01/06/29
海の思い出

 先月17日のこの欄で、故郷の海のことに少し触れましたが、先日何気なくテレビを見ていたら、まさに、ぼくが小さい頃から馴染みのある茨城の海岸が映し出されていて、思わずかじりつくように見てしまいました。景色の細部をチェックしていて、どこの局か見逃してしまったのですが、7月7日に放送されるライフセーバーを主人公にしたドラマの舞台に使われているのです。ライフセーバーというと、「ナイトライダー」のデビッド・ハッセルフォフが出てくるアメリカのシリーズがありましたが(←またもやど忘れ、歳かなあ(~_~;))、さすがに梅雨時の鹿島灘では、カリフォルニアのあの明るい海岸とは比べ物になりません。

 そもそも、あの海岸は、沖合いで親潮と黒潮がぶつかり合い、冷たい親潮が渦となって岸に近づく「冷水海」ができるので、海水浴には適さない海岸なんです。主人公がバシャバシャと海の中に入っていくのを見ると、心臓麻痺を起こしてしまうのではないかと、冷や冷やです。高速道路もなかった昔は、東京から夜通し車を運転してやってきた人が、いきなり海に入り、周囲より10℃も低い冷水海に踏み込んで心臓麻痺で亡くなるというパターンがたくさんありました。

 だけど、田舎の馴染みある土地がドラマの舞台になるというのは、なんだか誇らしい気もします。昔、地元の子供たちは、夏休みになるのを待ちかねて、朝から海へ通ったものでした。海岸段丘の上から海を臨むと、冷水海のところは色が黒っぽくみえます。そこを避けて海に入り、「泳ぐ」というよりは、荒波にもまれて、サーフボードのない「体サーフィン」で遊んだものでした。

 体が冷えて唇は紫色になり、震えが出てからようやく渋々と海から上がり、アチアチに焼けた砂浜を転げまわって体を温めます。自分で握った特大のおにぎりをむさぼるように食べ、麦茶で喉を潤したら、また唇の色が変わるまで海で遊ぶ...。

 夏休みの半分近くをそうやって海で過ごすと、何度も日焼けで皮がむけて、髪は脱色してチリチリになり、どこからどうみてもアフリカの大地で遊ぶ子供たちのように見えたものでした。夏休みが明けて学校に行くと、みんなの肌の色が変わっていて、教室の中いっぱい、太陽の香りが充満していたものでした。

 妹の子供たちを見ると、友達で誘い合って海へ行くようなことはしなくなってしまったようです。近くにできたスポーツセンターのプールには毎日通っていますが、一夏経ってもほとんど日焼けしていません。

 ぼくたちの親の世代が子供の頃は、北浦や霞ヶ浦に泳ぎに行くのに、キュウリを何本か持つだけで、それを丸かじりして、喉が渇いたら湖の水をそのままガブガブ飲んだそうです。排水垂れ流しで泥沼のようになってしまった湖しか知らないぼくは、そんな話がとても信じられませんでしたが、夏中海で過ごしていたぼくたちのような夏休みライフは、今の子供たちは信じられないでしょうね。

 今年は、ガキども誘って、ボディボードの真似事でもしてみようかな。

――― uchida

 

 

01/06/23
癒しではなく、何か

 都会生活での疲れを癒しに自然の中へ...そんなことがよく言われます。でも、最近ぼくは、自然の中には癒しはないと感じています。「癒し」という言葉には、おかしくなってしまったリズムを取り戻そうとか、本来あるべき形に修復しようといった、対症療法的というか、どこか後ろ向きな響きを感じてしまいます。

 自然は、もっとワイルドで、豊饒で、癒しを与えるどころか、いろんなテーマを人に投げつけてきます。自然の中に「癒し」を求める人は、自分にとって都合のいい自然の中のある一部分を求めに行くだけで、それにしか目が向いておらず、それが得られたら、さっさと元に戻ってしまう。そして、また、都会生活に疲れたら、自然から、ある一部分だけ切り取って持っていく...それは、全体的に見たら、マイナス勘定の循環ではないでしょうか。

 自然によって癒されるとしたら、それは、自然がぶつけてくるワイルドさや溢れるばかりの「不思議」に目を回してしまう、一種のショック療法のようなものではないでしょうか。日差しの暖かさ、風か運んでくる様々な匂い、そして、立ちはだかる岩場や急変する天候...それらに対処するためには、あらゆる知力と体力を動員しなければなりません。そして、一見、何もない瞬間の中にも、無限ともいえる豊饒がこちらを向いている...それを体感するには、「センス・オブ・ワンダー」が必要なのです。

 前に、このコーナーにも書きましたが、甲州の山の中に水晶を掘りに行って、その帰りに事故に遭いました。その話をある人にすると、その人は、いとも簡単に言いました。「それは、ただ、そこにあるものをとりに行って、代わりのものを置いてこなかったからですよ」。たしかに、そのときは、お神酒も上げなければ、ネイティヴアメリカンがするように、代わりの石を置いてくるなんてことも、まったく考えていませんでした。そういえば、ハワイのマウナケアから石を持って帰ると祟りがあるなんて話もあります。

 そんなことも含めて、自然。自然は、奥深いと思います。当然、「センス・オブ・ワンダー」のコアには、自然に対する敬虔な気持ちが必要です。

――― uchida

 

 

01/06/22
二十四節季の生活実感

 昨日は夏至でした。レイラインハンティングをはじめてから、とくに夏至やら冬至、春分、秋分といった節季がとても気にかかるようになりました。本当は、節季というと、日本では「二十四節季」といわれるくらい細かく季節が分かれていて、微妙な自然の変化を敏感に感じていた往時の人たちの感性が伝わってくるのですが、レイラインとの絡みでいうと、太陽の運行に絡む四つの節季がキーとなります。

 聖地といわれる場所の様々な配置は、この四つの節季にまつわるものが多いんです。例えば、先日ご紹介した鹿島神宮を見ると、冬至の日の出の方向に海に面した「東一の鳥居」があり、冬至の日没の方向には富士山があります。また、夏至の日の入りは、筑波山の方向になります。春分と秋分の日のラインとしては、有名な「御来光の道」があります。

 昨日、ふと思ったのは、そうした太陽の位置を目視して定めていたのだとしたら、理想的な聖地を探すのに何年もかかっただろうということです。現に、日本では梅雨があるわけで、夏至の日に鹿島神宮のあたりで日の入りが見られるのは、滅多になかったはずです。だいたい聖地には、太古からそこに存在した自然物の御神体があります。それは、人工物のように意図的に配されたものではないものですから、太陽の運行と意味ありげな因果関係が結べるというのは、人間の知恵というよりは、それを遥かに超えた自然の営みがそこにあるような気がします。

 ところで、二十四節季をすべて知っていますか? ぼくもほんの一部しか覚えていないのですが、ここで、すべて上げてみます。
「小寒(1/5:しょうかん)、大寒(1/21:だいかん)、立春(2/4:りっしゅん)、雨水(2/19:うすい)、啓蟄(3/16:けいちつ)、春分(3/21:しゅんぶん)、清明(4/5:せいめい)、穀雨(4/20:こくう)、立夏(5/5:りっか)、小満(5/21:しょうまん)、芒種(6/6:ぼうしゅ)、夏至(6/21:げし)、小暑(7/7:しょうしょ)、大暑(7/23:たいしょ)、立秋(8/8:りっしゅう)、処暑(8/23:しょしょ)、白露(9/8:はくろ)、秋分(9/23:しゅうぶん)、寒露(10/9:かんろ)、霜降(10/24:そうこう)、立冬(11/8:りっとう)、小雪(11/23:しょうせつ)、大雪(12/7:たいせつ)、冬至(12/21:とうじ) ...日にちは目安です」

 どうです、なんとなく、文字を見ると、イメージできますよね。一年で24の節目ということは、月に二度、季節の変わり目があるということです(実際、月の初めと終わりのほうに節目がありますね)。それは、案外、現代に生きるぼくたちでも、生活実感に近いものではありませんか? 

 アウトドアで自然の息吹を直に感じたり、太古からの人々の叡智と信仰が眠る聖地を訪ねたりしていると、こういったことが、さらに現実として感じられるようになります。もし、二十四節季がまったく実感のないものとなってしまったら...そのときは、人が本当に自然から疎外されてしまった時といえるでしょうね。

――― uchida

 

 

01/06/17
畏れと遭難

 このごろ、個人的にいただくmailで、遭難について、過去の事例などもまじえて教えてくれないか、書いてくれないかというリクエストを度々いただきます。じつは、ぼくも前々からフィールドでの遭難について、自分なりに調べて書きたいと思ってきました。でも、それを徹底的に調べ上げたノンフィクションとして表現するのには、無理があるということも、だいぶ前から気がついていたのです。

 というのは、単純ミスや無謀な冒険に出ての遭難、あるいは自然や動物の生態についての無知が招いた遭難というのは、明白な、客観的理由があるから、それを例として使いやすいのですが、非常に経験の深いアルピニストや探検家の遭難というのは、無謀や無知とは無縁で、しかもどう分析しても原因がはっきりしないケースが多いのです。

 例えば、極地の経験が豊富で、マッキンリー登頂の経験もある植村直巳さんの最期は、原因も状況もはっきりしません。一説には、あのとき履いていた防寒ブーツが、インナーとアウターの間にエアーを入れて断熱するタイプのもので、アイゼンなどを装着したときにフィーリングが掴みにくく、それが原因だったのではといった話もあります。でも、植村さんほど経験豊富で、装備や計画を徹底的に周到に行う人が、明らかな装備の欠陥を自覚しながら事を進めるということはありえない気がします。

 それから、写真家の星野道夫さんにしても、クマの生態を熟知していながら、それに襲われたというのは、とても釈然としないものがあります。

 無知や不注意での遭難を別にして、植村さんや星野さんなどの例を考えると、どうしても、「人知の限界」ということを思ってしまいます。

 たとえば、ぼくは、ちょうど一年前に死んでもおかしくないオートバイ事故を起こしました。細かい経緯は、昨年のこの欄に書いたので改めて説明はしませんが、あのときは、事故を起こす直前まで、何かに憑りつかれていたように、自分を失っていました。そして、その瞬間、突如として自分を取り戻し、コンマ何秒かの差で、命を取り留めました。今思い返しても、あれは、あの瞬間に向かって、何かに引き寄せられていったような気がします。

 どんなに訓練しようが、経験を積もうが、自分ではどうしようもない何かがやってくる瞬間がある。それを怖れつつ、でも、チャレンジせずにはいられない何かもある。

 ぼくも、例に上げた事故だけではなく、幾度か、シリアスな経験をしています。ルートを失って遭難しかけたこともあるし、広い稜線上で雷雨に見舞われて諦めたこともあります。レースの途中、メキシコの砂漠の真ん中でクラッシュし、肋骨を骨折しながらもなんとかゴールにたどり着いたこともあります。思い返すと、それらの遭難は、出発するときに、あまり緊張感がなかったときに起こっていたような気がします。

 ふつう、山やレースに臨む前には、それが自分の最期になるような気がして、尻込みするような極度の緊張に襲われます。自分で計画して準備しながら、どうしてもやりたくない。そして、何か理由をつけて中止したいと思う。何か不測の事態が起きて、それをしなくて済むようになればいいと思う。でも、出かけていく...そんなときは、一歩フィールドに足を踏み入れてしまえば、あるいはアクセルをひねってフィールドに飛び込んでしまえば、そんなことを自分が思ったこともすぐに忘れてしまいます。

 ところが、そういう緊張感のないまま、直前まで日常的な雑務に追われて、ようやくフィールドに入ったとき、あるいは、フィールドに入ることを待ち焦がれて、そこに開放感を求めたとき、そんなときに限って、トラブルに遭遇するのです。

 そうやって考えてみると、ぼくの場合は、自然に対する畏れや自分の行為に含まれるリスクを畏れる気持ちが薄いときが、本当にリスキーな時なのかもしれません。でも、ぼくのそんな例が、植村さんや星野さんに当てはまるとは思えません。

 ...とくにソロで行動する人は、自分の心理と行動の傾向を客観的に分析できる目を持っていることが大切なのかもしれません。

――― uchida

 

 

01/06/15
グローブの補修

・この二日間、東京ではシトシトと雨が降り続いています。こんなときは、装備の手入れをするのに最適です。ぼくは、昨年、ワンシーズン使って指の部分が抜けてしまったオフロードバイク用のサマーグローブを補修して、MTB用のグローブに仕立て直しました。オートバイの場合、人差し指と中指の二本で重いクラッチやブレーキの操作をするので、本格的に使い込むと、1シーズンでこの二本の指の腹が抜けてしまいます。他の部分はまだまだ使えるのに、それだけで捨ててはもったいないので、前に使っていた同じようなグローブから必要な部分を切り取って、穴を塞ぐように縫い付けるわけです。普通のナイロン糸と針で、チクチクと縫っていくわけですが、細かい作業だし、当て皮はけっこう頑丈で針を通しにくくて、わりに時間がかかります。でも、そうして自分でリペアした道具というのは、いっそう愛着が出て、手放せなくなるものです。一年くらい使うと、手にも馴染んでいるので、余計、自分のものになったという実感があります。

・道具というのは、手をかけてやればやるほど、馴染んでくるというか、かけがえのないものになっていきます。また、新しい道具を使い込み、リペアして、自分のものにしていく喜びもありますよね。今まで付き合ってきたオートバイやクルマ、MTB、ザック、ストーブ、ランタン、テント、グローブ...それらの相棒たちは、いまだに現役でぼくをサポートしてくれいるものたちもいれば、現役を引退していったものたちもあります。でも、人と同じで、自分に馴染んだものと過ごした時間、その光景というのは、いつでもありありと思い出せるものです。

・明日は、雨が上がりそうなので、MTBを手入れしてやろうかな...。

1シーズン使い込んで馴染んだグローブなので、他の使えなくなったグローブの生地を使って補修しました。人差し指と中指の先はケブラー生地、親指の先は合皮です。これでも、けっこう裁縫は得意なんです(^。^)

――― uchida

 

 

01/06/12
アノミーの処方箋

 大阪で悲惨な事件がありました。尊い未来を奪われてしまった子供たちのことを思うと、何も言葉が出てきません。ただ心から冥福を祈るばかりです。

 だけど、一方で、こんな事件が起こりそうな予感があり、第一報を聞いたとき、ぼくは、「ああ、ついに起こってしまったか」と思わずため息混じりに呟いてしまいました。こういう事件が起きてしまうことをどこかで予期していた人が、じつはたくさんいたような気がします。

 ずっと続いてきた高度資本主義の時代が終焉を迎え、これまで「是」とされていた価値観がどんどん否定されています。昆虫が光に吸い寄せられるように、みんながひとしなみにお金や出世を求めて同じ方向に進んでいるときは、自分では何も考えず、ただ、人と同じ方向に歩んでいけば、とりあえずはどこかに行き着けることができた。ところが、高度情報化社会になると、道標となる光は消えてしまい、方向を自分で決めなければどこへも行けなくなってしまった。

 情報はとてつもない量が溢れかえっているけれど、その中から自分にとって価値のあるものを見定め、人間関係も新しい価値観に基づいて築き直さなければならなくなった。それに順応できるアクティブな人にとっては、以前の窮屈な社会などより、これからの社会のほうが、より自由で明るいものに見えているはずです。

 ところが、旧来の価値観にしがみついて、誰かが自分の方向を定めてくれると思っている人たちは、突然、光を消されて暗闇の中でさ迷っている昆虫そのものになってしまいました。

 一般的に見ると、保守層というのは社会の上層部で既得権にしがみついている人たちだと思われがちです。ところが、実態は、保守層というのは、高度資本主義によって生み出された人口の大部分を占める「新中間層」と「低所得層」です。これは、社会変動論の常識でした。

 社会の上層にいる人たちは、社会の動きに敏感で、自信の位置がそれほど安定したものでないことをよくわかっているから、できるだけ迅速に変化に対応しようとするし、自分の既得権を守るために、かえって変化をコントロールしようとする。じつは、既得権にしがみついて、それを必死で守るために変化を拒絶してきたのは新中間層と低所得層でした。

 そんな構造が、最近変化して、新中間層の中からまったく新しいパラダイムへ変換していく人たちが増えてきました。今までは政治権力やマスコミ権力の恣意の元に管理されていた情報が、個人で自由に発信できるようになり、また、ネットを通じて探せば、かなり詳細な情報まで瞬時につかめるようになりました。そして、ネットという新しいシステムやローカライズとグロバーリズムが同時に進む新しいパラダイムに乗って、新しい人間関係や生きがいを見出し、社会変動論で言われていた「新中間層=もの言わぬ大衆」から脱却して、新しい社会階層が生まれ、肥大化し始めている。

 そんな中、その動きについていけない人たちは旧来の中間層、貧困層の中に置き去りにされていく。新しい個人主義の流れの中では、前に進むことに忙しくて、誰も立ち止まっている人を振り向こうとしない...できない。そんなところに光と闇を感じます。

 本当のデジタルデバイドというのは、インフラやハードウェアとしてのデジタルが手に出来るかできないかではなくて、デジタル化の意味がわかっているかわかっていないかという点にある気がします。日本は高校生や中学生まで携帯電話でmailのやりとりをしていますが、そこで取り交わされる内容はじつに希薄なものです。また、いい大人が子供っぽい着メロを鳴らしていたり、「出会い系」サイトに嵌ったり...それは、ツールとしてデジタル機器を使っているというよりは、あいかわらずの資本主義的な構図の中で、ツールを使わされているだけです。

 社会が理解できない方向に動いていると感じたとき、しかも、イデオロギー対立のようにプロテストできる具体的な権力は目の前になくて、ただ方向がわかっているらしい人たちだけが先に進んでいるように見えたとき。人は、途方もない疎外感を味わうのではないでしょうか? 

 精神病は社会の病だとも言われます。「アノミー」という言葉をずっと社会学的なメタファーとして使ってきましたが、ついにそれがはっきりした実態を持ったという気がします。

 ぼくは、けして、今回の事件の犯人をデジタルデバイドの犠牲者だと思っているわけではありません。この犯人は、けして許されない獣です。病気だろうがなんだろうが、この行為は絶対に許されるものではないし、事情に関係なく、極刑をもって処すべきだと思います。ただ、巨大な疎外感から、自分の存在意義を失って、心神耗弱への道を進む人たちが今後多くなっていきそうなことが怖いのです。

 先日、ある人が事務所を訪ねてきました。彼は、しばらく引きこもりのような状態になって、何ヶ月も仕事もしなかったようです。

 離婚したり、恋愛問題がもつれたり、仕事がうまくいかなかったり、いろいろ事情はあったらしいのですが、いずれにしても、それは自分自身が招いた問題ですし、そんなことは巷に溢れています。ぼくだって、いつも順風満帆で暮らしているわけではなくて、当たり前のように、日々、困難やら問題に直面しています。それでも、彼が、自分から何か具体的な相談を持ちかけてきたり、辛い心の内を語ってくれれば、ぼくだって、何かアドバイスでもできるでしょう。

 でも、彼は、ただ察して欲しいというばかりに、暗い顔をして俯いているばかりです。一年ぶりに唐突にやってこられて、察してほしいという顔をされても、さほど付き合いが深かったわけではないし、ぼくはカウンセラーでもないし、反応のしようがありません。まして、ここは、仕事場で、かなりタイトな締め切りに追われていた矢先でしたし...。

 結局、彼は、ぼくの今の仕事関係を根堀り葉堀り聞いて、自分に関わりがありそうな話にだけ目を輝かせて、「ぼくに、何かできることがあったら...」と身を乗り出しただけでした。ぼくは、自分でも悩み多き卑小な一個の人間にすぎません。だから、彼を助けることも、彼に同情することもできません。彼には申しわけないけれど、彼を反面教師として、せっかく、自分で求めれば具体的な何かがもたらされる世の中になってきたのだから、明るく、前向きに前進していこうと思うだけです。

 結局、どんな時代でも、どんな状況でも進むべき道を自分で見つけ、明るく歩んでいくこと、それを少しずつでも広げていくことしか、アノミーを解消する手立てはないような気がします。

――― uchida

 

 

01/05/31
天邪鬼

 明日は牛窓へ向けてレーシング仕様のバイクで一気走りするので、今日は早めにオイル交換しました。それがなんと、前回から1300kmしか走っていないのにドロドロ。おまけに、オイルを抜くためのドレンボルトは手で回せるほど緩んでいるし、ワンオフで何十万するんだかわからないマフラーはエンドの溶接部分にヒビが入っているし、やはりフルチューンのマシンというのは、無理してる感じです。メンテナンスも大変です。

 それにしても、今手元にあるのは、オフロードレーサーとこの公道レーサー、早くイージーなBMWがこないかなと心待ちにするこの頃です。

 しかし、ナチュラリスト系のミーティングに、リッター10kmそこそこしか走らない騒音公害マシンで参上して、顰蹙買わないだろうかと、それが心配です(^_^;) これも仕事のうちなので(今、こいつと付き合いつつインプレッションを書いているのです)、どうかご容赦をm(__)m

 ところで、ぼくも基本的にはナチュラリストだと自分では思っているのですが、モータースポーツの楽しみも否定しません...というより、こちらにも嵌っているといったほうが正確ですね。

 もう25年も前になるわけですが、最初に山と出会い、それからオートバイと出会って、大学時代は山とツーリングばかり、いつしか気がつくとアウトドア関係やモータースポーツ関係のメディアで仕事をしていました。

 ぼくにとってのオートバイは、元々、山へ行くための「足」だったのです。高校時代、オートバイに乗るということは、イコール暴走族でした。だけど、ぼくは、その暴走族たちは目もくれないオフロードバイクに乗って、一人で山に行くのが好きだったのです。暴走族からすれば群れずに一人でヘンチクリンなバイクに乗っている変わった奴、大人たちからすれば、暴走族のようなんだけれど登山が趣味らしい得体の知れない奴と思われていたようです。でも、天邪鬼なぼくは、人が自分を理解できないというところが面白かったんです。べつにそれを意識してやってるわけではないけれど、好きなことをやっているうちにそうなってしまうんです。それは、いまだにまったく変わっていませんね。

 前に、祖母のことをここで書いたことがありましたが、誰に認められなくても、自分の好きなことをやりつづけられたのは、祖母の存在が大きかったと思います。

 みんなと馴染めない「変な子」だったぼくを、祖母だけは理解して、見守ってくれていました。それは、今にして思うと、自分の支えだったし、安心感でもありました。10年前に祖母が亡くなったとき、夢の中で三途の川を一緒に渡って、ぼくも向こう岸へ渡ろうとしました。あれは、唯一の理解者を失ってしまうことへの不安を象徴していたのかもしれません。

 だけど、喪ってはいないのです。祖母も、父も、山やアドヴェンチャーに散った仲間たちも、ずっとぼくの心の中では元気に生き続けています。

――― uchida

 

 

01/05/30
ベジタリアンの友だち

 先日、久しぶりに、ある友人に会いました。彼は、今、世界旅行の真っ最中で、しばらくバリ島に滞在していたのですが、ビザの関係でいったん日本に戻ってきたところでした。

 カナダ出身の人で、日本でもけっこう名前の知られたグラフィックデザイナーでした。10年ほど前までは、渋谷に大きな事務所を構えてたくさんの人を使って精力的に仕事をしていました。ところが、心臓を患い、大手術から生還してから、生活を一変させました。それまでの生き方から180度方向転換して、ベジタリアンになって禁欲生活に入り、事務所もたたんで、一人マイペースに仕事をしながら、時間を見つけては世界中を旅するようになったのです。

 彼の旅は、もっぱら聖地巡り。ぼくも最近、「レイラインハンティング」なる聖地巡りをはじめましたが、互いにスピリチュアルなことに興味があって、まあ、そんな関係で知り合いました。

 彼の場合は、心臓を患ってから、人生について真剣に考えるようになり、精神世界に興味を持つようになったわけですが、ぼくの場合は、いろいろ死ぬような目には遭ったものの、懲りない質で、そこから生活を変えるわけでもなく、のほほんと生きています。かなりにストイックにいろんなことを求めていく彼に対して、ぼくのほうは、「不思議なこともあるもんだ。だけどそういうこともなければつまらない」といった、ほとんどいい加減なスタンス。山岳修験やら、レイラインハンティングやらに手は出していますが、半ばゲーム感覚なんです。

 同じようにスピリチュアルなことに興味があるといっても、姿勢はほとんど反対です。唯一共通するのは、人とツルんで何かをするということが大嫌いで、自分が実際に感じたことしか受け入れないということでしょうか。

 彼の場合、カルトっぽい怪しげな人のところにも出かけていったりするのですが、「あの人は嘘つきだ」とか「何か力を感じるけど、人にそれを見せびらかして喜んでいる嫌な奴」……といった具合に、ほとんどこき下ろしに出かけるような調子です。

 そんな彼が、なぜか、ぼくのことを気にかけてくれていて、ときどきメールやら電話をくれます。

 今回は、「レイライン」の記事をまとめている最中だったので、その写真やらを見せて話をしました。地図で位置関係を説明して、写真を見せると、彼は、真剣に見入って、いろいろな感想を言います。曰く、「この八竜神社は、何か強い力を感じるよ」「君が、香取神宮の奥の宮の写真を撮らなかったのは、いいことだったよ。そこはたぶん、すごく厳しい神様だから、不敬なことをすると叱られるよ」「それから、この鹿島の三角形だけど、鹿島の北の方に線を伸ばしていって、反対側にも同じ三角形を作ってごらん。そうしてできた三角の海の中のポイントにも、何かある気がするよ」といった具合です。

 何故か、彼もぼくが行った場所にいて、そこで同じものを見ながら話しているような口調です。で、そんな話の中、反対側にも相似形の三角を作って、できた海の中のポイントに何かある、と言った言葉に引っかかりました。そういえば、鹿島灘のあのあたりには、不思議な丸い乗り物に乗って、女の人が上陸したという伝説があります。昔の絵も残っています。それをUFOカルトの人たちは、「UFOが、昔、ここに降りた証拠だ!」なんて言ってますが、そんなことはどうでもいい話。ぼくが引っかかったのは、別なことです。

 ぼくは、よく故郷の海に行って、ひとりでぼんやり沖を眺めるのが好きでしたが、その眺めていたあたりが、ちょうどそのポイントのほうなのです。田舎は、この近くだとは話しましたが、よく海を眺めに行ったなんてことは一言も言ってません。そんなことがあって、人と人との気が合うというのは、そんなことなのかなぁ、なんて思ったのでした。そんな話をした翌日、電話で「今度はデンパサールで会おう」と言い残し、再び旅立って行きました。

 今週末は、日本の地中海と言われる岡山県の牛窓でシーカヤックミーティングに参加してきます。じつを言うと、それがシーカヤック初体験です。今回は、ぼくのメーリングリストの古参メンバーで、ニュージーランドで公認のプロシーカヤックガイドをしているRyuさんが一時帰国していて、彼を囲んで無人島ツアーをしようという趣向なのです。水恐怖症でほとんどカナヅチの「陸男」としては、不安半分期待半分といったところです。

――― uchida

 

 

01/05/17
故郷の海の匂い

 今日の東京は、とても気持ちのいい陽気になりました。

 乾いた空気に、初夏の日差し、昨日ちょうどいいお湿りがあったせいか、緑も輝いています。あまり気持ちいいので、仕事場にほど近い東京体育館のほうまで散歩に出かけました。

 新宿御苑の緑を前に、深呼吸していると、ふと、懐かしい香りを風が運んできました。それは、故郷の海の香りでした。乾いた砂浜に青い松の林、そして打ち寄せる波...。ぼくの故郷の海は100kmも離れているから、もちろん、その香りが届くはずはありません。空気の爽やかさと、日差しの心地よさが、故郷の海の香りというクオリアを呼び覚ましたのでしょう。

 故郷で暮らしている頃、ぼくはよく一人で海へ行きました。

 磯節で歌われる「波の花散る大洗」から南へ10kmあまり、ただひたすら長い海岸線と松林が続く海です。太平洋の波は荒く、とても泳げるようなところではありません。だけど、ただ乾いた風に吹かれながら、打ち寄せる波を眺めているだけで、心が洗われる...というか、カラッポになれるんです。

 砂浜に腰をおろして、ひたすらぼんやりと海に向かっていると、単調に打ち寄せているように見える波も、独特な息遣いを持っていることに気づきます。あるときは小さな波が一つだけ砕けて、小さく打ち寄せる。あるときは、大きな波が豪快に砕けて、乾いた砂浜を洗う。そして、あるときは、小さな波がいくつか集まって、静かに、だけど大波一つのときよりはるかに陸の上まで打ち寄せる...。

 そんなことに何かの意味を見出そうとするわけではなく、ただただ受け止めていると、いつしか大自然のリズムとシンクロしていく。すると、いつのまにか、ちっぽけな一個の人間としての感情なんかすっかり消し飛んでしまって、風や波の一部となっている。そんな感覚が好きで、誰もいない海へ行ったのでした。

 山に登ったり、辺境を旅したりというのも、海を眺めて風景と一体になっていたあの感覚の延長にあるのかも知れません。自分は、何者でもない。ただ風景の一部、自然の一部でしかない。そんなことが感じられる瞬間が本当の「自由」なのかもしれません。

 明日から、鹿島神宮、香取神宮、鳥栖神社を結ぶ三角形を中心とした不思議な世界を探訪してきます。ここは、ぼくの故郷のすぐそばです。鹿島神宮の東一の鳥居は、故郷の海の辺に立ち、太平洋の彼方を仰いでいます。この鳥居が何を意味しているのか、今日、故郷の海の風を感じて、なんとなくわかったような気がしました...。明日からが楽しみです。

――― uchida

 

 

01/05/15
マシンの個性

 ゴールデンウィークからこっち、なんだか、バイク三昧という日が続いてきました。

 ゴールデンウィーク前後に、TouringWaveのインプレッションで乗ったバイクが4台。BMWのまだ発売前のR1150RTとR1150R、カワサキのブランニューマシンZRX1200SとZRX1200R、いずれも大型のロードバイクです。そして、今、手元にあるのが長期インプレッションのGPZ900R、通称「ニンジャ」というマシンです。

 本来、ぼくはオフロード、とくにエンデューロという競技がメインだったのですが、すっかりビックバイク乗りと化しております。自前の愛車はHONDAのXR600Rという純然たるエンデューロレーサーなんですけどね...。しかし、とっかえひっかえ、キャラクターのぜんぜん異なるマシンとディープに付き合っていると、いろいろ刺激になります。

 R1150RTは、アウトバーンを200km/hで巡航するために作られたようなマシンで、風洞実験とコンピュータシミュレーションで徹底的に仕上げられたフルカウリングを装備しています。

 ドイツらしい徹底した作りこみで、ポジションもとにかく疲れない自然なアップライトポジションです。見た目は巨大ですが、走り始めると、きわめて素直。ハンドリングもまったくクセがなくて、完璧な執事のようにホスピタリティが行き届いています。

 東北道で、ゆったり流しているつもりだったのに、周囲の車が恐ろしいほどの勢いで、後ろへ飛び去っていきます。「GWだから、運転に慣れていないドライバーがトロトロ走っているんだろうな」なんて考えつつ、スピードメーターに目をやると、2xxkm/h!! あんまりスピード感がないので、メーターが壊れているのかと思うほど。その速度域から、思い切りブレーキングしても、不安感がないのですから、恐れ入りました。これは、下手な4輪より快適です。

 R1150Rは、伝統的なモーターサイクルの系譜を受け継ぐ「ロードスター」と呼ばれるモデル。余計な装備は何もなくて、エンジンやパワートレーン、サスペンションなどが剥き出しで、それがまたうっとりするほどの機能美を見せています。こいつはどんなシチュエーションでもゆったりと余裕を持って乗れる大人のバイク。使い方もスタイルも自由だけれど、このマシンの洗練された雰囲気に合わせるには、かなり人のほうもソフィスティケイトされてなければいけません。

 そして、カワサキのブランニューの二台は、ロケットのような加速を見せる新世紀のスーパースポーツ。モーターのように滑らかに回るエンジンは、一瞬にして異次元に突入させてくれます(^_^;)(4台のインプレッションは、TOURING WAVEで読むことができます)。

 ここまでの4台が、21世紀に入ってからリリースされた(される)ニューマシンなのに対して、ニンジャは、初代がリリースされたのが1984年というロングセラーマシンです。

 じつをいうと、ニンジャには今まで乗ったことがありませんでした。でも、こいつに跨ってみて、いっぺんで虜になってしまいました。といっても、ほとんどノーマルの痕跡を留めないほどのチューニングマシンなんですけどね...。

 エンジンはボアアップしてあるし、ハイカムを組み込んで、ポート研磨やらも施されている。マフラーはワンオフのスペシャル、キャブレターはケイヒンのFCR、サスペンションはオーリンス、パワーに負けないように、補強用のサブフレームが組み込んであります。もう、ほとんどレーサーといっていい代物です。140から150psは出ているんじゃないかな? 低速は回転が安定せず、乗りやすいとはとてもいえません。でも、4000rpm以上に回転を合わせていると、強烈なパフォーマンスを見せつけてくれます。

「ピーキー」なんて言葉は、廃れて久しいと思っていましたが、ここにありました。昔のバイクって、みんなこんな調子だったんですよね。アクセルワークがすごいデリケートで、回転をあわせていてやらないとうまく走らない。でも、マシンと息がぴったりあったときの快感は、これ以上のものがないほどです。BMWがこちらをソフィスティケイトしてくれるマシンなら、このニンジャは、眠っていたパッションを呼び覚ましてくれるマシンです。

 マシンとの対話の中で、自然との対話にも共通するプリミティヴなものを感じるのは、ぼくだけでしょうか?

マシンも、乗り比べてみると、ほんとに個性が違うのが良くわかります...だけど、最近何故かロードバイクばかりだなぁ。ほんとは、オフロードライダーなんですけど
(photo by TOURING WAVE)

――― uchida

 

 

01/05/08
THE STAND

 この一月あまり、あたふたと過ごしているうちに、ゴールデンウィークも過ぎて、沖縄が梅雨入りなんて時期になってしまいました。

 このところ、WEB関係のデスクワークに加え、インプレッションの取材やその他の企画立案なんて仕事が重なってしまい、ガンガン更新しようと思っていたOBTのほうに取り掛かることができずにおりました。

 昔の自分は、一つのことに関わり始めると、夢中になってそれだけなり、気がつくと、それ以外のことは全て切り捨てているような人間でした。それが、今では、ハイスペックCPU時代に合わせてというわけでもないけれど、マルチタスクで仕事してるんですから、時代とともに、自分も変わったものだと、関心してしまいます(^_^;) たんに、子供っぽい単純なこんな私も、それなりに大人になったということなのかな?

 ところで、忙しい最中に、マルチタスクでスティーブン・キング「ザ・スタンド」を読みました。

 上下ニ段組のびっしり活字の詰まったハードカバーが1200ページ。久しぶりに、脳が痺れるほど集中して読書しました。この本は、キングの最高傑作と言われながら、なかなか邦訳されずにいて、首を長くして待っていたものです。で、読んでみると、たしかに期待を裏切らない内容のものでした。米軍が密かに開発していたスーパーインフルエンザ「スーパーフルー」が事故で外に漏れ出し、地球上から、ほんのわずかの人たちを残して人間が死に絶えてしまう。残された人たちが、再結集して、新しい社会を築きはじめる。だけど、そこでは、再び、黙示録的な善悪の対決が待ち受けていた...。

 バイオハザードを単純なサスペンスに仕上げた話ではぜんぜんなくて、キングの主眼は、ミニマムな社会を設定することで、「善」と「悪」、その二つの対立という二元論の浅はかさを描写しようとしているように思えます。

 完璧な善ほどおぞましいものはない。この世は、アポロン的なものとデュオニソス的なものの混交があるから、生の意味がある。キングは、不気味なサタンを描きますが、それは人が生きる上で必要とされるアンビバレンツを象徴的に「ダークマター」として描いているような気がします。

 ぼくは、キングの作品では「IT」がいちばん好きですが、「ザ・スタンド」もまた、「IT」に非常に近いスタンスで物語が描かれていて、二番目に好きな作品になりました。

 前に、このコラムで「超自然」の感覚について書きましたが、「ザ・スタンド」でキングが描出した「超自然」の感覚は、まさにそれと同じ種類のものだと思いました。

 そこにフォーカスをあわせて、無理やりに説明しようとすると、神秘主義に陥ってしまう。それは、けして、完全に説明しきれるものではないんですよね。「スタンド・バイ・ミー」で、正義を象徴していた少年が、成人して法曹家となる。でも、彼は、つまらないケンカを仲裁しようとして、命を落としてしまう。運命の皮肉ともいえるそういった出来事がこの世には満ち満ちている。

 可能性という側面から見れば、これから世の中でどれほど活躍できたかわからない彼が、そんなことで命を落としてしまうのは理不尽としか言いようがない。でも、それが現実だし、実際の当人にとっては、そこで昇華した人生は、それはそれで満足のいくものだったかもしれない。

 ...それでいいような気がするんですよね。それが現実だからこそ、人は、一生懸命生きようとする。そういうことかな。「超自然」のほうにリアリティを求めて、夢の世界に逃げ込んでしまう...それは、いちばん卑怯な生き方だと思います。

 「IT」や「ザ・スタンド」の主人公のように、現実に正面から立ち向かって生きていきたいと思います。そして、キングのように、世界を見据えて、いろいろな作品を残していきたいな。

――― uchida

 

 
 

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