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うわさ、があった。
閉鎖された北の塔には、人が閉じ込められているのだ、と。
そんなの、基本的に神殿の護衛、なんて言っても攻めこんでくる馬鹿がいるわけでなく暇な部下たちが作った空言だと、思っていた。

そういう話があるんだ、と聞いてはいたけれど。
「……マジかよ。」
神殿長補佐がどこか挙動不審に歩いていくからどこへ行くのかと思えば北の塔で。
まさか、と噂が頭をよぎった時に彼が、聖書の一節を諳んじると、ふ、とその姿が消えた。
しばらく様子を見てから、そこへ行くが、何もない。
もちろんこの神聖極まりない神殿の中で祟りなどではありえるわけはなく。
「…転送魔法、か。」
消える前に見えたそれは、間違いなく。魔法陣だ。…陣を使うのはあまり得意じゃないから、詳細はわからなかったけれど。
おそらく、北の塔の中だ。見上げる。…遥か上の方に窓が一つ。唯一の入り口は強固な結界で入れなくなっている。
何かが入ってこれないように、というよりは。
何かを、閉じ込めておくように。
転送魔法は、送る側と送られる先の両方に人がいなければ、成り立たない。送られる側の人が送る人に繋がった糸を引っ張る、といえばわかりやすいだろうか。
つまり。彼の行く先がこの塔の中ならば。
この塔には、誰かが、いる。

しばらくそこで待って、補佐が帰ってきて、足早に歩き去るのを見送った(仕事はって?だから暇なんだって!)後、そこへと走った。
誰もいないことを確認して、腰の剣に触れて、よし、とうなずく。
こほん、と咳払いして、彼と同じように、一節を口にした。
ふわり、と体が浮く感覚。視界が闇に染まる。く、と剣を引き寄せ何があっても対応できるようにして。
視界が、開けた。

「補佐官殿、何かまだご用ですか?」
澄んだ声が、響く。
その声の主は、こちらを見て、目を丸くした。
髪の色は漆黒、大きく見開かれた瞳も同じく。
古い神官の衣装に身をまとい、身の丈よりも大きな、輪のついた杖を持った人の姿に、思わず。
「…天使、か?」
そう、呟いていた。



「…ギリス、さん、イギリスさん!」
揺り起こされて、眉を寄せてゆっくり目を開くと、そこには漆黒。
「おはようございます。そろそろ起きないと遅刻しますよ。今日は受付なんですから…」
柔らかく微笑んで言われた言葉に、意識が浮上してくる。
「…はよ…もうそんな時間か…。」
「はい。今日はめずらしく寝坊ですか?」
くす、とおもしろがるような口調に、夢を、見たと呟く。
「夢?」
「ああ。…おまえと初めて会ったときの夢だ。」
日本、と名前を呼んで、体を起こす。
窓から射し込む光に照らされて、艶やかに黒髪が輝く。
「あのときですか。」
「そうだ。」
「イギリスさんが私に天使かって言った?」
「…っそうだ。ついでに、その後すぐ日本が飛び掛ってきて仕込み刀で切り殺されそうになったときだ。」
「人聞きの悪い。その私に対して即火の球を放ってきたのはどこの神殿兵長さんでした?」
「正当防衛だろ。」
「私もそのつもりでしたよ?」
そこまで言い合って、顔を見合わせて噴き出した。なんて初対面だ。そう思うけれど。

けれど。天使のようだと。…そう思ったのはやっぱり間違いなかったのだと、はにかむような笑顔を見て思う。
「今日もよろしく、日本。」
「こちらこそ、イギリスさん。」


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ごっと、音がして、人影が一つ、吹き飛ばされる。
それが狙われた黒髪でなく、金色であることにあれ、と思った瞬間、後ろからフランスさんの叫ぶ声。
「イギリス!」
そうか、イギリスさんが日本さんかばったんだ。気付いて、それまでに動き出していた体で、飛ばされた体の先に回りこんで、受け止める。

「っ!イギリスさん!」
呼ぶが、答えはない。ぐったりとした体に一瞬血の気が引くが、動いた指先に、生きてる、とほっとした。
「は!無様だな。かっこつけたつもりかそれで!」
嘲り笑う声に、かっとなって声を荒げようとして。
だん!と杖を床に打ちつける音が、響いた。
その音に、まさか、と思いつつ、おそるおそる振り返る。
しゃん、と杖が鳴る。日本さんの杖が、動かしていないのに、風も吹いていないのに、しゃん、しゃん、と音を立てる。

「…………黙れ、若造が。」

低い、声が響く。ざあっと床に壁に一瞬で黒い魔法陣が浮き上がった。
右手を軽く上げた。それだけで、笑っていたその人は吹き飛ばされる。
「……カナダ。」
いつのまにかすぐ後ろにいたフランスさんの声にうなずいて、イギリスさんの体を抱え上げ、できるだけ早く、けれど物音を立てて彼の気になるようなことをしないように細心の注意を払いながらその部屋の隅、日本さんの後ろへと逃げ込んだその瞬間。

「在る事を赦す。風獣よ……吼えろ。」

魔法陣が描かれた一面、世界で一番強い色に染まり、ざあああ、と風が渦巻き、彼の言った通り、吼えるような音を立てた。
渦巻いたかぜが、姿の見えない、獣のように、その場に足を踏みしめる。
咆哮が、響く。

「…禁忌獣かよ…!」
日本激怒してるなあと他人事のようにフランスさんが呟いて。

透明なそれに、日本さんはひらりと飛び乗って、無表情に杖を前に向けた。

「さて、遊戯を始めるとしようかの。…口の減らぬ若造に世界の厳しさを教えてやらねば、な。」

目には冷徹な光を宿し、口元だけで微笑んだその表情は、地獄の閻魔様より恐ろしい。

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