ご飯を作る後ろ姿に、おはよう、と声をかけた。 「おはようございます、エリ。」 振り返るママの奥をのぞき込んでも、いつもならなんだかんだ言ってキッチンに入り込んでる姿がない。 「パパは?」 「庭です。ケイも一緒ですよ。」 「へえ?めずらしい…」 振り返って見るが、ここからは二人の姿は見えなかった。 「咲きそうなんだって、二人して走っていって。」 「へ?…え、あの薔薇!?」 思わず身を乗り出した。咲かないかもって言ってたのに。 「行ってきます?」 くす、と笑って尋ねられ、う、とつまる。だって。誰かが、ママの手伝い、しないと。でも。行きたいなぁとうずうずしていると、くすくす笑われた。 「行ってきなさい。…ほら。」 「…ごめん、ありがと、ママ!」 謝って、庭の方に駆け出した。 黒と黄色。並んだ後ろ姿に、咲きそうって本当!?と声をかける。 「エリ、朝の挨拶はそうじゃないだろ。」 眉を寄せたパパにそう言われて、おはよう!と怒鳴る。 「それで!?」 「まだつぼみですけど、だいぶ膨らんできましたよ。」 思わず、歓声を上げてしまった。うれしい! 「ほんとに!?」 見てみると、ほんとうに今にも咲きそうにつぼみは膨らんでいて。 「すごいすごい!パパ!」 首に抱きつくと、ああ!とうれしそうな声。 「…エリのおかげだな。」 パパの不在時にずっと世話をしていた身としては、うれしい褒め言葉だ。けど。 「…か、んちがい、しないでよ!パパのためじゃないんだから!」 つい言ってしまってから、やっちゃった、と思っていたら、ん、わかってる、と頭を撫でられた。 戻る . 最初は見間違いかと思った、のに、たしかに昨日までとは違って、大慌てで父さんを呼びに行った。 「…咲きそう、だな。」 「はい。」 白い薔薇。父さんが品種改良したそれの、最後の一つ。ほかは、途中で枯れたりして、咲いたものはひとつもない。 「…キク、」 小さくつぶやかれた言葉に、つい噴き出してしまう。 笑うなよ、という父さんの声に、必死で笑いを抑えながらすみません、と謝って。 だってそれは、母さんの名前。 「薔薇にそんな名前付けるなんて…枯れたらどうするんですか?」 「…だから、枯れないように世話してたんだろ。」 それはそうだった。本当にもう延々と世話をしていた。…母さんがちょっと妬くくらい。(父さんに言ったら喜びそうだけど、母さんと、秘密っていう約束だ。) 「…母さんに言うなよ。」 「わかってますよ。」 やれやれ。秘密の多い人達だ。 肩をすくめていると、咲きそうって本当!?と声が聞こえてきた。 振り返ると姉さんの姿。 「エリ、朝の挨拶はそうじゃないだろ。」 眉を寄せた父さんの声に、おはよう!と怒鳴り返して、それで、と勢い込んで聞いてきた。 「まだつぼみですけど、だいぶ膨らんできましたよ。」 答えると、歓声を上がる。ほんとに!?とうれしそうな言葉。 聞きながら、こっそりと歩き出す。 歩いて、キッチンへ戻る。 母さんが持っていたお盆をとって、テーブルへ運ぶ。 「ありがとうございます、ケイ。」 「いいえ。」 そう答えると、どうでした?と聞かれた。 咲きそうです、と答えると、少し顔が曇った。 「悔しい?」 「そうですねぇ…植物に負けるのは、ちょっと。」 苦笑いした彼女に、小さく笑った。 戻る . 「私は、桜より梅の方が好き。桜って、儚すぎるもの。」 エリの一言に、そうですか。と苦笑した。 今日は家族四人そろって、縁側で花見。といっても、桜じゃない。庭の梅が、愛らしい花を咲かせたので、梅の花見だ。昔はよくやったものだけれど、と思いをはせる。 が、並ぶメニューは紅茶にスコーンにクッキーという、なんともまぁ英国ティーパーティな様相で、なんて和洋折衷だ、と苦笑した。まぁ、私たちらしいといえば、そうだけれど。 「梅の花はそんなに儚くないし。あと、いい匂いじゃない?だから、好き。」 ほんといい香り、と笑って、エリがスコーンに手を伸ばした。 「あ。」 「ちなみにこれ作ったの私だから。」 その言葉に、よかった、とケイも手を伸ばす。今まで食べられなかったらしい。理由は簡単、イギリスさんの作ったものかもしれないから、だ。私も食べよう、と手を伸ばす。エリのお菓子はなかなかおいしいのだ。 「おまえらな…」 「だってパパのスコーン不味いんだもの。」 きぱっと言い放たれて、う、と彼は痛そうな顔をした。あーあ、と思いながら、ケイと顔を見合わせる。 「でもパパの入れる紅茶は好きよ。…いつか絶対パパよりおいしい紅茶入れてやるんだから。」 娘の宣戦布告に、イギリスさんはなんとか持ち直したようで、楽しみにしてる、と苦笑。 「あ、ケイ、その包みとってください。」 「はい。」 「なぁに?それ」 「英国風お茶会には似つかわしくないんですが…」 花見団子ですよ、と開けると、手が二つ伸びてきた。意外に甘い物好きのイギリスさんとケイだ。エリは、おいしそう、と言ったきり、何かを悩み出したので、どうかしました?と声をかける。 「…食べ過ぎると太る…」 女の子らしい悩みだ。笑って、じゃあ半分こしましょう、と一つとった。 「何色がいいですか?」 「ピンク!」 はいはい、と笑って、団子を崩す。 ふわり、と風が舞って、梅の花の甘い香りがした。 戻る . 家族総出の大掃除。 …掃除というのは、思い出がでてくるからはかどらないものだ。 「ママっ!これ何!?」 エリが走って持ってきたのは、一枚の写真が綴じられたアルバム。 「ああ…懐かしいものを見つけましたね。」 「だって、ママウェディングドレスだったんでしょ?」 なのに、これ、と開く。 白無垢を着た私と、着物を着たイギリスさんの写真。 「イギリスさんが、どうしてもって。」 誰も呼ばなくていい。むしろ写真だけでもいい。…おまえの家の習慣でも、しておきたいんだ。 そう真剣に言ったから。 じゃあ、と、誰も呼ばずに式を行ったのだ。 「へえ…それママの白無垢見たかっただけじゃないの?」 「私もそう思ったんで指摘したら、それだけじゃない、って言ってましたよ」 「それだけじゃないってことは、半分くらいそれが理由ってこと?」 「…まあ、過ぎたことですし」 言及するのはやめてあげましょう。 そう言うと、はあい、といい返事。 「それにしても綺麗ねぇ…!」 「そうですか?」 写真に目を落とす。ひどい顔だ。 もう泣きはらして見れるものじゃない。 自分の家の風習に乗っ取って式を上げたら、なんだか本当に気持ちが入ってしまって、ずっと涙が止まらなかったのだ。 写真に写っていない、私の体の影になっているところで、イギリスさんが手をつないでくれたのを覚えている。大丈夫だから。幸せにするから。だから。笑って。 そう小さな声で言われて、やっと笑えた、瞬間を撮った、写真。 「…はっきり覚えてるものですね…」 まるで昨日のことのようだ。 そっと見ていると、ばたばたん、とケイが駆け込んできた。 「どうしました?ケイ」 「ちょっと二人とも来て!」 慌てた様子に、エリと顔を見合わせて立ち上がった。 ケイにつれられて行ってみると、書庫で本が崩れていた。床を塞ぐ本の雪崩。 その下からのぞく手! 「イギリスさん!」 「パパ!?」 慌てて本の山を崩すと、ぐったりしたイギリスさんの姿。 「…生きてます?」 「…なんとか…」 もそ、と起きあがる姿にほっとしながら、助け起こす。 「もー…何で本棚に手を出したんですか…」 こうなるのはだいたい予想ついてたでしょう、とため息。 本好きな私と同じく本好きなイギリスさんの在庫があわされば、まあひっどい状況で。 少し奥の本を取ろうとすると雪崩が起きるような。 その状況は、イギリスさんだってよく理解しているはずなのに。 「いや…ちょっと懐かしいもの見つけて。」 手を伸ばしたらこれだよ、と苦笑。エリが、何それ、とイギリスさんの手に握られた紙をとった。 「写真?」 「パパよね、これ。もう一人は…?」 「私ですね。…懐かしい、同盟時代の写真ですか」 「何言ってるの、この人男じゃない」 しん、と静まり返った。 「や、べ…ケイ、あのときエリいなかったか?」 「風邪引いて寝込んでました」 「あー、そうだ。」 「イギリスさん!」 「何よ、何の話?」 首を傾げるエリに、日本とケイに促されて、あのな、とイギリスが話し出した。 「はあ!?ママが昔男だった!?」 冗談よね?と言われ、残念ながら本当です、と答えた。 うっそ、と固まるエリになんだか申し訳なく思う。 「…つまり、全部パパのせいってことね」 「いやまあそうなんだが…」 はああ、と深いため息をついて、エリは、イギリスさんの頬にキスをした。 「ありがとパパ」 「え、」 「だって、パパがしなかったら私達生まれてなかったんでしょ?」 言われて、そうですね、と呟く。 「だから、ありがと。…許可取らないで勝手に魔法かけるのは最低だと思うけど。」 辛辣な言葉にう、と言いながら、イギリスさんは苦笑した。 「手厳しいな」 「当然。なんてったってパパの子供ですから。」 腰に手を当てて言われた言葉に、思わず吹き出した。 戻る . ゆっくりと意識が浮上する。 昨日一緒に寝たはずの日本の姿は、もうなかった。だいたい毎朝そうだ。先に起きて朝食の準備をしてくれている。 たまに寝坊することもあったが、今日はその日でなくてよかった。 体を起こし、棚に隠した小さな包みを取り出す。 中身を確認して、よし、とリビングに向かった。 「おはよう、日本」 「おはようございます、イギリスさん。」 割烹着を着込んだ日本が振り返る。 だいぶ見慣れはしてきたけれど、やっぱりどきどきしてしまう。 「すぐ朝ご飯にしますね」 「ああ。」 答え、ポケットの中につっこんだ包みに触れる。 せっかく買ったんだ。だから、渡さないと。 そう思うのに、後ろ姿に声をかけられなくて、何度も口を閉じる。 そして、やっと決意して、息を吸って。 「に「イギリスさん。」 振り返った日本と目があって、一瞬沈黙が落ちた。 「…すみません…」 「い、いや…それを運べばいいんだな?」 え、あ、はい、という返事を待たずに、日本の持っていたお盆を奪う。 「あ、あの、イギリスさんの用事は?」 「いい。後で言う。」 …たぶん。 買い置きがだいぶ少なくなっていたので、買い物に出る。 といっても、ただの荷物持ちだが。 てきぱきと買い揃えていく日本が、すごいと思う。こういうときは結構積極的だ。 「ちょっと買いすぎましたかね?」 「大丈夫だろ。…招かれざる客が来る可能性もあるわけだし。」 遊びに来たぞ!とこっちの予定全く無視で突然やって来る弟を思って、小さくため息。 まあ、ほかにもフランスの馬鹿とかイタリアとかギリシャとか、突然来るやつは結構いる。 「ですね。」 苦笑した日本の後ろから、自転車がやってくるのを見て、体を引き寄せた。 「え、あ、すみません」 目の前を自転車が通り過ぎるのを確認してから、体を離す。 「…そういえばイギリスさん」 「何だ?」 近距離で見上げられ、心臓が高鳴った。 「『後で』、のお話って、何だったんですか?」 ………。 「…家に帰ったら、言う。」 チャンスだったが、件の渡すものが家に置いてきてしまっていた。 がさがさと荷物の片づけをしている日本に後ろから近づく。 こっそりと、包みをあけ、中身を取り出して、手を伸ばして。 ぱちん、と髪につけた。 「えっ」 振り返る日本からぱっと目をそらす、え、何ですか?とおろおろする日本が、それを髪からとるのを視界の端に見て。 「…髪飾り?」 「……か、感謝の、気持ちだ。」 今日は、日本の家では『いい夫婦の日』、らしいから。 …店先で、似合いそうだ、と思ったそれを渡すには、いい機会だと思ったのだ。 落ち着いた深緑の、蝶の形をした髪飾り。 「…もらっていいんですか?」 うなずくと、日本はうれしそうに笑った。いつもより高い、ありがとうございます。 それが聞けただけで、十分だった。 戻る |