04/01/04
焦点
緩やかな起伏を描いて地平線の彼方まで続く草原、その緑の絨毯を靡かせながら渡ってくる羽毛のような風。雲海の彼方、東の空を茜に染めて登り始めた太陽から射す一条の光。遠く連なる雪を頂く連嶺からはるばる流れ下ってきた清冽な雪解け水....。
命を輝かせてくれるはずの、そんな風や光や水が、味も匂いも変わらぬままに汚れ、命を脅かすものに成り果ててしまっていたとしたら....。
鳥の声も動物の嘶きも、そして、人の話し声もなく、ただ渡る風と流れる水の音だけが響き、光が落とす影はすべて動きをなくしている。地球には、その後、何万年も続くただひたすらな静寂があるだけだとしたら....。それが、すぐ未来の地球の姿であり、そんな地球にしてしまうのが、他ならぬぼくたちだとしたら....。
今日、テレビの新春対談で、ハドソン研究所の日高義樹氏がヘンリー・キッシンジャー氏に、日本の再軍備について質問しました。すると、キッシンジャー氏は、「北朝鮮がこのまま話し合いに応じず、核を配備するなら、日本は当然、その脅威に対抗するために核を保有することになるだろう」と、淡々と当たり前のように言いました。
世界をますます厚く覆いはじめた戦争の雲は、このまま避けようもなく破滅の雨を世界中に降らせることになってしまうのでしょうか? 日本の核軍備などという話は、ついこのあいだまで、まったくの絵空事でしかなかったのに、気がつけば、それははっきりしたリアリティとして目の前に立ち塞がろうとしています。
学生時代、中谷という友人がいました。温厚で優男の中谷に、ぼくは本気で殴られたことがあります。何人かで酒を飲んでいて、たまたま話が政治の話題に及んだとき、ぼくは、日本は憲法を改正して正式な軍隊を持ち、核武装して、欧米と肩を並べなければならないと主張しました。すると、政治の話なんかまるで興味ないよといった風に、他所を向いていた彼が、ふいにぼくの顔を凝視し、「おまえは、ほんとうに日本が核武装すればいいと思っているのか」と、搾り出すような声で言ったかと思うと、ぼくに飛び掛り、滅茶苦茶に拳を浴びせてきました。
「放射能のせいで大切な人の命を奪われた者の気持ちがお前にわかるのか! おまえの家族には、原爆症の人間はいないから、そんなことが軽々しく言えるんだ!」そう、彼は、叫びながら、ぼくに馬乗りになって、殴りつけてきます。そして、嗚咽しました。
後で、四畳半のぼくの下宿で、二人だけで話をしました。彼は、静かに、ぼくに語ってくれました。
長崎出身の彼の身内や知り合いには、原爆症で苦しみ、亡くなっていった人がたくさんいました。彼とぼくが大学で知り合ったその前年、彼が高校時代に付き合っていた女の子は、忌まわしい原爆の影響を受け継いでしまい、白血病でこの世を去ってしまったそうです。
「ぼくたちは、あの戦争のことを直接知っているわけではない。だけど、広島と長崎の人にとっては、今はまだ戦争の真っ只中だし、それがずっと続いていくんだよ....」
中谷は、朝まで、ずっとモノローグのように話を続けました。
イメージだけで世界を想像し、実際の世界を知らないことがいかに無知なことか。恥ずかしい気持ちとともに、それを痛切に感じました。
人は、他人の考えから影響を受けやすいものです。とくに美辞麗句を並べ立てるプロパガンダにはだまされやすい。経験に裏づけられた思想を持つ人は、自分自身にとっても重いものであるその思想を、人に語ろうとはなかなかしない。上滑りで体験に裏づけられていないイデオロギーのほうが、自ら体験して学習しようとしない人にとっては心地良く受け止められる。そして、体験の裏打ちが必要ないから、そんなイデオロギーは、ウイルスのようにヒトからヒトへと容易く伝染していく....。かつて、若い自分がそんなウイルスに感染したから、その感染力の強さと恐ろしさはよくわかる気がします。
自ら戦争の現場に身を置いたことのないペンタゴンや国務省のNeo Conservativeたちが、勝手なイメージを作り上げて、自分と自分を取り巻く者たちだけに都合のいいように、世界を誘導していく。無策な日本の政治家も、犬のようにそれに追従していく....。みんなが身も心も疲弊している今の世の中では、良い悪いなど関係なしに、作り上げられた危機感に踊らされて、とんでもない方向に連れて行かれそうな気がします。
緩やかな起伏を描いて地平線の彼方まで続く草原、その緑の絨毯を靡かせながら渡ってくる羽毛のような風。雲海の彼方、東の空を茜に染めて登り始めた太陽から射す一条の光。遠く連なる雪を頂く連嶺からはるばる流れ下ってきた清冽な雪解け水....それらが、人としての自分にとって、いつまでも心地良いものであること。その心地良さを保つためにはどうすればよいのか、そこに焦点を当てていきたいと思います。ぼくたちの後の世代の人たちが、幸せに愛せつづける自然を保つために。
――― uchida |