このところツーリングもしないで、ウダウダとパソコンに向かって仕事ばかりしている。空気がキンと締まって、景色がきれいな季節だけに、思いっきり走り回りたいのだが…。 とりあえず、今月も“デスクトップツーリング”(??)でウサ晴らしダ!!

 

中国でモノ思う

 パソコンに向かって仕事ばかり…と言ったが、じつは、10月下旬から11月にかけて8日間ばかり中国を回っていた。
 この国は、いまだに外国人が自国領土内で勝手に車やオートバイを乗り回すことは認めていないから、残念ながら、中国でのオートバイの旅がどうこうといったレポートはできない(特別に許可をもらって、定められたエリアの中を走ることはできるが、許可を取るのは非常に煩雑だ)。そのかわり、印象深い出会いがあったので、それを報告してみたい。
 今回の旅は、O誌とはまったく別なメディアの取材の仕事だったのだが、その旅にガイドとして同行してくれた女性がいた。Nさんという中国人で、歳は23。小柄でスレンダーな可愛らしい人だ。
 中国人と書いたが、民族は朝鮮族。みんなあまり知らないと思うが、中国は56の民族が混在する多民族国家だ。その中で90%を占めるのが漢族で、他の朝鮮族をはじめ回族、ウイグル族、モンゴル族、チワン族…55の民族は、少数民族に分類されている。当然のごとく、漢族と少数民族との軋轢がある。
 Nさんは、中国国籍ではあるが、主流の漢族とは違う少数民族ということになる。彼女は、中国東北地方(年配の人なら旧満州といったほうが通りがいいかもしれない)の長春という町の出身で、ここの大学の日本語課を卒業している。100人近い同窓生の中で、朝鮮族は彼女ただ一人だったそうだ。
 と、話しを進めてくると、漢族と朝鮮族との軋轢がどうのと話しが展開しそうだが、そうではない。こと民族間の問題に関しては、事情が複雑で、単純なエピソードだけを紹介して、だからどうこうと結論は出せない。アイヌ問題を抱えていながら、「日本は単一民族国家だ」と広言してはばからないバカ政府に洗脳されてきた我々脳天気国民には、実感しにくい問題だしな。

 

日本人を好きになりたいから

 Nさんの父親方の親戚はみんな北朝鮮にいる。そして、母親方の親戚はロシアにいる。彼女の先代で、親兄弟は違う国々に離散してしまっているのだ。その背景には、60年代の中国とソ連の緊張や文化大革命、そしてそれ以前の日本の侵略の歴史が大きく横たわっている。端的にいえば、しっかりしたアイデンティティを持てないNさんの立場を作り出した元凶は、日本だとも言える。彼女は、高校2年のときに母親とロシアに住む叔父を訪ねた。そのとき、言葉が通じないことが、とても悲しかったという。彼女にとって、いわば仇ともいえる日本の言葉をどうして学んだのかと聞くと、「肉親ですら、言葉が通じなければ理解し合うのが難しいのに、他人ならなおさらでしょう。二度と、不幸なことが起こらないようにするには、言葉を学んで理解する以外にないでしょう」と答えた。
 彼女の言を聞いたとき、俺は、ガツンと頭をひっぱたかれた気がした。
 中国の中の少数民族としてけして恵まれた境遇にあるとは言えない、しかも、彼女の血の中には、日本に対する怨念も刻まれているはずだ。それでもなお、日本を理解したいという。「日本人を好きになりたいから」と。
 正直言って、俺は欲張りだ。だから、旅に出れば、必ず何か手にしてこなければ気がすまない。ご当地のお土産とかブランド物なんぞにはまったく興味がないし、そんなものを手に入れてもうれしいともなんとも思わない。その代わり、旅に出たことで、自分が少しでも大きくなれたという実感がほしいのだ。
 今回の中国旅行で、その実感を与えてくれたのはNさんだった。はじめから、Nさんから何かを得られるとわかって出かけたわけではない。でも、アンテナさえ張っていれば、そういう意外な出会いというのは、向こうのほうからやってくる。
 じつは、数ヶ月前から、俺は安重根のことを調べていた。
 安重根といえば、日本の歴史の教科書では、1909年10月にハルピン駅構内で伊藤博文を暗殺した犯人と紹介されている人物だ。だが、安重根は、韓国、朝鮮の人たちにとってはいまだに民族自決の決意を示した英雄として民族の誇りとされている人なのだ。日本でいえば、さしずめ坂本竜馬のような人なのである。日本の侵略から朝鮮を開放するために組織された義兵運動の指導者の一人で、その人間性の高さは、当時取り調べに当たった日本人官憲も感化するほどで、死に際の潔さも伝説に残っているほどだ。
 俺も、安重根が、朝鮮民族にとっての英雄であることを、とある人から聞くまで知らなかった。そのことを知ったときに、朝鮮民族と日本人のズレを知るのにいい素材だと思い、調べることにしたのだ。
 そんな中で、前述のNさんに会ったのだ。
 安重根を始めとする救国の義士たちは、日本の支配下にあった大韓帝国の領内から離れ、中国の沿海州から東北地方に拠点を置いて活動していた。まさに、Nさんの出身地の長春は、彼らの活動の中心だったわけだ。もしかしたら、Nさんの三代か四代前の先祖は、安重根の同志だったかもしれないのだ。
 こういうことがあるからこそ、旅はスリリングでいいのだ。
 もし、ただ漫然と旅をしていたら、あわただしい日程をこなすことに精いっぱいで、身近に願ってもない情報を与えてくれる人がいたことにも気づかないまま、疲れて帰ってきただろう。
 そういえば、何号か前で紹介した三浦さんが北海道から戻ってきた。
 とりあえず、また運送の仕事を何ヶ月かやって、春になったら、また気ままな旅に出るのだという。彼の場合は、忘れかけた本来の自分を取り戻すことが旅のテーマだったようだ。 どうせ旅をするなら、半端な旅ではなく、貪欲に何かを求めて旅をしたいものだ。

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 と、今月は、オートバイとは直接関係ない話しで終始してしまったが、ぼちぼち、本格的にツーリングの虫が疼いてきた。
 来月は、久々にブチかましのツーリングをやるからな!!


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