についてレクチャーしてあげよう。まずは……」」

 ……。

「悪ぃ。先輩。今急いでんだ」と。

 その一言を言い出すにはかなりの勇気が必要だった。もうワンセット自慢のあとで開放しては貰ったが……。

 ……先輩、どうしちまったんだ?


<六>「レインボー青春!」

 あのマイペースな先輩が志保の野郎の度を超したいたずらに加担しているとはちょっと考えられねえが、だとしたらこれはどういうことなんだ? みんながおかしく……。

 バカな! 嫌な考えを首を振って追い払い、俺は一階の廊下を歩いていた。

「あ、あの、先輩! つーか根性?」

「……ん? ああ、葵ちゃんか」

 破滅的におかしな呼びかけにやや警戒しながら振り向いた先には、一年生の松原葵ちゃんがいた。若いながらも格闘技の使い手で、恥ずかしながら俺程度では相手にもならない実力の持ち主だ。

 真面目でとても良い子だしちょっと言動が変なのはきっと志保に言われて仕方なくだろう。あの野郎。先輩の立場をかさに着て葵ちゃんにまで……。

「葵ちゃん。志保になにを言われたかしらねえが、普通に喋ってくれていいんだぜ」

「は、はい! わたしは普通に喋ってます! つーか根性?」

 ……根性? 嫌な感じだ。まるでホラー映画で味わうような「ほら! ここで来るんだよ!」と言わんばかりの……。

「あ、葵ちゃん、悪いんだけど……」

 暇乞いよりも早く、

「あ、あの、先輩! お弁当作ってきたんですけれど……。食べて、頂けませんか? つーか根性?」

 もじもじして、頬を染めながら、それでも「根性」と付け足すのをやめない葵ちゃん。くぅーっ! 可愛いぜ! でも変! 今って昼時大きく過ぎてるし。

「わ、わかった。葵ちゃんの弁当は最高にうまいしな。……その代わり、「根性」って言うのやめてくんない」

「ええっ? で、でも、やっぱり世の中大切なのは根性だと思うんですよ! つーか根性?」

 諦めた。

 悪いのは葵ちゃんにこういう事を強要している志保だ。俺は弁当を食う。

「いただきまーす」

 近くの、葵ちゃんの教室に入ってお食事タイム。本当に正直なところを言えば、呑気に弁当を食ってる場合じゃないとは思うんだが、ここまで来たらもう腹を決めるしかない。

 なにかおかしな事態に巻き込まれているんだとしたら、正面から戦ってやるつもりだ。そのためにも腹ごしらえは必要だしな。

 目の前で俺が弁当を食べるのを待っている葵ちゃん。少し俯いて、

「あ、あんまり自信ないんですけど……。ほとんど冷凍物ですし」と恥ずかしそうだ。

「んなこと気にすんなって。葵ちゃんが作った、ってだけで、俺にとっちゃ大ごちそうさ」

 言いながら蓋を取って……。

「はっ、はわわわわぁーっ!」

 その中には!

「こ、こりわーっ!」


<七>「南斗最後の将」

 ……。

 無我夢中で走り抜けて、気がつくと図書室にいた。

 記憶があやふやだ。あの弁当箱の中身はなんだったんだ……。

 ……。

 サルの……。

 ダメだ。思い出せない。思い出したくないし。 視界に人影が入り、思わず身構える。それが委員長だとわかると正直ホッとした。

 保科智子。通称「委員長」。何故って委員長だから……。俺のネーミングもスゲぇな。

 関西出身でキッパリサッパリハッキリしっかりした性格。おまけに頭の切れる委員長がいてくれるのは、こういう異常事態下では本当に心強い。俺は恥も外聞もなく委員長に頼ることにした。

「なあ、委員長。聞いてくれ」

「すっ、すいません」

 ビクリと肩を震わし、いきなり謝る。

「……は?」

「私って性格も明るくないし、話もつまらないし……」

「なにを言って」

「ちょっと文系のパラメータ上げてるとすぐに図書室で出て来ちゃうし」

「おーい」

「おまけに眼鏡っ娘だ、身体弱いわと、あざといばかりに一部の層を狙ってるし」

「聞いてくれー」

「プライズマシンでもいつまでも私の景品は残ってるし、ひょっとして不人気ナンバーワンなんじゃないかっていつもいつも不安で……」

 ダメだ。

 見ているだけで気が滅入る。今日の委員長はバイオリズムが最低ラインなのか!? 心なしか髪の毛も緑がかってみえるし……。ってそりゃ病気だよ。

「……あんまり気にすんなよ。考えてもしょうがないことってあるぜ」

 俺はとにかく一声かけて、図書室をあとにした。


<八>「もちろん貧乏です」

 一階の廊下をまたも歩きながら、俺は頭を整理していた。

 認めよう。これは異常事態だ。日常を取り戻すために、何らかの対策を講じねばならない。 だが、その先に考えが向かわない。いったいどうすれば……。

 そうだ!  琴音ちゃんだ。エスパー少女姫川琴音ちゃんの能力なら、ひょっとしたらこの事態を打開できるかもしれない。つーか相談したい。一人は辛いよ。この事態。 勇躍一年の琴音ちゃんの教室へ向かう俺。

「琴音ちゃん!」

ドアを開けた放課後の教室には、クラスメート四十名弱が勢揃いしていた。八十近い瞳が一斉にこちらを向く。すべて光を失った色のない瞳……。

 冷たい手に掴まれたように、一瞬心臓が止まったかと思った。だが、朗らかな声が俺の身体の緊張を打ち破る。

「あ、先輩」

 ふわりとした長い髪の琴音ちゃんは、教段からこちらに向けてこぼれるような笑顔を振りまいた。くぅーっ。可愛いぜ! 今日これバッカだな。俺。

「ちょっと話があったんだ。でも、取り込み中なら出直すぜ」

「あ、大丈夫ですよ。そんなに大したことをしているわけじゃないんです」

「そうか? でも……」

 黒板になにか書いてある。クラス全員で残ってなにか決めてるのを邪魔しちゃあ悪いし。そう思いながら何気なく見ていた黒板に書いてあった文字列。

<姫川琴音は我等が主。すべてを偉大なる姫川琴音のために>

 ……。

 ここもか? ここもなのか!? 今日何度目かの冷たい汗をかきながら。

「琴音ちゃん?」

 確かめる。この娘もなのか?

「今、なにやってたんだ?」

「え、……えへへー。クラスのみなさんが、私の親衛隊を作ってくださるそうで、そのことでちょっと話し合いを」

「そうなのか?」

 教室に問う。誰も応えない。誰もこちらに反応しない。身じろぎもせず、ただ直立不動。一時期は琴音ちゃんにいじめまがいのことをしていた奴等が反省した、ってんなら喜ばしいことなんだが。

「そうですよね。みなさん?」

『ハイ。ヒメカワサン』

 全員の声がぴたりと揃った。

「みなさんはわたしの親衛隊ですよね?」

『ハイ。ヒメカワサン』

「だれも逆らいませんよね?」

『ハイ。ヒメカワサン』

「私が白いと言ったら?」

『カラスモシロイ』

「それはどこの国の故事ですか?」

『チャイ、ニーズ』

「うふふフフ。うふふフフフ府。うふふフフフフフフフフフ。うふふフフフフフフフフフフフフフフ……」

 サイズの大きな制服のせいで袖に隠れがちな手を口元に当てて、琴音ちゃんは笑い続けた。

 ちきしょう! 不思議なことに、もう俺は恐くはなかった。理不尽さに怒りが湧いてきていたほどだ。

 なんとかしてやる。なんとかして全部を元に戻してやる。方法は不明だが、決意だけは強く胸に。 俺は妙に博学な被洗脳集団のたむろする教室をあとにした。


<九>「GETだぜ!」

 妙なことに気がついた。 渡り廊下横の構内案内板を見ていたときだ。2Fに科学室という部屋がある。

 うちの学校には化学室はあるが科学室というのは聞いたことがない。誤植にしちゃあ案内板をそのままにしておくわけはないし、第一俺はここに化学室と書いてあったのを覚えている。

 手がかりをつかんだ。勇んで駆けだした俺。だが、階段を登ろうとするところへ向こうから駆けてくる人影があった。

 警戒し身構える。制服からして女の子のようだったが、顔は見えない。コアラの覆面? を被っているせいだ。素晴らしいスピードで迫ってくる。突っ込んでくる気か!?

「はぁーっ! 隠れキャラの心意気! 駆け鳳麟!」

 中国武術にあるような体重移動を伴う肩口からの体当たり。おまけにダッシュの慣性つき。こんなものを食らってはただではすまない。

 ……ので、俺は引きつけて寸前でかわした。部活で習った捌きだぜ。葵ちゃん感謝!

「あああっ! ちょっと!」

 女の子はそのままの勢いで掃除用具置き場に突っ込み、ロッカーを巻き込んで箒や塵取りを散乱させ、二、三度跳ねながら簀の子の方へ飛んで滑り、そのまま中庭の植え込みに突っ込んで見えなくなった。

 正直、やばいかな、と思ったが。

「い、イケイケゴーゴーじゃーんぷ……」

 立ち上がった!? ちぃっ。ヤツは不死身か!

 しかも覆面を脱いだ。正体を現すつもりか?

 だが、覆面の下から現れたのは……、またも覆面だった。やはりコアラ。しかし今度は、赤い。

「ピカチュー!」

 また突っ込んでくる! しかもスタートからトップスピードまでの加速が恐ろしく速い! さっきの三倍はスピードが出てやがるぜ。これが赤い彗星の実力!? こんなものを食らったら今度こそただではすまない!

 ……ので、俺は引きつけて再度寸前でかわした。葵ちゃん、やっぱり感謝だぜ!

「え? え、え? ちょっと!」

 赤いコアラは風のように校舎へ駆け込み、備え付けの消火器を蹴倒した反動で頭から大きく飛んで和室の横の防音材の柱に突っ込んだ。前に積まれていたホコリをかぶったパイプ椅子の群れがクッションになったようなので生きてはいるようだが、今ではそのパイプ椅子の折り重なる下に埋もれて姿は見えない。

「……おーい。だいじょうぶかー」

「こ、国民栄誉賞が……」

 息はあるようだったので俺は先を急ぐことにした。関わり合いになりたくないなあ、という気持ちがあったことは認める。


<拾>「世界征服はまず学校から」

「はぁーい。待ってたわよん」

 科学室。そこは間取りや机の並びこそ化学室と同じだったが、何十台ものPCやモニタが立ち並び、理系施設独特の空調完備された生き物の気配のしない空気に満たされた空間だった。

 軽い感じの挨拶をしてきたラスボスは、白衣を着て「科学室」の奥に腰掛けている。俺はその顔に見覚えがあった。

 来栖川綾香。芹香先輩の双子の妹。エクストリームという格闘技の女子の部のチャンピオンでもある。葵ちゃんも目標にしている天才的な格闘家だ。

「おまえこんなとこで何やってんだよ。学校違うじゃんかよ」

「うふふふ。ここは来栖川出資の高校なんだから、社長令嬢にちょっとは特権もありそうなもんじゃない?」

「うちって都立じゃなかったか?」

「……うっ。そ、それはそれ。……ともかく、ここはわたしの実験場よ。さ、あんたもとっとと脳改造されなさい」

 恐ろしいことをしれっと言ってくる。

「ごめんだぜ。そんなのは!」

 凄んだつもりだったが、綾香にはまるで通用しない。涼しい顔で言うには。

「そ。そう言うと思ったわ。じゃあ実力行使ね。……ロボ! 行きなさい!」

 声に応えて二つの影が立ち上がった。

「……はい。綾香お嬢さま」

「せ、精一杯頑張ります!」

 試作型メイドロボ二台。HMX−12型「マルチ」と、同13型「セリオ」……。

 ドジ百連発のマルチはともかく、セリオはやっかいな相手だ。ロボットだから本気になれば力は相当なものだろうし、衛星からデータを落としてきて動くことで格闘技も使えるのだろう。冷静な判断と高い技術と力……。そんなヤツ相手にどう勝つか。

 そして、仮にセリオを倒しても綾香が残っている。はっきり言って勝てる気はしねえが、それでもやるしかないぜ! ここでやらなきゃどうするってんだ! みんな、待ってろよ。今すぐ元に戻してやるからな! 前向きに善処する所存だぜ!

「よっしゃ! かかってこい!」

 覚悟を決めて上着を投げ捨て、一歩進んだ俺に、

「では、参ります! でやぁぁあーっ!」

 まずはマルチがモップをかけながら突進してきた。普通上段に構えるもんだろうが……。体当たりでも狙ってるのか?

「とりゃーっ!」

 床面を進むモップは大量にコードをひっかけ、ピンと張られたコードはコンセントから抜けたり、PCを台座から引きずり落としたり……。

「うりゃりゃーっ!」

 マルチの駆け来る後ろを、雪崩を打って崩れ行くモニタ。ハードディスク。プリンタ。MO。その他諸々。飛び散る火花。割れるガラス。ヒビのはいる床。

 蛍光灯は落ち、棚は倒れ、書類は宙を舞い、焦げ臭い匂いがし始める。どっかに火花で着火したらしい。

「……はっ! あわわわわわ。かか、火事ですぅー!」

 慌てるマルチ。ホースで放水。壊滅的に濡れるPC機器。床一面の水。そこにはコードや様々な電子機器。

「はううー。漏電しますー!」

 痺れるマルチ。さらなる火花。ゴムのコード類の焼ける臭い。わずか一分間の壊滅に呆然として声もない綾香。どこかで小さな爆発。吹き飛ぶ机。直撃のセリオ。身体がおかしな風に傾いでいる。

『……エラーA−3が発生しました。クルスガワ・セキュリティーサービスへご連絡をお願いします』

 デフォルトの警告音。奇妙な挙動のセリオ。大泣きのマルチ。

「ずずず、ずいません。私ったら、お手伝いのつもりでお掃除の足を引っ張ってばかりで……」

『そういう次元じゃない』

 部屋全員複数ツッコミ。

『……エラーA−17が発生しました。衛星回線を切断してください。繰り返します……』

「A−17!? セ、セリオ! ストップ! セリオ!」

「はい。綾香、お嬢、さ、……さ、……」

 ボヤではなく火災になりつつある情景の中、炎を浴びながら動きを止めるセリオ。

 停止。

 そして、瞳を光らせ首をもたげる。再起動。

「あり得ない! ……まさか、暴走!?」

『ダダダダウンロー、ウンロード・自己防衛プログラム、不適。警備プログラム、不適。要塞防衛プログラム、不適。宇宙要塞衛星防衛プログラム……、ソロモン。音声DATE・郷里大輔』

 読み込み。衛星回線。デフォルトではないVOICE。

『……やらせはせん。やらせはせんぞぉ!』

「セリオ!? セリオ!!!」

「……えーと、俺、逃げるわ」

「びえぇぇぇえーっ!」

 マルチの泣き声を背に、俺はそそくさと退避しようとした。最後に聞こえた声。

『このセリオがいる限り! 貴様等ごときに、クルスガワの栄光を、やらせはせんぞおぉっ!!!』

 そして発光と爆熱が世界を包み、俺は意識を失った……。


<拾壱>「繰り返す悪夢」

「……ろゆきちゃん。浩之ちゃん!」

「うう……」

 目が覚めた。

 じっとりと嫌な汗をかいている。爆発も炎もセリオ=ザビもいないいつもの教室。

 外には夕陽。放課後、うっかり寝っちまったらしい。

「やな夢見たぜ……」

 大きく息を吐きながら言った。 刺激がないなんて贅沢だった。今こうしてここにいられることを本当に嬉しく思う。この穏やかで安全な日常。そして、俺のそばにはいつもどおりの幼なじみのあかり。

「あかり……」

 呼びかける。返される柔らかな笑み。優しげな瞳。緑の髪。尻尾。ネコ耳……。

「……あかり?」

 掠れる声が出た。

「浩之ちゃん、どうしたにょ?」

 にょっ。にょにょにょ。にょにょにょにょにょにょにょ……。

「う」

 う。

「う」

 う。

「うわぁぁぁあーーーーーーーーーーーーーーーっっっ!!!」


 戻ると思ってくぐった扉。

 しかしそこには、彼にとってまた別の奇妙な世界が広がっていました。

 そう。奇妙な世界の扉を一度開いてしまったら、戻ってこれるとは限らないのです。

 ……それでもあなたは、奇妙な世界に興味を持ちますか? もしそう思うのでしたら、ほら。あなたの後ろにはもう、奇妙な世界が広がっているのです……。


 これ、ver3です。何度書いても納得できる出来にならない。それだけToHeartという作品が好きなんでしょうが、電波な作品に整合性を求めちゃダメさ。

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