98/01/01
訃報
年の始めに、訃報に接しました。
西野始さんは、20代の前半に、日本を飛び出し、ヤマハのXT500を相棒に、世界中を4年半、15万kmにもわたって走り回りました。
14年前、ぼくが駆け出しのライターとして、世界中を股にかけたツーリングライダーたちを取材してまとめた『オフロードライダー』(晶文社)に登場していただいた一人です。
静岡の農家に生まれ、小さい時から広い世界への憧れを抱きつづけ、学業の傍ら働き詰めに働いて資金を稼ぎ、大学卒業と同時に、溜めた資金を基に世界へと飛び出していきました。
不安定な世界の中で、数々の危難に遭遇しながらも、思い通りの旅を続けた彼は、印象深い話をたくさん聞かせてくれました。
「自然条件の厳しさは、首をすくめてそれが過ぎ去るのを待てばやり過ごすことができます。でも、政治の問題だけは、じっとしていれば向こうが通り過ぎて行ってしまうわけではない。これは、恐いですよ。日本人としての常識なんか何も通用しないんですから。でも、旅の魅力は、現地で出会う人との交流がいちばんなんですけどね……」
アフリカでスパイ容疑者として摘発され、危うく命を落としかけた彼は、その時のことを「この世って、カフカ的状況にあふれているんです」と、楽しそうに語ってました。
ぼくがインタビューにたずねた静岡の喫茶店にギブスをした足を引き摺りながら現れた彼は、「長いツーリングをしたやつは、帰って一年以内にケガをすることが多いんだ。帰ったら気をつけろよって、アフリカで会ったイギリス人に言われたんですよ。なかなか気の利いた文句だなと思って、ぼくも旅先で出会う奴に、同じことを言ってきたんですけどね。自分で事故起こしてれば世話ないや」と、豪快に笑ってました。
その後彼は、日本という狭い世界に、自分の間尺が合わないと感じたのでしょう。薬剤師の資格を武器に、シンガポールへ渡り、薬局を開きました。そして10年あまり、ビジネスというツーリングに積極果敢にチャレンジした彼は、東南アジア各地に支店を出し、忙しく飛び回るようになりました。
その彼が、先月19日にインドネシアのスマトラ島で墜落したシルク航空機事故で亡くなったと知らせてくれたのは、やはり彼を良く知り、『オフロードライダー』にも登場していただいた賀曽利隆さんです。
「亡くなった日本人二人のうちの片方が西野さんだったんですよ。彼が、そんな形で亡くなるとは……」と、声を詰まらせました。
西野さんは、海外ツーリングに旅立つに当たって、その道のパイオニアである賀曽利さんに相談に行き、爾来、賀曽利さんを師のように慕っていました。
それは、まったく突然で、理不尽な死です。
でも、常に前向きに生きた西野始の魂は、彼を知るみんなの心の中でずっと生き続けるでしょう。
生きているわれわれは、前向きに生きた様々なひとたちの魂を受け継いで、より前進していかなければなりません。彼らの魂に恥じないように……。合掌。
――― uchida
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