イザベルの部屋に、明るい笑い声が響いた。 「それでね〜、サラったら…」 「へぇ…」 泊まりに来たマリアは、みんなと仲がいい。 尽きない話を聞くのは楽しい。いいなあとも思った。 私はどうしても後込みしてしまうから、あまりたくさん遊んだりしない。…お兄ちゃんについていってマックスとかベアトリクスとはよく遊ぶけど、他の人たちとは、あんまり。あ、マリアは別だけど。 「ね、今度は、イザベルの話聞かせて」 「私の?」 首を傾げた。だって、話すことなんて。大したことは、してないし。 「じゃあ、庭のひまわりの話聞かせて?」 「え、」 「あれ、イザベルが育てたんでしょ?スペインさんが言ってた。」 「お父さんが…」 にこにこにこ。楽しそうに待つマリアを見る。 お姉ちゃんがいるのって、こんな感じなんだ。 小さく笑って、あのね、と話し出した。 「そんでな〜…あれ?」 返事がないことに気づいてのぞきこむと、ガブリエルはベッドに突っ伏して眠っていた。 「…疲れたんかな」 自覚はある。ひっぱり回しすぎた自覚だ。ついつい、マックスと同じのりでつきあわせてしまったが、ガブリエルはイザベルと同じくらいの年なのだ。そりゃあ、体力が保たない。 よいせ、と抱え上げて、ベッドの中に寝かせる。 その隣に潜り込んで、笑った。 今日は楽しかった。マックスと遊ぶのとは、また違う楽しさ。自分だけが知っていることをたくさん教えた。それが、楽しくて。 「…弟がおるって、こんな感じなんかなぁ…」 小さく笑って、お休み、と小さく言って、目を閉じた。 戻る . こっそりと、窓から中をのぞき込む。 「お兄ちゃん、やっぱり勝手に来るのはまずいと思うんだけど…怒られちゃうよ」 隣からの妹の声に大丈夫大丈夫ばれへんばれへんと答えて、探す。 「けど…」 「しっ、おった!」 こっちを見るから、慌てて隠れて。 こそこそともう一度のぞく。 スーツを着て、てきぱきと仕事をする父さんの姿。説明を聞いて指示を出す姿が、見たことないくらい真剣で。 「…あんな顔できるんだ…」 隣からの声に、そうやなあと答える。いつも母さんに頭が上がらない父さんとは、思えないくらいだ。 「あっ、お兄ちゃんあれ、」 ぐい、と腕を引かれて、隣の窓をのぞけば、きっちりと化粧をして髪をまとめ上げ、パンツスーツ姿の母さんの姿。 「かぁっこいい…」 イザベルのきらきらした声。 設計図を見つめる視線が真剣で、家の、いつもラフな格好をしている母さんとは、まるで別人のようだ。 冷静に指示を出して、頼んだ、なんて微笑む姿が、穏やかで、いつも家では怒鳴ってるのに。 「…家とは全然違う…」 「…そりゃあお仕事だもん…」 こそこそ呟いてながめていると、ふと、母さんが、父さんのいる廊下に出た。 「あ。」 『ロマーノぉ!(がばあ)』 しっかりと父さんが母さんに抱きつく。 『うわあ!てめ、なにしやがるスペイン!』 『ロマーノやぁ…補充補充(ぎゅううう)』 抱きしめられて、かあ、と赤くなる母さん。…やっぱり、こういうときはいつもと変わらない。 『…馬鹿。ほら、仕事に戻れこのやろー』 『いや〜』 『馬鹿!今日は早く仕事終わらせて早く帰るんだろうが!ルキーノとイザベル!』 いきなり名前を呼ばれて、びくっとする。ば、ばれた…? 『あ、そうか。二人の好きなもん作るんやんな。』 …違うみたいだ。 『そうだぞちくしょー。だから。ほら。』 『そやな。がんばろか!』 笑って、キスする二人から目を離して、イザベルと顔を見合わせる。 「帰ろっか。」 「今の話は、聞かなかった、ってことで。」 小さく笑ってうなずきあって、家へと歩き出した。 戻る . 「ふざけんな!」 「それはこっちのセリフや!」 「…っ!」 スペインの馬鹿野郎!と怒鳴って、部屋へと走った。 ばた、とベッドに倒れ込む。 「…何なんだよ…」 今日のケンカは、俺は悪くない。だって、帰ってきたらスペインが不機嫌で。 『…浮気者!』 「…っ!誰がだっつーの!」 ばふん、と枕を壁に投げつけたところで、がちゃ、とドアが開いた。 見れば、ちょっとびっくりした顔をした息子の姿。 「!ルキーノ。」 どうした、と微笑んでみせると、走ってくるから、抱き上げる。少し重くなった。成長の、証。 「…あんな、昼間、男の人と歩いとったやろ?誰?」 父親譲りの口調を聞きながら、眉をひそめる。 「は?」 父さんと一緒に見た、と言われても。昼間? 「昼…。」 「昼、ってゆーか、夕方。買い物行ったとき。」 「夕方?あ!」 それで、わかった。何のことか。スペインが不機嫌だった理由も。そうか、あれか。 「…あのな、ルキーノ。」 ルキーノに説明すると、ぱちぱちと瞬いて、そうなんや。てっきり、母さんが浮気したんかと思った。と率直すぎる感想。そんなわけないだろ、と呆れた声で言えば。 「そうやんな。母さん、父さんのこと大好きやもんな。」 ……こういうとき、弟なら、素直に認められるんだろう、けど。頬が熱くなって、ふい、と視線をそらす。 「母さん?」 呼ばれて、なんでもない。とそう答えて、名前を呼ぶ。 「…あの、さ。」 一つだけ、聞きたいことがあった。 がちゃん、とドアを開く。 仕事をしているらしい、スペインの後姿。 呼ぶと、何、と不機嫌そうな声。 …仕方がない。から。そう自分に言い聞かせて、その背中に抱きついた。 「っ、ロマーノ?」 「…おまえが見たの、果物屋の店主の旦那だぞ。」 「…へ。」 昼、仕事が早めに終わったから、買い物して帰るか、と市場を通りかかったときに、なんだか大騒ぎしているのに遭遇、果物屋の、妊娠しておなかが大きくなっても働いていた女店主が、陣痛だというのだ。一応経験者だし、知り合いだし、と病院に付き添って、出産まで一緒にいて、飛んで来た旦那が、女性一人で帰らせるわけには、と途中まで送ってくれたのだ。 そう説明したら、そ、うなんや…とほう、とため息。 「…誰が浮気者だよ、ちくしょー。」 ぶすっとしてそう言ったら、ごめん、と腕の中で振り返ったスペインに抱きしめられた。 膝の上に座って、擦り寄る。 「ごめんな、ロマーノ。」 「…馬鹿野郎。」 「はい。俺が悪かったです。ごめんなさい。」 しゅん、とした言葉に、せっかく、と小さく呟く。 「ん?」 「…せっかく、俺が、もう一人くらい、子供いてもいいかなって思ったのに…。」 消え入りそうな声でそう呟いた。今までは、ルキーノいるから、って、言ってたんだけど。でも。 やっぱり、目の前で見たら、もう一人いてもいいかなって、思ってしまって。なのに、スペインにいわれのないことで怒られて。言い出せなくなって。 「………え、え!?マジで!?」 嬉しそうな声に、小さく、そうっと、うなずく。 「よっしゃ、俺めっちゃがんばるから!」 「…ルキーノ、が、妹、がいい、って…。」 「そうやな。女の子やったらかわええな。」 うきうきした声を出すスペインの顔が見れなくて、何だか恥ずかしくて、顔を肩にすりつけた。 戻る . 基本的にロマーノは、男が嫌いだ。 とくに、しつこい男は大っ嫌いだ。一番嫌いだ。今決めた。 「なあ、お茶せーへん?いいとこ知ってるんだ」 「しない!」 「そんなつれないこと言わんと」 ああもうしつこい!ほんとしつこい!さっきから隣をつきまとう男をうんざりと見る。 全速力で逃げたら絶対逃げ切れる自信はあったが、生憎高いヒール。だって新しい靴買ったらはきたくなったから!ちょっとそこまで、だし。なんてうきうきしてた自分を思い直させたい! 隣をついてくる男は、つらつらとどうでもいいことを話している。うざい。聞きたくない。馴れ馴れしい。スペインやルキーノの口からなら、耳障り良く聞こえる言葉にいらいらする。 ずかずかと、結構速いスピードで歩いているのにどこまでもついてくる。嫌だ、もう。いつまでこんなことしてなきゃいけないんだ。疲労や、怒りや苛立ちが、だんだん恐怖に変わっていって。 スペイン!と心の中で呼んだ。 「なあ、聞いてる?」 肩をがっと掴まれて、嫌だ!と声を上げる、前に。 払いのけられる手。ぐ、と後ろに体を引き寄せられて、恐怖で声が出そうになったけれど、その前に触るな、と低い声が耳に入った。 今の声…スペイン? 見上げたら、見えたのは俺をかばうように立つスペインの後ろ姿で、思わずしがみついた。 頭を撫でてくれる手が、これほど頼れるものに思えたのは初めてだ。 「何か用?」 滅多に聞かない苛立った声を聞いて、体を竦める。 おそるおそるのぞいたら、さっきの男が逃げていく後ろ姿。 次いで、振り返ったスペインにがばっと抱きしめられた。 「!?」 「はー…びっくりした〜…」 いつもどおりの気の抜けた声。なんだかほっとする。 「大丈夫?何もされてない?」 顔をのぞき込まれてこくんとうなずく。 緩む、オリーブの目元に、涙が溢れてきた。 「わ、わ、」 「…スペイン…っ」 しがみついたら、もう大丈夫やから、と優しく髪を撫でてくれた。 戻る |