04/09/01
旅 この夏は、よく旅をした。 といっても、ほとんどが仕事絡みで、自由気ままというわけではなく、それぞれにテーマもスケジュールも決まっていたもので、厳密には「旅」ではなく「取材」なのだけれど、「ここではないどこかへ=from
here to there」という行動と感覚は、まさに旅のそれだった。 7月の下旬にはこのコラムでも紹介した高原巡り。8月の初旬は編集者と二人で盛岡を基点に鹿角、十和田、八戸と巡った。盛岡では地元でミニコミ誌を編集している人と会い、話をしているうちに共通の知り合いがいることがわかった。鹿角では地元の素朴な祭りに出会った。 東北から戻って、翌日には木曽へ向かった。諏訪から高遠、伊那と経由して木曽へ抜ける、いつものオートバイでの取材ルートを通って木曽へ。「培倶人」という雑誌の取材で、モデルの女性と編集者、カメラマンとぼくの四人。普段のツーリング取材では混雑するところは嫌いなので、観光地は素通りしてしまうのだが、この取材では奈良井の宿に泊まって、野麦峠やら御嶽山を巡った。 奈良井では、お盆の間は宿も土産物屋も店を閉じて、宿場は帰省した家族とお盆帰りした先祖たちだけのものになるのだという。宿場の中心にある宿は、ちょうどそのお盆前の最後の営業日で、夜には宿の前で帰省した若衆たちが、ちょっと物悲しいお囃子の練習を始めた。鹿角の祭りでもそう思ったが、祭りは本来、その土地に根ざしたもの。土地の魂とそれに育まれた土地の人たちのもの。よそ者が見物したりするものではない。土地の魂をしっかり感じられ、土地の人と心を一つにできる者だけが、その祭りを覆うゲニウスロキの懐へ入れてもらうことができると。 木曽から戻ると、無性に、自分も自分を育んでくれた土地の魂と先祖の霊と交感したくなり、お盆の最後の日に実家へ帰省した。ちょうどお盆送りに間に合い、先祖を墓まで送った。昔は、平日で父や母はお盆送りをできないので、ぼくと祖母が近所の辻まで、ナスで作ったウマやお盆飾りを持って行って、そこで線香を焚いて送りをしたものだった。その祖母が送られる側になってからもう14年。「春のお彼岸やお盆には、きちんとご先祖様を招いて感謝しなければダメなんだよ」と、線香の煙の中で手を合わせながら言った祖母の言葉が、今更ながら心に沁みた。 ようやく曾孫を祖母の霊に会わせることができて、祖母はどう感じていたか....。 久しぶりの帰省から戻ると、今度はまた毎年恒例のツーリング取材にキャンプ道具を持って出かけた。つい先日訪れた木曽をかすめて開田高原から飛騨高山へ。さらに富山から若狭を回って、台風に追われるように戻ってきた。 富山の雨晴海岸では、ぼくがキャンプしているところへOBTのメーリングリストの古参メンバーであるtakadoさんが駆けつけてくれて、ミニオフ会。富山近辺の山の話やtakadoさんのお孫さんとぼくの息子の話などで盛り上がった。 若狭では、三方の湖上館PAMCOにご厄介になり、館主の田辺さんとスタッフの坂口さんと夜中まで若狭の魅力をどうしたらいろいろな人に伝えられるかといったことを話し合った。PAMCOでは、この夏に「あそぼーや」という企画をスタートさせた。その中でシーカヤックツアーは好評で、毎日のように目の前の水月湖や常神半島沿いの素晴らしく水の澄んだ海岸を案内したそうだ。 マリンスポーツがオフシーズンになったら、今度は、ぼくが「レイライン」のほうで展開している神話・伝説とミステリーを繋ぐツアーをPAMCOを拠点に行おうということになった。 若狭を後にして山間に入ると、台風の余波で押し寄せた積雲が谷間にたまっていて、ところどころで強い雨に打たれた。空を見上げ、雲の動きを読み、記憶の中にある地形と照らし合わせて、なるべく雨に出会わないようにとコースを選んで、東へ。 峠を一つ越えると手前では激しい吹き降りだったものが、こちらでは、ぽっかりと開いた雲の隙間から夏の陽射しが差し込んで、路面も乾いている。山岳地帯を抜けて岐阜の平野に出ると、そこは雨の気配も感じられない晴天....昔、北アルプスや八ヶ岳に夢中になって通っている頃、雲の只中の稜線で雨と風に打たれて、真夏なのに凍えていたのに、麓に下りるとカラッと晴れていて、白馬や清里を闊歩する観光客の姿に唖然としたものだが、そんなことをふと思い出した。 「どこかからここへ=form
there to here」。本来の日常の場に戻ってくると、なんだか居心地が悪いというか、自分にとってしっくりとこない環境に違和感を覚える。今年に入ってからなんとなく西行という人が気にかかり始めている。自分が選んで出かけた先に、西行の足跡が残っていることが多く、その漂泊の姿が自分の姿にだぶって見えたりする。 旅をして戻ってくると、いつも台湾で会ったラマ僧が言っていた言葉が自分にのしかかるように響いてくる。「あなたは、常に動いていなければいけない人間です。留まったとたんにあなたはあなたでなくなり、朽ち果ててしまう....」。"from
here to there"....うまく事が進んでいれば、秋には、中央アジアへ旅立っていたはずなのだが。 一人でその中央アジアか南米にでも行ってみようかな。そこには西行の足跡はないけれど、西行の「気分」と共通する土地の「魂」は、きっとあるはずだから。
―― uchida
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