00/12/24
クリスマスキャロル

 今日はクリスマスイブですが、毎年、大賑わいの仕事場周辺は、今年は様子が違って、開いている店も少なく、師走の寒風が身に染みる夜でした。

 クリスマスといえば、ぼくは、ディケンズの『クリスマスキャロル』が好きです。この原作を元に主人公のスクルージをジョージ・C・スコットが演じた同名の映画も何度も観ました。意固地で自分勝手なスクルージをどこか自分とダブらせて観ていたのでしょうね。ぼくの場合、どうやらまだ救いはないようですが...。

 それはともかく、今日は、浅田次郎の『鉄道員』を読みました。表題作を含めて8本の短編を収めた短編集です。ぼくは、ふだんあまり日本の作家の小説は読まないのですが、これは、先日何気なく近所の本屋で手にとって、そのまま買ってしまったものです。

 作中に登場する人物たちが、中年から老年で、どこか枯れた味わいがあって、しみじみとしました。たぶん、数年前までの自分なら、この短編集を読んで、とくに感じることはなかったでしょう。

 でも、なんとなく、自分の歳を意識し、人生の折り返しを過ぎたと感じている今、格別なヒーローでもなく、逆境に立ち向かう健気な精神の持ち主でもない、何でもない、どこにでもある人生を生きる一人の枯れた人間の人生が、心に染みるような気がしました。

 『鉄道員』は、映画にもなりましたが、これは観ていません。その題名からして、『とうちゃんのポーが聞こえる』のような内容かなと思っていたら、ぜんぜん違いました。浅田次郎さんは、あとがきで、これを「奇蹟」をモチーフにした短編集と言っています。「奇蹟」といっても、最近流行りの「癒し」とか「カルト」のように「スピリチュアル」系のお手軽なものではなく、真摯な人生を送った人にのみほんのつかの間もたらされる「奇蹟」、そんな種類の「奇蹟」が描かれています。

 そういえば、『クリスマスキャロル』だって、健気に現実を受け入れて生きる一家が起こす、小さな「奇蹟」の物語ですよね。

 さて、今夜の夢には、どんな妖精が登場しますやら...。

 今日のちょっと気になった一節。

「ある種のものは、あんまり分析しすぎると、そこからロマンスを奪ってしまう……ロマンスは火明かりのすぐむこう、視界の端に踊っています。まともにじろじろ見られるのを嫌うのです。論理とかデータ収集という冷たい光が向けられると、ロマンスは逃げてしまいます。それでも、あくまでも分析・研究しようとすれば、それは分解し、蒸発して、後には何も残らないでしょう」(R.J.ウォラー 『OLD SONGS IN A NEW CAFE』)

――― uchida

 

 
 

00/12/23
空想と辛辣のバランス

 20世紀も、残すところあと一週間になりました。

 今日は、20年来の友人がひょっこり仕事場に顔を出したので、ささやかに二人で忘年会というか忘紀会をしました。

 今のぼくの仕事場は、原宿と千駄ケ谷の駅に近いところにあるのですが、彼とは、21年前に千駄ケ谷駅側の「日本青年館」で出会いました。二人とも高校三年生で、ちょうど東京で受験するために青年館に泊まっていたのです。

 大部屋に10人以上押し込められて、受験に来ているというよりは、修学旅行の延長みたいなものでした。

 彼は九州の大分の出身で、ぼくは関東の茨城、生まれ育った土地はまったく違いますが、なせがとても気が合って、一ヶ月の間、よく一緒に行動していました。それから浪人、大学時代も近くに住んでいたりして、文字通り、ともに青春を謳歌したものでした。

 どういう縁か、始めて会った場所のすぐ近くで、また当時のように気さくに話ができるのはいいもんです。ビールとピザのデリバリーなんて組み合わせで忘紀会をしていたわけですが、そういえば、高田馬場のシェーキーズによく行ってピザの食べ放題に挑戦したものでした。

 彼は大学に残って学究の道へ進み、ぼくはライターの道を選びました。あれから20年、彼はだいぶ頭が寒くなり、ぼくのほうは白髪が増えました。20世紀の最後の20年間、それぞれの道で、それぞれどれほどの成果を残せたか...。人生80年として、今、ちょうど40歳。21世紀を迎えるに当たって、折り返しの歳を迎えたわけで、「生まれ変わったつもりで、気持ちを新しくして行こう!」なんて盛り上がりました。

 来年の話をすると鬼が笑いそうですが、2月には彼の知り合いの寺に行って少し滞在し、その後は、バリ。6月は、ずっと実現できなかった大峯の峰入りをしようと思っています。...その前に、今年の仕事を片付けておかねば。

 今日のちょっと気になった一節。瀬戸内寂聴『孤高の人』の中で紹介されている湯浅芳子から愛人の宮本百合子へ宛てた手紙。

「あなたは空想家だから、いつも自分の空想で偶像を作る癖があるらしい。だからしばらくすると失望することになるのです。−性格が他の性格に本質的に感じる渇仰があるのだから−とあなたは言っていますが、そこにも空想が手伝ってはいませんか。あなたはもっと皮肉になっていいと私は思う。他人に対しても自分に対しても。とくに創作家としては、もっと辛辣でなくてはいけないと思うくらいです。あなたが過去に失敗を持ったのも空想のたたりです。それと一時の感情のめくらになること。あなたに辛辣さがないのじゃない。ある。たしかにある。ただそれが、空想を持っている間だけは影を見せないのです。そのかわり、空想が消えると、一層激しい力で出てくる。私はそれを怖れます」

 空想と辛辣のバランスを取るというのは、難しいものです。

 ぼくなんか、ずっと夢の中に生きているように思うことが日に何度もありますからね...。

 話がぜんぜん違いますが、仕事場のPCのメモリを増設しました。なんと64MBのDIMMが4900円。ぼくはこれを近所のPCデポで買いましたが、秋葉原のほうではこの値段で128MBのパルク品が買えるようです。

 ハードディスクも増設しようと思っているのですが、こちらは、30GBのものが15000円ほどで売られているようです。10年程前、98ノートに8MBのメモリを載せ80MBのハードディスクを装備したものが60万円しました。当時ハードディスクの容量が1MBにつき1万円と言われたものです。今は30GBで15000円だから...1MBにつき0.5円!! いやはや、なんというインフレーションでしょう! 

 来年は、CPUのクロックが2GHzが標準になるなんて言われてますが、それにともなって、メモリやHDもギガやテラの単位になって...恐ろしいほどの情報の処理スピードと集積化になります。来年は、もはや、そのスピードに人間のイマジネーションがついていけなくなってしまうのではないでしょうか?

 これは、「センス・オブ・ワンダー」を忘れて、そちらにばかり突き進んだら、大変なことになりますね。

 ところで、仕事場のPCはメモリの増設によって、驚くほど安定して動作するようになりました...。

――― uchida

 

 
 

00/12/21
センス・オブ・ワンダー

 レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』(上遠恵子訳 新潮社)を読みました。

 レイチェル・カーソンといえば、地球環境汚染を身近な問題として取り上げ、ガイアムーヴメントに繋がる大きな流れを作り出すきっかけとなった『沈黙の春』が有名ですが、元々、ナチュラリストとして、自然をテーマにした作品をたくさん残しています。

 『センス・オブ・ワンダー』は、彼女が晩年、最後に書き上げたいと願っていた、地球の美しさと神秘を感じ取ることのできる感性をテーマとした未完の作品です。

 「子供たちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、私たちのの多くは大人になる前に澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直観力を鈍らせ、あるときはまったく失ってしまいます。もしもわたしが、すべての子供の成長を見守る善良な妖精に話し掛ける力をもっているとしたら、世界中の子供に、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見張る感性」を授けて欲しいと頼むでしょう。この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです」

 レイチェル・カーソンは、自分の別荘にやってくる姪の息子ロジャーを連れて夜の海岸や、地衣に覆われた森を散歩しながら、ロジャーがセンス・オブ・ワンダーを発揮して自然から様々なものを吸収していくのを見守ります。

 ぼくも、自分の子供はいませんが、田舎に戻ると、よく甥や姪と一緒に近所の山へ散策に行きます。

 まだ甥がようやく言葉を覚えた頃、近くのあぜ道を連れて散策していると、彼の姿が見えなくなりました。迷子になってしまったかと、あわてて戻ると、彼は、畦にちょこんと腰を降ろし、綿帽子になったたんぽぽを手折って、その種に息を吹きかけて飛ばしています。

 すぐそばまで近づいても、彼はこちらに気づかず、何か呟きながら、同じことを続けています。

 耳を傾けると、彼の言葉が聞こえました。彼は、ほんとに気持ちよさそうに、こう言っていました。

 「春っていいなぁ...」

 彼は、まさに全身全霊で春を味わっているのです。

 カーソンは、この著書の最後に二つのエピソードを紹介しています。

 スウェーデンの海洋学者で93歳でこの世を去ったオットー・ペテルソンの話。

 「オットー・ペテルソンは、地球上の景色をもうそんなに長くは楽しめないと悟ったとき、息子にこう語りました。『死に臨んだとき、私の最後の瞬間を支えてくれるものは、この先になにがあるのかという限りない好奇心だろうね』と」

 もう一人は、カーソンの読者のある女性からの手紙です。

 「その手紙はある女性読者からのもので、休暇をすごすのに適当な海辺を推薦してもらえないかという内容でした。彼女は、太古の時代から存在しつづけながら常に新しい海辺の世界を訪ね歩きたいと願っていて、文明によって傷つけられず自然のままが残っている場所を探しているということでした。ただ、北部の岩場の多い海岸は、残念ですが除いてくださいと書いてあります。彼女は生涯を通じて海辺を愛しつづけてきたのですが、メイン州の海岸の岩場を攀じ登ることは、まもなく89歳の誕生日を迎える身には、いささかむずかしいでしょうから、というのです」。

 センス・オブ・ワンダーを生涯持ちつづけて生きることは、人工のモノと情報に溢れ、プライバシーすらまともに守れなくなった高度通信社会の今、とても難しいことになってしまったのかもしれません。

 でも、知識や情報ではあらわせない「ワンダー」が、この地球には溢れていることに変わりありません。最近、ぼくは、誰もいない夜の富士山麓に足を運んでいます。キンと張りつめた空気の中、月明かりの中にボウっと浮かび上がる富士山を見ていると、頭の中が空っぽになります。そして、しばらくすると、言い表しようのない感動が心を満たしていきます。情報・知識社会の中にあって、ついつい忘れてしまいがちな、「感じる」ということを教えてくれるのは、やはり「自然」以外にはありませんね。

 センス・オブ・ワンダーを失ってしまったら、もはや「人」とは呼べないでしょう。人が人であるために、この世に「沈黙の春」を訪れさせてはいけないのです。

――― uchida

 

 
 

00/12/20
西野始さんの思い出

 先日、打ち合わせで、半蔵門にある昭文社を訪ねた折りに、「とんちゃん」に案内されました。

 ツーリング界の芭蕉・曾良コンビ(ライターの賀曽利さんと昭文社編集の桑原さん)が顔を合わせると、必ず出かけるという、まさに「場末」という言葉がぴったりくる居酒屋です。

 半蔵門という都心にあるとは思えない煤けた店内は、忘年会シーズンたけなわだというのに、客がほとんどおらず、まともな暖房もないので、椅子に座っても、コートを脱ぐこともできません。薄暗くて、妙にがらんどうで、マスク姿の怪しいおばちゃんが二人、背を丸めて、ボソボソと働いています。

 今、ぼくはインターネットというツールを使って、新しい表現手段を模索するような仕事をしていますが、「ドッグイヤー」と言われて、分秒単位でめまぐるしく変動する環境から、「とんちゃん」のような、時間の止まったような場所に来ると、なんだか心底ホッとしてしまいます。

 「とんちゃん」の雰囲気が、それこそ40年も前から変わらないような感じがするせいでしょうか、ふと、昔のことを思い出しました。

 もう15年前になりますが、ぼくは、「オフロードライダー」(晶文社)という単行本を編集しました。それは、個性の違う三人のオフロードライダーにインタビューして、それぞれの刺激的な生き方を浮き彫りにしてみようというものでした。

 誰にも頼らず、自分の道を自分のイメージに従って進んで行く三人の男、彼らの歩んできた道と夢を直接聞くことができたのは、当時駆けだしのライターだったぼくにとって、とても貴重な体験でした。

 賀曽利隆さんとは、今でこそ仕事でご一緒させていただいたりしていますが、ぼくがオフロードバイクに乗り、ツーリングをするようになったのは、賀曽利さんの最初の世界一周の記事やオートバイ誌で連載されていた「峠越え」の記事を読んだのがきっかけで、まさにぼくのバイクライフの師匠のような人です。

 賀曽利さんは、20歳のときに肩に日の丸を縫いつけたウインドブレーカーを羽織って、スズキのハスラー250というバイクで日本を後にして以来、ずっと同じスタイル「生涯旅人」(賀曽利さんが、サインするときに、必ず色紙に書き入れる言葉)を続けられています。

 未知なモノに邁進していくバイタリティは、若い頃にも増して膨らんでいくようで、そのパワーには、呆れる……いやいや、圧倒されると同時に、見習わなければといつも思わされます。

 風間深志さんも、ぼくがオートバイに乗り始めた頃に、オートバイ誌で「オフロード天国」という斬新な企画を始められて(何しろ当時は暴走族華やかなりし頃で、オフロードバイクに乗るなんていうだけで変人扱いされてました)、やっぱり強い影響を受けた人です。

 風間さんとも縁あって、後にいろいろと仕事をご一緒させていただいきました。風間さんは、あまり物事にこだわらないというか、「ノリ」にまかせて、どんどん先へ進んでいく人ですが、ただゴーイング・マイウェイというのでなく、とても周囲に対して細かい気遣いをされる優しい人でもあります。

 バイクを通して自然と触れ合ううちに、自然と人間が共生することの意味を問い始め、「地球元気村」など、独特の活動を展開されています。

 そして、「オフロードライダー」に登場してもらったもう一人の人物が、西野始さんでした。

 彼は、賀曽利さんや風間さんのように、二輪の業界とは直接関係がなかったので、ほとんど知られてはいませんでしたが、ぼくにとっては、年齢が近かったということもあって、とても印象に残る人物でした。

 4年に及ぶ世界一周ツーリングから帰国した彼に会いに、静岡まで行った日のことを今でもはっきり覚えています。

 待ち合わせした静岡駅に近い喫茶店に、彼は、杖をついて片足を引きずりながらやってきました。「どうしたんですか?」と聞くと、「ハハハ、事故っちゃって……」と、日焼けした顔に白い歯を見せて、豪快に笑いました。

 「旅をしている最中に、あるイギリス人に言われたんだけど……長い旅をしてきた奴は、国に帰った最初の一年でみんな事故ってるから気をつけろってね。で、そのフレーズがカッコよかったもんで、途中で会った日本人みんなに、帰ったら、一年は気をつけて乗れよ、なんて言ってたの。そしたら、何のことはない、自分がこれだもんね」。

 ……それから、彼は、相棒のXT500とともに旅をした世界中の話をしてくれました。

 自分で描いた夢を実現するために、しっかりとそこへ辿りつくまでのビジョンを描いて、それを着実に実行し、旅に出たら、その世界を徹底的に楽しむ。同じような年齢なのに、こんなしっかりして豪快な人間もいるんだと、心底感激し、いっぺんで彼の人間性に惚れてしまいました。

 インタビューの最後に、「今、憧れているのはやっぱりサハラ。あそこには、不可能があふれているからね。いちばんはっきりする。バイクにそれなりの装備をして行くでしょ。もちろんいろんなノウハウも詰めこんで。で、実際に行って死んじゃえば、それは、そいつの装備やノウハウが足りなかった証明。渡りきれれば、そいつは正解。そういうことがものすごくはっきりする。……また、資金を貯めて、二年後くらいには、サハラに行きたいね。でも、それが終われば、またその先へってことになるんだろうね。終わらないね、いつも地平線の夢を見るものね」と笑って言いました。

 西野さんは、その後、サハラへは向かわず、シンガポールへ渡りました。

 薬剤師の資格を持っていた彼は、窮屈な日本で仕事を始めることは選択せず、単身、シンガポールで薬局を始めたのです。

 そして、そこを拠点に、東南アジア各地にビジネスを伸ばしていきました。バイクから離れたものの、ビジネスに、自分が向かう夢を見つけ、邁進していったのです。

 ところが、突然の不幸に彼は見舞われてしまいました。1997年12月19日。インドネシアのスマトラ島南部で、乗客104人を載せたシルク航空機が墜落しました。西野始さんは、このとき遭難した104人の中の一人だったのです。享年40歳。あまりにも若すぎる死でした。

 「とんちゃん」で酒を飲みながら、西野さんのことを思い出していたのが18日の深夜。なぜか、毎年、彼の命日が近づくと、まったく屈託のない彼の笑顔を思い出してしまうのです。

 来月、ぼくは40歳になります。この15年、時代の波にもまれながら悪戦苦闘してきましたが、ぼくは、今になって、地平線の夢をよく見るようになりました。

――― uchida

 

 
 

00/12/11
大菩薩峠

 一昨日、久しぶりにドライブと登山を楽しんできました。

 金曜の夜に東京を出発し、高速を使わずに下の道を塩山まで。満月にまだ二日の月が照らす山道を大菩薩峠のほうへ登って行きました。深夜、冴え冴えとした月が細い山道を照らし出して、ときおり、野生動物の双眸がヘッドライトを反射して不気味に光ります。

 深夜の林道を一人でドライブするのは、さすがに気持ちのいいものではありません。塩山から大菩薩に向かうあたりは、いろいろおどろおどろしい昔話があったりするところですしね...。

 はじめのうちは、背筋に寒いものを感じながら車を走らせていたのですが、いつくかのコーナーを抜けて、ふと開けた谷筋を見たときに、月明かりに照らされた甲府の町並みとその向こうの南アルプスの稜線が見えました。

 日の光の元で見る風景とはまったく違って、それは、何か土地に秘められた「気」のようなものが浮かび上げられた不思議な景色でした。九十九折れをいくつも曲がっているうちに、黄泉の国への回廊をいつのまにか抜けてしまったような、いつも見慣れた景色がまったく違う景色に見えます。それまでの恐怖が嘘のように吹き飛んで、ぼくは、思わず車を止めて、その景色に見入ってしまいました。

 さらに、上日川峠の駐車場まで上ると、今度はもっと広く南アルプスが見渡せます。甲斐駒から北岳、鳳凰三山、仙丈といった主峰がすべて、月明かりの元、はっきりしたシルエットを見せています。

 それは、見ているうちに、ただ黒々とした影としてあるのではなく、内に秘められた青い光を発光しているように見えます。風水などでは、大地に秘められた力が目に見える形で表出したのが山だと説いていますが、まさに、山を形作る地の力、その大地の力が青い光そのものなのだという感じです。裂石から上日川峠までの林道は舗装されていますが、この12日から春までは閉鎖されてしまいます。そのほんの数日前に、ここを通れて幸運でした。

 そのまま3時間ほど仮眠して大菩薩嶺へ。

 ろくに眠っていないので、最初のうちはかなりあえぎましたが、途中、休憩していると、しっかり地を踏みしめる足音が聞こえてきます。けして早くはないのですが、一歩一歩確実に地面を捉えて、同じリズムを崩さず、着実に歩んでいます。ほどなくすると人影が現れ、ぼくの前で軽く会釈しただけで、歩みのリズムを崩さずに、そのまま登って行きます。その歩みのリズムを聞いていると、とても心地よくなりました。

 そして、ぼくもその人に一定の距離を置いて、同じリズムで歩き始めました。すると、不思議なことに、さっきまであれほどあえいでいたのが嘘のように快適になりました。そのまま、先行者をペースメーカーに、樹林帯を抜け、稜線に出ました。

 吹きっ晒しの稜線は、まさに冬山を実感させる強風と寒さでした。でも、雲ひとつない晴天で、信じられないくらい雄大な景色が広がっています。

 南アルプスはもちろん、八ヶ岳や遠く乗鞍の山なみまで見通せます。そして、大菩薩峠からは、北に雲取をはじめとする奥秩父の主峰や、大岳山、三頭山、さらに遠く東京湾の煌きまでが見通せます。でも、なんといっても素晴らしいのは富士山です。まだ頂上にわずかに雪を戴いた富士は、優美な裾野を前衛の山の向こうに、十二単のように広げています。なんだか、久しぶりの山行に、富士をはじめとした全ての山々が歓迎してくれているようです。

 今回の大菩薩山行は、先月5日のツーリングの帰り道から心にあったものです。あのときも、素晴らしい晴天で、ほとんどのピークを見渡せました。そのとき、東京への帰途、雁坂トンネルへ向かう途中で、右手に見えた大菩薩の稜線が、とても印象に残っていたのです。明るい萱の原が黄金色に輝いて、ぼくを呼んでいるようでした。それでふと思ったのです。「今度、大菩薩に登ろう」と。

 大菩薩は、今回が二回目でした。もう20年も昔に登ったときは、裂石からだいぶアルバイトさせられて、稜線までの高度差にかなり難渋した覚えがあったのですが、今回は、あっけないほど簡単に稜線に出てしまいました。6時半に上日川峠を出発して、大菩薩嶺には8時半、さらに大菩薩峠には9時に着いてしまいました。別に飛ばしたわけでもなく、じっくり景色を楽しんだり、途中でコーヒーを淹れたりして、のんびり歩いて、そんな調子です。さらにラーメンまで作って食べたりしたにもかかわらず、10時過ぎには上日川峠の駐車場まで戻ってきてしまいました。疲れもほとんど感じません。なんだか、久しぶりに、「登山を再開しますよ」と、山々に挨拶に行ったような感じでした。

 その後、またいろいろ体験できた、充実の一日でした。その細かいことは、また後日...。

――― uchida

 

 
 

00/12/03
枯れ葉の感触

 夕方、久しぶりに代々木公園を散歩してきました。

 冬枯れの木立の中、枯葉を踏んで歩くと、なんだかとても懐かしい感触です。子供の頃、よく祖母が掃き集めた枯葉を蹴散らして叱られたものです。枯葉を踏みしめたときのあのカサコソいう音と感触が心地いいんですよね。

 それから、あの独特の乾いた香り。夏の間たっぷりと日差しを吸った葉からその残滓が立ち上るような、微かな日向の香りです。

 何かの感覚をきっかけに、違う感覚や記憶が呼び覚まされることを「クオリア」といいますが、今日は、そんな瞬間を味わいました。

 竹箒で庭を掃く音、かき集めた枯葉で落ち葉焚きをするときの煙、そして、焼きあがったヤキイモの暖かさ。枯葉を踏みしめた感触から、そんなことが次々に思い浮かんできました。都心にいても、ちょっと足を伸ばせば、季節をはっきり感じることができますね。

 20世紀も、もう1ヶ月を切りました。

 ぼくは、幼い頃、祖母と過ごす時間が長く、祖母の思い出話をよく聞かされました。19世紀終盤に生まれた祖母は、20世紀に入ると同時に物心がつく年頃になり、その後、激動の20世紀そのままに生きました。

 そんな人に育てられたせいで、ぼくにとって20世紀はその始まりからリアルタイムで生きてきたような気がしています。祖母から受け継いだ記憶と、自分が生きてきた記憶、その集大成が20世紀そのもののような...。

 なんだか、一つのアルバムを閉じて、来月からは、新しい真っ白なアルバムに新たな記憶を刻み込んでいくような気がしています。リニアな時間の流れから考えれば、その前後と何も変わらないものなのでしょうが、やはり、この世紀の変わり目は、大きいような気がします...それは、ぼく個人だけでなく、全ての人にとってという意味で。

――― uchida

 

 
 

00/11/24
受け継がれていく魂

 このコラムに文章を書くのも久しぶりになります。

 忙しさにかまけて、あまり表にも出ず、泊り込み続きで、ふと気づくと、師走がすぐそこという季節になってしまってました。

 せっかくの夜長に仕事疲れでボンヤリしていてももったいないので、時間を作って読書をすることにしました。今、ネイティヴアメリカンのイロコイ族の口承伝承をまとめた『一万年の旅路』(ポーラ・アンダーウッド著 星川淳訳 翔泳社)を読んでいます。

 一万年前にユーラシア東部に暮らしていたモンゴロイドが、崩壊寸前のベーリング陸橋を越えてアメリカ大陸のオンタリオ湖畔に落ち着くまでの壮大な叙事詩です。

 幾世代にも渡って、数々の困難を乗り越え、どうしてそんな旅をしたのか? まだ誰も足を踏み入れたことのない土地で、どうしてその先を見通し、歩き出す勇気をもつことができたのか? 彼らは、困難に当たると、自分たちの子孫のために何がいちばんいい選択なのかと話し合います。そして、ユーラシアの地で身につけた、自然との関わり合いの知恵を生かして、新しい土地で生き延びてゆきます。

 アイヌの神話の中には、「ニカラクワ」とか「ラップランコタン」といった遠い土地に近い名前が出てきますが、それは、実際にその土地についての知識が貿易ルートなどを通じてもたらされたからというよりは、現代人が失ってしまったプリミティヴな知覚によって感じた土地のことを語っているような気がします。

 世界先住民年のときに、北海道の二風谷を中心に、北海道各地で、世界中の少数民族たちが集まって、連続シンポジウムを開きました。そのとき集合したマイノリティたちは、現代国家間や宗教間の対立のように、見解を異にすることはありませんでした。彼らは、自然から学び、自然とともに生きる人としてたちまち共感しあったのです。

 今、なんとなく、「受け継がれていく魂」ということを考えています。

 西洋の個人主義は、魂を個々のものとして切り離してしまいました。そして、東洋思想では、永遠不滅のものとして純化しすぎてしまったように思います。自然にあるということの本質はいったいどういうことなのか? それは、自分が自然とともにあらねば理解できないものなのかもしれませんね。

――― uchida

 

 
 

00/11/07
ガストン・ライエ
ミーティング

 この3日、4日と↓で紹介した「ガストン・ライエミーティング」に行ってきました。

 初日は、早朝に東京を発って、集合地点の諏訪へ。前日からの雨が少し残っていたものの、笹子トンネルを抜けて甲府盆地へ出ると、南アルプスの山々を越えてきた雲が、盆地の上空に薄くたなびき、そこに微かな朝日が差し込んで、この世とも思えない幽玄な風景が展開していました。南アルプスの山の精気をたっぷり吸い込んだ清々しい空気の中を諏訪へ。

 ビーナスラインを少し登って、女神湖の横からダートへ。ここは、さすがにさっきまで降っていた雨のせいで水溜りはあるし、地面はヌタヌタで、30リッタータンクを満タンにしたKTMアドヴェンチャーにとっては、けっこうしんどい道でした。

 だけど、そんなところをBMWR1150GSという250kgもあるさらにモンスターマシンで走ろうという酔狂もいるんですから、世の中は広いですまったく...。それからさらに、何本かダートを繋いで、白馬乗鞍のホテルへ。ここで初日は終了。

 翌日は、信じられないほどの快晴で、後立山の連山が青空をバックに屹立しています。

 稜線には微かに雪が載り、中腹は紅葉の帯、そして麓は緑と、久しぶりに「三段染め」を拝むことができました。この日は、長野県をほぼ縦断する形で、ダートを繋いで、白馬から木曽福島近くの三岳まで南下。前日、満タンにしたガソリンを程よく消費して、終盤には、KTMらしいアクションライディングを堪能しました。そして、ゴール地点手前では御岳の雄姿が眼前に...。

 その日は、八ヶ岳山麓で自然農法をしている「てづくり屋」へ。

 翌5日は、八ヶ岳を眼前に拝みながら、稲刈り。谷を挟んで向こうには、三日の朝は雲に煙っていた南アルプスが、くっきりと全貌を現しています。

 そして、6日は、下道を辿り、甲府から雁坂トンネル方面へ向かう途中、大菩薩の連嶺、奥秩父の連山を拝むことができました。どのピークにも登れなかったのは残念でしたが、中部山岳の主要なところは押さえられて、なんだかとても得をした気分でした。

――― uchida

 

 
 

00/11/02
BBSなどなど

 なんだか、すっかり秋も更けて、寒さが身に染みるようになってきました。

 この寒風をついて、明日は信州へツーリングに行ってきます。かつて、パリダカやBAJA1000といったアドヴェンチャーレースでならした小さな巨人、ガストン・ライエ氏を囲んで、ビッグオフローダーばかりのツーリングです。

 ぼくが今回借りたのは、オフロードマシンの最高峰KTMの640アドヴェンチャーRというマシンです。都内を走るだけで、血が沸き立つような熱い相棒です。こいつと一緒に、晩秋の信州を堪能してきます。

 ポータルサイトの「フレッシュアイ」さんから、「アウトドアノウハウを語り合う掲示板を開設したいので、その管理人になってくれないか」という打診を受けました。広く、いろいろな人と語り合いたいので、ぼくは快諾しました。まだ専用ページはできていませんが、来週早々には、「フレッシュアイ」の掲示板でも、いろいろ楽しい話ができると思います。OBTのトップページにバナーを張りましたので、そこから入っていただけます。秋の夜長にいろいろと語り合いましょう!

 それからもう一つ。小サイトのコンテンツの一つに「ノンフィクション」があるのですが、その中の「若者たちに蔓延する悪魔のクスリ」というぼくが書いた記事に対して、ご意見をいただきました。

 ぼくが、少し扇情的に書いてしまった部分を批判していただき、その後、DMでやりとりさせていただいた経過を記事の後に、そのまま掲載させていただきました。こちらも、ぜひお読みください。いろいろコンテンツが増殖していますが、どのことに関しても、皆さんと意見や情報交換していきたいと思ってますので、どんどんmailをいただければ幸いです。

――― uchida

 

 
 

00/10/25
援農

 先週の金曜日から今週の月曜日にかけて、援農&キャンプに行ってきました。

 援農は、8月に芋掘りに行った、八ヶ岳の友人のところです。今回は、休耕地をより自然に近づけて活性化するために、草を刈り、少し土を起こして、大麦を蒔きました。たまに行って手伝う分には、「うまい空気を吸って、美味しく安全なものを食べて、いい運動ができた」なんてのん気なことを言っていられますが、現実にそこで生活していると、いろいろたいへんなことがあるものです。

 まず、自分の土地ではなく休耕地を借りているので、小さい区画を分散して借りなければならず、移動するのが大変なこと。それに、八ヶ岳の麓は、雪は少ないものの、これからの季節は乾燥が厳しく、どんなに肌を手入れしてもひび割れて痛いのだと聞きました。また、地元の選挙などもあって、遊説のときにしっかり顔を出していないと、コミュニティの中でいろいろ不都合があるなんてことも聞きました。

 奥さんがおめでたで、今、悪阻がきつい時期だったりもするので、なるべく時間を作って、手伝いに行ってみようと思っています。11月の半ばは稲刈りです。

 キャンプのほうは、ぼくのお気に入りの場所、奥秩父小川山の麓、廻り目平へ行きました。八ヶ岳の彼のところから1時間あまりの道のりです。日曜の夜は、じっくりと焚き火などして山の精気をたっぷり味わうことができたのですが、翌日は生憎雨となってしまいました。それでも、紅葉した木々と岩山にうっすらとガスが掛かり墨絵のような風景の中にいると、それだけで落ち着きます。また援農に行ったついでに寄ってみようと思っています。

――― uchida

 

 
 

00/10/14
インプレッション

 久々にオートバイのインプレッションを書きました。

 先月、ツーリングマップルの中部取材に使ったHONDA−X11です。HONDAのスーパースポーツのフラッグシップCBR1100XXをベースに日常的な使い勝手を高めたネイキッドバイク。詳しいインプレッションはmapple.com内の“TOURING WAVE”ページにあります。

 自前のバイクXR600Rが原因不明のエンジンヘッドからの異音で入院したまま使用不能のため、日常の足がなくて、バイクのインプレッションを書いていると、無性にバイクに乗りたくなってきます。

 16歳のときから、24年間、傍らには必ずバイクがありました。それも、愛車はどんなところにも気軽に乗り入れることができるオフロードバイクばかりで、まさに「21インチのワークブーツ」(なんだか、懐かしい表現だなぁ……自分で書いておいて、思わず郷愁に浸っちゃいます。ほんとは23インチのワークブーツです……これがわかる人は、けっこうな歳ですね)でした。なんだか、とっても不自由を痛感しています。早く戻ってこないかなぁ……。

 ぼくも一応、流行のSOHOワーカーですが、最近、Esquireの日本語版でニューヨークのSOHOワークの特集が組まれていて、それを見ているうちに仕事場を改装したくなりました。

 編集者である相棒と二人で、東京の神宮前のアパートを借りてシェアしているのですが、さし当たってお金もないし、小型のコルクボードをパーテーション代わりにして、クリップランプなどを挟んだら、あら不思議、かなり雰囲気が出てきました。

 これで、お互い、隣でデスクに突っ伏して居眠りしていても、つられて居眠りすることが少なくなりそうです(^_^;) 

 ついでに、なんだか、とってもNYへ行きたくなってきました。SOHOって言う言い方も、やっぱりNYがいちばん合いますよね。ライフスタイルから言ったら、ぼくなどは、単なる「個人零細事業主」ですから……。

 普段、モバイルには、HPのJORNADAを使っているのですが、今まで、こいつのACアダプタに悩まされていました。なんてったって、本体が500gと軽いのはいいのですが、ACアダプタも同じくらいの重さと体積があって、内蔵バッテリーのスペック以上の時間を使う可能性があるときは、ACアダプタも持っていかなければいけないわけですから、重さとしては、JORNADAを二台持ち運んでいるのと同じになってしまうわけです。1kgとなったら、B5サブノートを持ち運んでいるのと同じですからね……。

 それで、JORNADAに使える小型のACアダプタを探していたのですが、ついに、これを発見しました。その名もJORMINI! なんと、重さ30gと、純正のほぼ20分の一です。こいつにしたら、ほんと、荷物が軽くなりました。純正のアダプタが重いのは、ワールドワイドで仕事する人たちのために、100V〜240Vまでの電圧に対応して、世界中のどこでも使えるようにしているためです。JORMINIは100Vで、国内専用です。ちなみに、JORMINIは、イケショップモバイルプラザで、WEB上から注文が可能です。送料税金合わせて5300円あまり。JORNADA使いの方には、お勧めです!

――― uchida

 

 
 

00/10/07
里山物語

 一昨日、「今森光彦の里山物語」の試写会に行ってきました。

 琵琶湖の辺に昔からある里山で、四季を通してそこに息づく生物たちを追ったハイビジョン映像です。

 春、乾いていた田んぼに琵琶湖から用水を通して引いた水を張り、稲を植える。すると、琵琶湖に生息していた鯰が支流から用水と辿って、田んぼにたどり着きます。そしてここで産卵して、再び琵琶湖へ戻っていきます。さらに、地中にあったトンボの卵が孵化してヤゴになり、冬の間落ち葉の下で冬眠していたカエルが目を覚まして田んぼに戻ってきます。

 春から夏へ、水蟷螂やタガメ、その他様々な昆虫が活動を始め、それを餌にする鳥もやってきて、田んぼはまさに生物で大賑わいとなります。また、その周辺の里山では、シイタケを栽培した後のクヌギの木が朽ちて、その腐葉土の中でカブトムシやクワガタが孵り、脱皮を繰り返して地上に出てきます。

 春、田んぼに水が張られると真っ先にやってきた鯰の卵から孵った稚魚たちは、しばらく田んぼで暮らした後、親たちの後を追うように、用水から支流と辿って、琵琶湖に戻っていきます。

 夏が過ぎて、刈り入れの秋になると、田んぼを住みかにしていた昆虫や動物は、俄かに動き出し、それぞれの越冬の場所に戻っていきます。

 人間がはじめた稲作という自然コントロールは、いつのまにかエコロジーサイクルの一部となり、魚や動物、昆虫たちをそこで育む、欠かせないものとなっている。そのことを実感しました。

 それは、自然が、人間の営みなどより遥かに大きく、柔軟性に富んでいるということでもあるし、また、古代の人間たちが自然のことを良く知っていて、自分たちの営みが自然のサイクルの中に違和感なく収まるように、システムを設計していたということでもあると思います。「収益」や「効率」ばかりを重視してきた資本主義社会における化学農法の稲作や畑作は、もはや自然ではなく、そこで収穫されたものを口にして生きているぼくたちも、ますます自然から遠のいていってしまっているような気がします。

 この映画を軸に、韓国映画「たんぼ〜生命を育む」(イ・ウィホ監督)を並映し、講演会とトークショーを交えた「Satoyama21−里山から考える21世紀」というイベントが今月20日から来月1日まで東京都写真美術館ホールで開かれます。問い合わせは、「里山から考える21世紀」実行委員会事務局(03-3475-7730 http://www2.ocn.ne.jp/~wsmu/satoyama.html)へどうぞ

 さらに、昨日はフジタヴァンテで催されている「ニュージーランド展」を覗いてきました。日本と同じくらいの大きさの島国ですが、日本の自然よりずっとダイナミックで荒削りの自然は、自然そのものが若いんだということを実感させてくれます。

 メーリングリストで、ニュージーランドには日本のような紅葉がないということが話題になったことがありましたが、確かに、植生が単純で紅葉する樹木がほとんどなく、森の下生えもシダのようなものが多いことに納得しました。

 でも、4000mを越す山岳と氷河、息を呑むような手付かずの湖沼や島など見ると、「これで、紅葉までしてしまったら、美し過ぎて気を失ってしまう」と思いました。

 ニュージーランドの南島、NELSON在住のシーカヤックガイドRyuさんのところで、OBTのオフ会をと企んでいるのですが、一刻も早く実現したいです! 

 「ニュージーランド展」の会場で、この写真展の写真を撮られた滑田広志さんとお会いしました。滑田さんは、「山と渓谷」などでご活躍されていて、雑談の中から、ぼくがかつて山と渓谷で仕事をしていたなどというところから話が弾みました。今、その山と渓谷、ニュージーランド政府観光局と一緒になって、ニュージーランドでのオートキャンプツアーを日本で広めようという動きを進められているそうです。それに便乗して、ぼくもニュージーランドツアーに出ようかな!

――― uchida

 

 
 

00/10/04
チキサニ

 この数日、急に「チキサニ」へのアクセスが伸びています(i-mode版では提供していませんm(__)m)。一日平均2、3アクセスだったものが、昨日と今日は平均50アクセスで、一気に100アクセスも伸びました。

 一時、メーリングリストのほうでは話題にしていただきましたが、MLに参加されている人は100人あまりで、みんなが突然読む気になったとも思えないし……。どうなっているんでしょう? この伸び方は、どこかのメディアで紹介されたとしか思えないんですが、どこで紹介されたのか、ご存知の方いらっしゃいましたら、ご一報ください。

 秋になって、いろいろな催しが多くなってきましたね。

 明日は、夕方から今森光彦氏の「里山物語」の試写会に行ってきます。それから今週は、フジタヴァンテの「ニュージーランド展」も覗いてこようと思っています。今月中旬は、WORLD PC EXPOがあるし、月末から来月にかけては東京モーターショー、それから、なんとか今月中にキャンプ&トレッキングにも行きたいんですよね。さて、しっかり仕事して、あちこち行ってこようっと!

――― uchida

 

 
 

00/09/28
木陰の読書

 気候も安定して、ようやくしのぎやすくなってきました。

 昨年は、事務所の近所にある外苑前の銀杏並木のほうに足を伸ばして、夏には、その木陰で読書したりしたものでしたが、今年の夏は、木陰といってもミストサウナのような状態でしたから、とてもじゃありませんが、のんびり読書といった気分になれるはずもありませんでした。

 もっとも、夏の間は、ツーリングマップルの取材で、事務所にもあまりいなかったのですけれど……。

 去年は、年間を通して銀杏並木をよく散歩したので、季節の移り変わりを銀杏の葉の色づきや落葉、芽吹きなどで実感したのですが、今年は、そんなふうに夏をすっ飛ばしてしまったのと、スポーツクラブに通い始めて、とんと散歩をしなくなってしまったため、足が遠のいてしまったのでした。また、仕事の合間に散歩を再開しようかななんて思っている今日この頃です。

――― uchida

 

 
 

00/09/23
精神寄生体

 今日の東京はぐずついた天気になってしまいました。またかなり強力な低気圧が接近していて、東海から東北にかけての太平洋沿岸は大雨になりそうです。この前東海地方を襲った水害のようなことにならなければいいのですけれど。

 昨日、小事務所に写真家の石嘉福さんが見えられて、先月スタートした『西域倶楽部』で使う写真をキャプチャしました。なにしろ、西域を取材されて30年以上のキャリアを有されているわけですから、ストックされている写真も膨大です。その中から、今回は、トップページに使うイメージや子供をテーマにしたものを選びました。まだ取り込んだだけで、これから時間をみつけて加工&アップロードしていきますので、ご期待ください。

 話題が戻りますが、その石さんが、幼い頃に尼崎に住んでおられて、よく水害に遭われたと話されていました。

 水害というのは、ただ川が決壊してその水が洗うだけではなく、生活排水が逆流し、ゴミも押し流されて、それに家が浸されてしまうわけで、その汚水に浸された畳はもう使い物にならないし、家の壁にもなかなか落ちない汚れや匂いが染み付いてしまいます。もちろん、それによって細菌も繁殖してしまうわけです。

 昔は、その地に住み着いて長い人が多かったし、近所づきあいも密で、いろいろな情報を交換しあっていたので、どんな前兆が現れたら水害が起きるかをわかっていて、例えば、ある水位を超えて、勢いが収まらなければ、すぐに一階の畳をはがして二階に上げ、その他の家財道具も二階に持ち上げて対処したわけです。今は、個別の地域特有の危機管理情報は、そこに住んでいる人もあまり知らないし、近所付き合いも密ではないので、水害に襲われたときに、ただおろおろするばかりで、結局、家財一式を汚水に浸して、使い物にならなくしてしまうといったことになってしまっているようです。

 そして、まるでそんな危機管理能力の低下をあざ笑うかのように、異常気象が続いています。

 数日前の朝、ぼくは、奇妙な夢を見ました。八ヶ岳山麓あたりの高原で、ぼくは車の後部座席に乗っていました。

 運転しているのはユーミン!?で、助手席には友人がいます。ぼくは、ぼんやりとサイドウインドウから、外の景色を眺めていました。爽やかな秋晴れの日で、真っ青な空に白いいわし雲が並んでいます。

 でも、どこかおかしく思いました。

 ぼくは、ユーミンに車を止めるように頼みました。そして、車外に出て、空を仰ぎました。じっくりと眺めてみると、いわし雲が、まるで船が残した航跡のように、手前が狭く、先へ行くにしたがって広く広がっているのです。

 「何かが、空に航跡を残しながら進んでいるのかな?」と思った瞬間、まさに、それが航跡なら今そこに船がある場所で、光が点滅しました。

 今度は、その部分に注目して眺めてみました。

 すると、クリスマスツリーを飾る豆電球の電飾を丸めたように、黄や赤、青い光が、波を打つように点滅し、それに照らされて、巨大な透明なイカのような物体の輪郭が見てとれました。すると、また光が雪崩をうったように点滅します。

 巨大なイカのような物体は、その中に光点を収めていて、それが光るたびに外側を包むオブラートのような身体が見えるのです。……と、突然、「精神寄生体」という言葉がなんの脈絡もなく浮かんできて、ぼくはとてつもない恐怖を感じました。

 空に、巨大な航跡を残してゆっくりすすむそいつは、とても邪悪な意識を持っていて、人間の精神に寄生し、寄生した人間の心を食べてしまうのです。きれいないわし雲は、じつは、そいつが食らった人間の心の残滓だったのです。そいつは、人間の心の潤いを生きる糧としていて、潤いを完全に奪われた心が、乾いた排泄物となって、吐き出されているのです。

 ぼくは、ぼくにつられて車外に出ていたユーミンと友人を促して、車に駆け込みました。そして、なるべく早くその「精神寄生体」から離れるように、ユーミンに言いました。車は、猛スピードで木立のトンネルの中を進んでいきます。

 そして、上空では、ときどき体内で人間の心から搾り取った潤いを光らせながら、「精神寄生体」がゆったりと追ってきます。……そこで夢から覚めました。

 いったい、何を象徴しているのでしょう? 

 それは、個人的なことに関わる無意識からのメッセージなのか、それとも、もっと大きな次元のことをぼくに伝えるために集合無意識から送られたシグナルなのか? これからしばらくの間、自分が見る夢に注意し、まだ覚えているうちに書き留めておこうと思いました。

――― uchida

 

 
 

00/09/21
10万アクセス突破!

 本日、12時35分頃、小サイトのアクセス数が10万の大台に乗りました。

 サイトを立ち上げたのが、1997年9月18日でしたから、ちょうど3年ということになります。

 サイトをオープンしたときは、まだまだ日本ではインターネットの黎明期で、自分で満足できるサイトが少なくて、「書籍にも匹敵するような、まともなサイトを作ってやろう」とはじめたものでした。

 最初の1年間くらいは、「単行本丸ごと一冊分の内容なんて載せて、もったいなくないの」なんて言われたり、周囲でネット環境のない人が多くてピンとこない人ばかりでした。でも、ネットの価値がだんだん認知されるようになってくると、ぼくのコンセプトを認めてくれる人がだんだん増えていきました。

 はじめてメールニュースの「Internet Watch」で紹介されると、その日のうちに2000ヒットを記録し、インターネットというメディアが力を持ちつつあることを実感しました。そして、MSNのトップページでわずか一行紹介されたときには、その日のうちに8000アクセスを数え、いよいよネットが本格的に社会に普及してきたことを実感しました。

 書籍では、時間が経つにしたがって、尻上がりに売上が伸びていくということはまず考えられないので、一日のPage Viewが、10から100、200から300、400、500と、3年経った今でも、落ち込むことなしに伸び続けているのは不思議な気がしますが、ネット人口の増加に明らかに比例しているのを見ると、自分が最前線にいるような、一種誇らしい気持ちになります。

 デジタルの世界では1年という時間が7年にも相当するということで「ドッグイヤー」なんて言われますが、この3年の間に紙メディアからどんどん遠のいて、今ではほとんどWEBをベースに仕事をするようになっていることを思うと、デジタルの世界での3年という時の重みを心底実感します。

 この1年は、身近なところでサイトの立ち上げを手伝ったり、自分でもi-modeにも手を広げたり、OBTのメーリングリストを開設したり、さらには、同じ時期に立ち上げられて、お互いに刺激を受けながら発展してきた昭文社の「TOURING WAVE」(現在はmapple.comサイト内のコンテンツ)の製作に深く関わりあうようになったり、モバイル端末向けのゲーム企画に携わったりと、すっかりWEB一色になっています。

 次の三年目には100万アクセスを目指して頑張りますので、これからもお付き合いください。

――― uchida

 

 
 

00/09/19
XR治さなきゃ

 今日は、ようやく秋風が実感できる日になりました。

 オートバイツーリングは、ほんとうはこれからがいちばんいい季節なのですが、編集の都合もあって、今年は暑い最中に炎天下走り回り、今はそのまとめでデスクワークにいそしんでいます。アウトドアに繰り出したいなぁ……。

 そういえば、ずっとぼくのフットワークを支えてくれていた愛車XR600が、いまだに要整備でカバーをかけられたままになっています。

 エンジンヘッドからカチャカチャという異音がして、タペット調整をしてみたら、それがいよいよ大きくなって……修理の予約を入れていたものの、6月に別なバイクでじこを起こしてそのままになってしまっていたのでした。

 広報車を借りて乗り回すのもいいんですけど、それを大っぴらに日常の足とするわけにもいかないし、やっぱり愛着のあるマシンのほうが、何かと安心ですしね。早く修理して、地獄の電車通いから開放されたいんですけど、先立つものがないという情けなさ。

 誰か、仕事回してください! 小サイトへのバナー出稿も受け付けてます(^_^;)

――― uchida

 

 
 

00/09/18
10万アクセス

 この土日、東京はめちゃくちゃな天気でした。

 朝のうち晴れていたかと思ったら急に分厚い雲に覆われてすさまじい雷雨。そのうち通り過ぎるだろうと思っていたら、ずっと雷鳴が轟きっぱなしで、一日中すさまじい雨。台風直撃だって、こんな嵐は続かないと思うんですが……。どこか完全に狂ってますね、地球が。

 天気の予測がつかないと、おちおちアウトドアで遊んでもいられません。今日になって、ようやく秋らしい爽やかな風が吹き始めましたが……。

 それはそうと、小サイトが、今週中に、ついに10万アクセスの大台に乗りそうです。それを記念して、オリジナルTシャツやバンダナを作ろうと思っています。とりあえず、Tシャツを作ろうと思ってます。

 めでたく10万アクセス目をゲットされた方にはプレゼントさせていただきますので、ゲットされた日付と、できたら画面キャプチャした画像なんぞをお送りください。品物のほうは、来週あたりからぼちぼち製作にとりかかるので、気長に待っててください。また、ご希望の方には送料込み2500円程度でお分けしたいと思います。最初は限定10着で、この分に関しては通し番号を入れようかなとも思っています。後で、サイトでも案内しますが、ご興味を持たれた方は、mailください。

――― uchida

 

 
 

00/09/12
月明かりに見えるもの

 昨日は朝方すさまじい雨が降ったかと思ったら、午後には上がって、夜は心にまで染み入るような満月が輝いていました。もしかして、昨夜は仲秋の名月だったのかな? 

 しばらく前に、「月光浴」という写真展を見に行きましたが、太陽の光の下と月明かりの下では全てのものが、異なった様相に見えてきます。

 太陽光はあまりに明るすぎて、ものの表面が輝いて、その反射が目に飛び込んでくる感じなのに対して、月明かりの下では、ものは表にまとった鎧で内側を隠すことができずに、自らの内側に持つ光を仄かに外側に発散しはじめるといった感じでしょうか。月明かりの下では、モノは、否応なくその本質をさらけ出してしまう……。月にまつわる伝説や説話は、そういったモノと月との関係を端的に言い表したもののような気がします。

 最近では、交通事故や犯罪と月の周期との関係が科学的に研究されて、それが行政の現場で生かされたり、医学の分野でも、人間の生死と月との関係が注目されたりしていますよね。

 都会に暮らしていると、自分が自然とともにある一個の動物であるということをついつい忘れがちです。

 月を見上げて、そのことを思い出すのもいいことですが、やっぱり、ときには自然にどっぷり浸かって、自分が自然に生かされているという実感をつかむことも大切ですよね。

 風に吹かれ、木々のざわめきを聞きながら眠りにつき、星と語り、土の匂いをかぎ、ときには雨に打たれ、自然の恵みをいただき……あぁ、山に行きたいなあ。ついこないだ、旅から戻ったばかりだというのにね。

――― uchida

 

 
 

00/09/06
四十男のオートバイ

 先週、ツーリングマップルの最終取材に行ってきました。

 浜松から渥美半島を縦断して伊良湖へ。伊良湖からフェリーで鳥羽に渡って伊勢へ。伊勢では、伊勢神宮にお参りするはずだったのですが、ここで土砂降りに遭い、断念。楽しみにしていた赤福餅を買う気力も起きず、そのまま松坂へ。

 よほど日ごろの行いが悪いのか、はたまた「大好きな赤福餅を食べるついでに伊勢神宮にもお参りすっぺか...」という了見に伊勢の神様がお腹立ち召されたのか...。今度は、何かのついでなんて不埒なことではなく、真摯にお参りに伺いますので、どうぞお許しください。

 松坂もまだ雨で、もう完全に走る気力まで失った私は、日和って、名古屋の親戚のところへ転がり込みました。

 「あれ、あんた、またバイクで来たの?」と、呆れ顔の叔母。

 そういえば、この前転がり込んだのも、同じようにバイクで雨に打たれ、濡れねずみになった時でした。そういえば、その前も...。

 なんと、ぼくは名古屋の親戚のところに、きっかり10年おきに、バイクツーリングの途中で雨に濡れては転がり込んでいたのでした。

 叔母は、すかさず、田舎の母親(叔母の姉ですな)に電話して、チクリよりました。「ほれ、あんたの母さんが心配しとるよ」と渡された受話器の向こうから、これまた呆れ声の母親の声が。「あんた、この前、オートバイで事故に遭ったばかりだというのに、また、なにをフラフラしてるの!? ったく、四十男が、何をやってるんだか」。そう言われてもなあ、これが仕事なんだけどなぁ。

 雨宿りのつもりが、リタイアして暇を持て余している叔父の酒飲みに付き合わされて鯨飲の夜となり、翌朝は完璧な二日酔い。酒臭い息がシールドで跳ね返って、それでまた悪酔いしそうな塩梅のまま、しつこく降りつづける雨の中へ突撃! 

 「そんなにお怒りにならなくてもよろしいではないですか、心より陳謝申し上げます」と伊勢の神様に祈りつつ、関ケ原ではバケツをひっくり返したどころではなく、風呂桶をひっくり返して、勢いあまって桶まで投げつけてくるような嵐に遭遇...そこまで行くと、もうヤケクソで、「コンニャロ! ホンダ最強のエンジンを積んだX11を舐めんなよ!」と、わけのわからないわめき声を上げながら、アクセルをひねるのでありました。

 日本海側の敦賀に抜けると、一気に晴れたのはうれしいのだけれど、今度は、台風12号が南の風を引き込み、疾風怒涛のフェーン現象!? なにしろ、原発の細管まで弾け飛ぶほどの暑さときたもんだ(原発の細管は人的ミスでしたね(^_^;))...。なんだか、今度の取材は、ホンダ最強マシンX11とぼくのコンビに与えられた「苦難の旅路」の様相を呈してきたのでした。

  ・・・・長くなりそうだから中略・・・・

 そんなわけで、なんとか帰還を果たすことはできたのですが、さすがにダメージは大きく、ダレた体に活!を入れにトレーニングセンターに行ったのが大間違いで、ついに見事なKOを喫したのでありました。

  ・・・・しばし、記憶不明・・・・

 そんなわけで、今日は、半年のサナトリウム生活からようやく表に出ることを許されて、恐々と一人で表門までの散歩に踏み出した薄幸の文学少女といったような感じの体をようやく引きずりながら、ハーレーの2001年モデル発表会なんぞにでかけて行ったのでした。

 低迷、混迷、しゃあんめえ、やる気あんめえ、どうしようもあんめえの二輪業界にあって、一人業績を伸ばして気を吐くハーレーダビッドソンジャパンは、居並ぶ観客をなぎ倒す爆裂スモークとハーレーサウンドを体現する和太鼓乱舞のド派手な演出で場を盛り上げ、鼻息荒く、ニューマシンに大胆モデルチェンジマシンを繰り出してきたのでした。

その勢いがいつのまにか乗り移った私は、傍らのmapple.com編集桑原氏に向かって、拳を握り締めて叫んでいたのでした、「クワちゃん、来週は、BUELLサンダーボルトS3でブチかましだぜェ!!」。

――― uchida

 

 

 

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