98/02/24
野火とプーさん

 昨日、多摩川べりをMTBで流していて、火事を目撃しました。

 対岸の葦の原の中で小さな煙が立ち上っていて、はじめは、春になって野焼きしているのかと思ったのですが、それが見る間に広がっていきました。

 川を挟んでこっち側にいると、野火が広がっていく様も、なんだかのどかな春の風物詩って調子に思えたのですが、なにやら、葦原の一角で人が慌ただしく動いているではありませんか。

 よく見ると、最近川辺に見かけるプーさんの小屋があるではありませんか。ここに住んでいるらしいプーさんが、しきりに川に降りて水を汲んでは、廃物で作った我が家にかけております。さらに、防火線を作ろうと、必死で草を刈っています。

 その光景を、対岸にいる見物人たちは、複雑な思いで見ています。

 プーさんにとっては、廃屋の我が家でもかけがえのないマイホームでしょう。しかし、この近辺に住んでいる人にとっては、それは物騒で目障りな代物です。

 けなげに、それを守ろうとしている人に対する同情と、いっそ焼けてしまうといいという庶民感情がない交ぜになった気分とでもいいますか。けっこう水量もあって、対岸に渡ることもできないので、ぼくも含め、数百人になった見物人たちは、複雑な気持ちで眺めていました。

 正直言って、単なる河川敷の野火なら、みんなじっくり成り行きを見ようなんて気を起こさなかったでしょう。プーさんの家が、また、絶妙な位置にあって、消防車が到着してからもなかなか水が届かず、ジリジリと火が迫っていく様は、ちょっとしたエンタテイメントといった按配でした。

 結局、プーさんの家はぎりぎりで類焼を免れました。ずっと見物していた我々は、ちょっと物足りない気持ちを抱きながら、河川敷から去りました。必死に家を守ろうとしていたプーさんは、いったい、どんな気持ちで、対岸に集まったぼくたちを見ていたのでしょう?

――― uchida

 

98/02/22
御来光の道

 ベランダで飼っているメダカが泳ぎ始めました。

 今日、多摩川べりをジョギングしていると、ずっと枯れ草色だった河川敷に、ちらほらと芽吹きの緑が目立ち始めていました。

 太古、人々は、巨石を積んだり、大きなヤードを築いて季節の移ろいを見定める観測装置を作りました。イギリスのストーンヘンジ、エジプトやマヤのピラミッド、そしてもしかしたら日本の三内丸山の巨大建造物も……。いずれも、冬至や夏至、春分、秋分といった季節の変わり目を正確に把握する装置になっています。

 そして、彼らは、季節の変わり目に、命の終焉や再生を感じ、祈り、祝いました。

 アウトドアに身をおくということは、単なる都会生活の疲れを癒すレジャーというのではなく、太古から我々が体の中に持ちつづけてきた自然との繋がりを再確認する行為だと思います。アウトドアに身を置いて、何も感じられなくなったら、その人の中のもっとも大切な部分から疎外されてしまったということでしょう。

 数年前、友人と三人で、「ご来光の道」をオートバイで辿ったことがありました。「ご来光の道」とは、春分の日と秋分の日の曙光が霊場を結ぶ一直線の線です。

 東は上総一宮から、寒川神社、富士山頂、七面山山頂、琵琶湖の竹生島、大山、そして西の果て出雲大社を結ぶ壮大な線。

 ぼくたちは、春分の日に、富士山の東にある富士宮神社を起点に、寒川神社まで、GPSを頼りに走りました。走り出して驚いたのは、旧246号線(大山道)がほぼこれをトレースしていて、この道沿いには多くの神社仏閣が存在することでした。

 太古から受け継がれた叡智は、あるときまでは、間違いなく伝承されていました。それが、いつ失われたのか? 

 今年もまた、ご来光の道を春分の日に辿ってみようと考えています。今年は、出雲を出発点にしようかな……。

――― uchida

 

98/02/19
ISDN導入

 二月に入ってから、急に忙しくなって、なかなか更新できずにおりました。陽気も暖かくなってきたし、そろそろ本腰入れて取り組みたいと思います。

 自分のsiteがままならない反面、以前から懸案だった仙台在住の写真家、宍戸清孝さんのホームページの立ち上げをお手伝いしてきました。

 以前に、この欄でも書いたことがありましたが、第二次大戦中にヨーロッパ戦線で勇名を馳せた日系二世部隊の生き残りたちと、彼らの足跡を追いかけた『21世紀への帰還』という、宍戸氏のライフワークを紹介するページです。敵性市民として強制収容所に入れられた屈辱を晴らし、自らの名誉をかけて戦った彼らの崇高な意識は、人心の荒廃した現代人が取り戻さなければいけないものだと思います。まだ、工事途中ですが、情感たっぷりの写真がたくさん入っています。トップページの下段にある写真からジャンプできます。ぜひ、ごらんになってみてください。

 今後は、新宿のアウトドアショップ、横浜の写真スタジオのホームページの立ち上げを予定しています。他にも、東北方面の旅館やリゾートなども手がける予定です。こりゃ、誰かウェブのデザイナー雇わなくちゃ。

 そうそう、昨日よりISDNを導入しました。NTTからセールスの電話がかかってきたときは、「今から申し込んでも、3月末か4月になりますよ」なんて、おばちゃんが言っていたのですが、ネットで申し込んだら、翌日には向こうの担当者から電話がかかってきて、1週間あまりで移行できました。

 この担当者は、「インターネットからのお申し込みですが、仕組みのほうはご存知ですか?」と、丁寧な対応です。「TAや内線のほうは、自分でセッティングするから」というと、極性の問題やモジュラーローゼットの中のコンデンサの取り外し方なんかを教えてくれて終わりでした。移行費用は、局内工事の2100円と、TA(ATERM50DSU)の29800円、合わせて30900円でした。

 最初に電話してきたおばちゃんは、工事の期日では嘘言うし、「TAというものが必要で、これが8万円程度、他に工事費用が1万円程度で、10万円以内でおさまります」と、いきなり言い放ってました。

 わけのわからん人にキャッチセールスやってるんですね。ISDNなんて、ウェブを頻繁に使う人以外には関係ないんですけどね。ウェブに一度もつないだことがない人はおろか、コンピュータを使わない人も10万円でISDNへ移行させようってな勢いでした。

 そういえば、宍戸さんのホームページを立ちあげる際に、はじめに加入していた地方のプロバイダにアップロード先を問い合わせたら、1MBにつき3000円かかる上に、フロッピーを送って、むこうでアップロードするなんて言ってました。まったく、信じがたいというか、許し難い話しです。

 デジタル関係は、一般の人の馴染みが薄いことをいいことに、えげつない商売をしている輩が多いですね(NTTを筆頭にして)。そんなことだから、1億人がネットにアクセスしているアメリカに比べて、その1/10の普及率なんて情けないことになるんですね。

 さんざん偉そうなことをほざいていて、自分の尻に火がつくとホテルで首吊りするウスラバカが国会議員でごさいと幅を利かせている国らしいといえば、らしいですけど。

――― uchida

 

98/02/05
心臓の鼓動と主観的時間

 いやはや、いつのまにやら一月が終わって、立春も過ぎてしまいました。

 先日、テレビを見ていたら、心臓の鼓動の速さと主観的な時間経過には対応関係があるなんて言ってました。

 心臓の鼓動が早い子供は、主観的な時間経過が早く、実時間の流れがゆっくり感じられるのに対し、心臓の鼓動の遅い大人は主観的な時間経過が遅く、実時間の流れが早く感じられるとのこと。

 そういえば、歳を重ねるにつれて、時間経過は早くなっていきますよね。ぼくの親父はぼくが18の歳に50歳で亡くなりましたが、今37歳になってみると、50歳なんて、すぐそこに感じられます。写真の中の親父は、50歳のままで、鏡の自分は、どんどんそれに近づいて行く。ぼんやりしてちゃいかんなぁ。

 ISDNの導入を決意しました。

 前から、ぼくが使っているVAIOノートのモデムまわりの調子が悪くて腹が立っていたのですが、仕事のほとんどをこの一台でこなしている今は、点検に一週間もかかるなんて悠長なことを言っているSONYに預けているわけにはいきません。

 そこで、「どうせならISDNにしちまえ!」とヤケクソになったわけです。たぶん、画像の読み込みとuploadでどえらい時間がかかって、通信料金がかさんでいる今より、ずっとコストダウンになると思います。

 それにしても、今申し込んでも、3月末か4月に移行ということですから、あと1、2ヶ月は、高い通話料を払わねば……。

 そういえば、先日、あるコンピュータのプログラマと話しをしていて、VAIOノートはけっこう不良が多いと聞きました。彼は、PCMCIAカードをマシンがどうしても認識しなくて、結局新しいマシンに取り替えたそうです。

 お買い替えを考えているみなさん、VAIOノートは要注意ですよ。なんたって、メモリーの増設なんかも、いちいちSONYへ送らなければならず、1週間は使えなくなってしまいます。

 こんなことじゃ、またパソコンは打ち上げ花火に終わっちまいまっせ、SONYさん。

――― uchida

 

98/01/29
バイオモルフ

 昨日は、体中の節々が痛み、ひどい頭痛でダウンしておりました。

 どうやら、巷ではインフルエンザが猖獗を極めているそうで、ふだん電車などに滅多に乗らないのに、ここんとこ打ち合わせやらなにやらで、何度も満員電車に揺られて、免疫のないぼくは一発でやられてしまったようです。

 ようやく今日は動き出せましたが、ちょっと表に出たら、今度はアレルギー様の症状が……。まさか、早くも杉花粉? 今日は風が強いからなぁ。なんか、体調が思わしくないと、気分まで憂鬱です。

 ちょっと古い著作ですが、リチャード・ドーキンス『ブラインドウォッチメイカー』(早川書房)を読んでいます。ドーキンスといえば、『利己的な遺伝子』で、人間は遺伝子を運ぶ器に過ぎないという大胆な説を提出したりして、現代の知の巨人の一人ですが、これは、自然淘汰の仕組みをとてもわかりやすく説明してくれています。

 ふつう、自然淘汰というと、まったくランダムな偶然が積み重なり、優勢な変異を遂げたものだけが生き残る仕組みといったふうに考えがちです。でも、ただひたすら偶然性に頼っていたのでは、いつまでたってもカオスのままで、カオスの中から自己組織化が起こるためには、そこにある方向性が生じなければならない。その方向性を示す何ものかが含まれているのが自然淘汰だというわけです。

 近年のコンピュータサイエンスは、すべての条件をプログラムに組まなくても、基礎となるようないくつかのプログラムを組んで、あとはコンピュータまかせで走らせてみれば、独自の秩序に落ち着いていくような人工生命や人工知能がメインストリームになってきていますが、ドーキンスは、この本の中で自身がプログラムしたバイオモルフという人工生命を紹介しています。

 また、大腸菌による自然淘汰の研究では、優勢な大腸菌と劣勢な大腸菌とを同じ培地で培養すると、はじめは、優勢なほうが、劣勢なほうを完全に駆逐してしまうように見えるけれど、ある程度まで進むと、大部分を占める優勢種と片隅で細々と生きる劣勢種が均衡したままになるそうです。そのへんに多様性の秘密があるのでしょうね。

 自然とは、複雑なようで単純で、また単純なようで複雑で、だからこそ、人生も先がわからなくて面白いんですよね。

――― uchida

 

98/01/26
ILMのように

 昨日、カメラマンの友人と編集者の友人と三人で飲んでまして、世の中、確実にデジタルの方向へ向かっていると、再認識しました。

 編集者の友人、亀尾氏とは、互いのサイトを立ち上げたり、某ゲームメーカーで一緒に仕事したりと、ほとんどデジタルどっぶりなのですが、なんと、カメラマンの鯨岡氏もデジタル指向だとか。

 彼が籍を置いている横浜のスタジオで、まず手始めにパブリシティ用のホームページを作り、ゆくゆくは、映画やCFのCGを作るデジタルスタジオ化したいとのこと。

 ILM(Industrial Light and Magic)といえば、スピルバーグとルーカスが共同で設立したデジタルスペシャルエフェクトの会社ですが、ゆくゆくは、日本のILMとなれればとのこと。

 鶴見運河に面した倉庫を改装したスタジオは、10t車が丸ごと入る規模のものが五つもあるとか。それだれのスペースがあって、CG制作の設備を導入すれば、なんかとてつもないことができそうですね。今、日本のデジタル分野は、ハード面やプログラミングという点では、超一流のレベルにあります。

 ところが、何をどのように表現したいかという、コンテンツのクリエイティビティに関しては、非常にお寒い状況です。

 ぼくとしては、じつは、その部分でエポックメイキングなことをしたいと企んでいるので、渡りに舟という感じです。ちなみに、大モノの撮影で困っている方いらっしゃったら、巨大スタジオご紹介しますよ。

――― uchida

 

98/01/20
バックカントリースキーがしたい

 step10アップデートしました。

 ずっと雪国のようなどんよりした曇り空が続いていましたが、今日はいい天気になりました。ずっと室内で逼塞していたので、今日はこれからジョキングでもしてきます。

 そういえば、この冬はバックカントリースキーを揃えようと思って、先日アウトドアショップを覗いてきたんですが、この手のノルディック系のスキーは、あいかわらずバリエーションありませんねえ。しかも、すごく古い型のものがフルセットで7,8万円もします。

 『アウトドア』誌の最新号で紹介されていたものだと、こちらは最新のセットで同じくらいの値段です。で、LLビーンのちょっと前のカタログを調べてみたら、最新フルセットで440ドルでした。

 あちらでは、アルペンスキーと同じくらいポピュラーですからね。まだ、在庫があるだろうか……。

――― uchida

 

98/01/15
サイケデリックなリアリティ

 またまた大雪になってしまいましたねえ。

 今日は休みだからいいけど、明日の朝まで残るらしいから、明日の足はたいへんでしょう。朝から都内でミーティングがあるんだけど、どうしよう。

 STEP9に内容を追加しました。

 それから、今度、アウトドアショップ『アウトドアスペース・フーマ・新宿』のホームページ制作の手伝いをすることになりました。ここのオーナーの小川さんとは、一緒にキャンプに行ったり、オートバイに乗ったりする友人で、『ツーリング大全』(太田出版)という本を一緒に作ったりもしています。

 アウトドアスペースは、オートバイでの両極制覇で有名な風間深志さんがはじめた『風魔プラスワン』を母体として、オートバイだけでなく、広くアウトドアを通して地球と仲良くしていこうというコンセプトの元に、様々なアウトドアグッズをプロデュースしたり、講座やツアーなどを企画しているお店です。

 今月中に立ち上げて、通販システムなども早く確立して、実際的なサービスをしたいと思ってます。そうしたら、このコンテンツともリンクして、具体的な製品情報やフィールド情報などもお届けできると思いますので、お楽しみに。

 この一年、コンピュータサイエンスについて、いろいろ調べてきました。人工生命(AL)、人工知能(AI)、複雑系(Complexity)、遺伝的アルゴリズム(GA)、ニューラルネットワーク、脳型コンピュータ、ニューラルネットプロセッサー(NNP)、メモリーベースアーキテクチャ、コネクションマシン……。

 情報革命が加速度的に進行していますが、その行きつく先は、いったい、人間の幸福という観点から考えると、いい世界になるのかどうか、よくわかりません。『2001年宇宙の旅』のHALL9000が実現されるのはもう間近です。

 デジタルエンタテイメントの世界は、『トータルリコール』のように直接脳に刺激を与えるアミューズメントを遅かれ早かれ実現するでしょう。

 ジョン・リリーやティモシー・リアリーは、コンピュータによって、LSDなどによる意識拡張と同様、あるいはそれ以上の効果が期待できると確信して、サイケデリックの伝道師からコンピュータサイエンスに乗り換えました。

 デジタルの中でのリアリティは、単なる現実の模倣から、それ自体が独立して、超常的な、まさにサイケデリックなリアリティを実現できるレベルにまで達してきました。現実にモノがそこにあるかどうかは、問題ではなくなり、要はどう認識するかの問題、エピステーメーですね。

 1000年先と思われていた未来が、じつは明後日なのかもしれません。コンピュータサイエンスが開く明日をしっかり見据えていきたいと思います。一方で、自分の体を使い、実存の世界と関わっていくことも追求していきたいと思ってます。

――― uchida

 

98/01/12
八ヶ岳からの便り

 東京は、また雪になりました。

 今日は、伊豆へ取材の予定だったのですが、この雪で流れてしまいました。何か代わりのネタを考えねば……とパソコンに向かい、ウォーミングアップにこれを書いています。

 どこか田舎に拠点を移そうと、昨年後半から、めぼしいところに出かけたり、各地の友人に、安く借りられる物件でもあったら教えてと頼んでおいたりしているのですが、なかなか思い通りのところが見つかりません。

 こりゃあきらめるしかないか、なんて思っていたら、しばらく会っていない友人からの年賀状に、「今年は農業一年目」とありました。

 東京でインダストリアルデザイナーとして活躍していた人が、いつの間にやら、八ヶ岳の麓に移住して、畑を耕しはじめたそうです。今後、日本経済はどうなるかわからないし、破局的な自然災害も間近に迫っている気がするし、やはり、東京を離れる潮時という気がします。いっそのこと、日本脱出がいいかな。

――― uchida

 

98/01/06
身になる仕事も
しなければ

 step8に内容を追加しました。

 ベースの文章は、もともと単行本としてまとめるつもりで書いてあったものなので、ちょっと堅い文体になっています。

 後から付け足した[p.s]や、はじめからwebコンテンツとして書いた部分と、少しギャップがあるので、暇をみつけて、ベース部分も書き直そうと思っています。

 それから、なかなか細かい写真が載せられないのが自分でも歯がゆく思ってます。知り合いのショップやメーカーに協力してもらって、製品データを借りようとも思っています。でも、けっこう辛辣なこと書いたりしてるから、メーカーさんは貸してくれないかな? 

 今年は、このコンテンツでは、お勧めの製品やキャンプ場、コースなども掲載していこうと思ってます。また、他にもサイトを置けるようになったので、アウトドアとは違ったレアなコンテンツをアップしようと思ってます。どんな内容かは、後のお楽しみ。……いかんいかん、ちゃんと実になる仕事もしなければ。

――― uchida

 

98/01/05
カッコウの卵が孵るとき

 ゲストブックを復活させました。以前に設けたものは、DTIに用意されているCGIを使ったのですが、こいつは文字化けしやすくて泣かされました。そこで、今度はgeocityにページを設けて、そこにゲストブックを置き、こちらからリンクするという方式にしました。本体とぜんぜん違うサイトにあるわけですが、リンクへ飛ぶと違和感ありませんね。いやあ、ネットはすごい。

 今年は、年賀状も早々にケリをつけてしまったので、のんびりとした正月が過ごせました。

 ほんとは本をたくさん読もうと思っていたのですが、なんだか、のんびりしすぎてたいして数はこなせませんでした。

 スティーブン・キング『ジェラルドのゲーム』は、久々に読んだキング作品ですが、一人の女性の、ベッドの上での二日間の話を上下二段350ページにわたって、飽きさせずに引っ張るその筆力にはあいかわらず唖然とさせられます。

 これは、お得意の超常現象はいっさいなしに、全編これ心理描写のみといってもいい構成ですから、まったく呆れるほどの巧者です。

 それから、クリフォード・ストール『インターネットはからっぽの洞窟』には、がっかりさせられました。

 ストールの前作『カッコウはコンピュータに卵を産む』は、インターネット草創期からのユーザーでありSEであった(本業は天文学者)ストールが、大学のコンピュータシステムへのハッカーの侵入を発見し、その経路をたどって、ついには国際的な情報窃盗グループを突き止めるというノンフィクションで、全編緊張感に漲り、最高の推理モノでした。

 また、ネットワークの構造やその特性を理解する上で、へたな技術解説書なんかよりもよほどわかりやすく、参考になりました。

 それが、『インターネットはからっぽの洞窟』のほうは、全編にわたって、「インターネットは世間で喧伝されているように万能じゃないし、ネットワークに没入していけば、人と人とのふれあいがどんどん希薄になって殺伐とした世の中になってしまう」と、いちいち細かい実例をあげてくさしているだけです。

 なんだか、ネットワークおたくが、斯界が一般化してきたのを苦々しく思って、「素人が偉そうなことばかり言ってるけど、おまえたちに、ネットワークの何がわかるというんだ」と、吠えているだけのように思えます。

 「通信速度も貧弱だし、トラフィックも整備されていないインターネットでは、画像を送るなんて夢物語だし、セキュリティホールだらけで、インターネットビジネスなんて成り立つわけがない」と断言してますが、原著が書かれた94年から4年を経ずして、そんな予言は見事に外れています。

 コンピュータやネットの今後は、下手な予断をせずに、まさにこのムーブメントの波に乗ってサーフィンしていくのが、正しい姿勢のようです。ストールですら保守化して、時代の成り行きに取り残されてしまうのですから、パソコン草創期に成り上がった巨人たちが斜陽を迎えつつあるのも、納得がいきます。

――― uchida

 

98/01/01
訃報

 年の始めに、訃報に接しました。

 西野始さんは、20代の前半に、日本を飛び出し、ヤマハのXT500を相棒に、世界中を4年半、15万kmにもわたって走り回りました。

 14年前、ぼくが駆け出しのライターとして、世界中を股にかけたツーリングライダーたちを取材してまとめた『オフロードライダー』(晶文社)に登場していただいた一人です。

 静岡の農家に生まれ、小さい時から広い世界への憧れを抱きつづけ、学業の傍ら働き詰めに働いて資金を稼ぎ、大学卒業と同時に、溜めた資金を基に世界へと飛び出していきました。

 不安定な世界の中で、数々の危難に遭遇しながらも、思い通りの旅を続けた彼は、印象深い話をたくさん聞かせてくれました。

 「自然条件の厳しさは、首をすくめてそれが過ぎ去るのを待てばやり過ごすことができます。でも、政治の問題だけは、じっとしていれば向こうが通り過ぎて行ってしまうわけではない。これは、恐いですよ。日本人としての常識なんか何も通用しないんですから。でも、旅の魅力は、現地で出会う人との交流がいちばんなんですけどね……」

 アフリカでスパイ容疑者として摘発され、危うく命を落としかけた彼は、その時のことを「この世って、カフカ的状況にあふれているんです」と、楽しそうに語ってました。

 ぼくがインタビューにたずねた静岡の喫茶店にギブスをした足を引き摺りながら現れた彼は、「長いツーリングをしたやつは、帰って一年以内にケガをすることが多いんだ。帰ったら気をつけろよって、アフリカで会ったイギリス人に言われたんですよ。なかなか気の利いた文句だなと思って、ぼくも旅先で出会う奴に、同じことを言ってきたんですけどね。自分で事故起こしてれば世話ないや」と、豪快に笑ってました。

 その後彼は、日本という狭い世界に、自分の間尺が合わないと感じたのでしょう。薬剤師の資格を武器に、シンガポールへ渡り、薬局を開きました。そして10年あまり、ビジネスというツーリングに積極果敢にチャレンジした彼は、東南アジア各地に支店を出し、忙しく飛び回るようになりました。

 その彼が、先月19日にインドネシアのスマトラ島で墜落したシルク航空機事故で亡くなったと知らせてくれたのは、やはり彼を良く知り、『オフロードライダー』にも登場していただいた賀曽利隆さんです。

 「亡くなった日本人二人のうちの片方が西野さんだったんですよ。彼が、そんな形で亡くなるとは……」と、声を詰まらせました。

 西野さんは、海外ツーリングに旅立つに当たって、その道のパイオニアである賀曽利さんに相談に行き、爾来、賀曽利さんを師のように慕っていました。

 それは、まったく突然で、理不尽な死です。

 でも、常に前向きに生きた西野始の魂は、彼を知るみんなの心の中でずっと生き続けるでしょう。

 生きているわれわれは、前向きに生きた様々なひとたちの魂を受け継いで、より前進していかなければなりません。彼らの魂に恥じないように……。合掌。

――― uchida

 

1998.1.01
あけまして
おめでとうございます

 年が明けてしまいましたねぇ。

 今年はどんな年になるのか? 

 ペシミスティックな観測ばかりがはびこってますが、ま、なんとかなるでしょう。ぼくの今年の抱負は、『攻めの一手』。沈滞ムード吹き飛ばすような、面白い企みをどんどんブチかましていきたいと思います。

 手始めは、伊豆の『スポーツ民宿』という得体の知れないところに泊まってスポーツ三昧してきます。世界放浪ライダー、元第一機動隊爆弾処理班の編集者、海外オフロードレースにばかり行っているアウトドアショップ店長、スペインマニアのカメラマン、シーカヤック狂の二輪雑誌編集者というヤクザな面子で、どうなりますやら……。

 昨年はデスクワークばかりでフラストレーションが溜まってしまったので、今年は、海外遠征もガンガン行きたいと思います。ネパール、チベット、青海、モンゴル、ウズベキスタン……リゾートで優雅な休暇は、今年もおあずけかな。

――― uchida

 

 


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